第16話 妻は知っていた

「知ってるわよ。そんなこと。」

「え?」

「優花にはばれてないと思うけれど、私がどれだけ貴方の側にいると思ってるの。ほしいと思ったものすぐに買ってきちゃうからわかるわよ。だから、私色んな検索をするときは小夜さんの家で調べていたもの。」


朧月小夜とは俺の担当の小説家で、晴香さんの友人でもある。


「私の罪はわかっていながら、貴方と話をしてこなかったことだわ。」


晴香さんはやはり泣いた。


「わかってましたよ。優花はひどい癇癪持ちで、それは貴方のお母さんの梅子さんに似ている。だから自分のせいだと思ってバカみたいに必死になってるんだっていうこともわかってました。だから、何も言わず、貴方がしたいようにさせてあげようと思ってました。それが間違いだったのよ。結局、私は逃げていただけで、貴方一人に背負わせて。こんな早い死を迎えさせてしまったのよ。」

「それは違う!全部俺のせいだ!俺がバカなんだよ!」

「道照さん、本当は口汚いでしょう。だからバレない様にするために、私にずっと敬語だったこともわかってるんですから。」

「そんな・・・。」


晴香さんは俺の服を掴み叫んだ。


「それでも愛していたんです!なのに、どうして死んじゃったの!」


この時の晴香さんの泣き顔を俺は来世でもきっと忘れない。


「お帰りなさい。」

「・・・ただいま。」

「ふふ、なんだか子供みたいですね。」


先生が楽しそうに言っていた。本当に、子供みたいだ。今の俺は。バカみたいで。


ふらふらと教室に戻ってみれば、神司さんが席に座っていた。


「学校っていうのはいいな。私はあまり出られなかったから。」

「大したものじゃないですよ。」

「持ってる人はそういうものだ。」

「やっぱり、俺、神司さんと会話できないや。」

「そうか?私は楽しいよ。」

「変わった人だ。」

「君ほどじゃない。」


自分の席に座る。ああ、こういう感情を何というのだろう。


「神司さん。」

「何だい。」

「泥酔するまで酒を飲んだことはありますか?」

「心臓が弱かったんだ。ないよ。」

「煙草を吸ったことは?」

「同じくないよ。」

「じゃあ、万引きとか。」

「とりあえず、今の君の状態を"自暴自棄”と言うよ。」

「やだな。」

「何が?」

「会話が成立してしまった。」


はは、と神司さんは笑った。


「もしかして神司さんも知ってた?」

「何を?」

「俺の秘密。」

「どれが君の秘密に当たるか私にはよくわからないのでね。」

「妻と子のスマホを見ていたこと。」

「知っているよ。」

「最低だよね?」

「一般常識的にはそうらしいな。」

「晴香さん知ってた。知ってて俺のこと好きだと。」

「晴香は君が大好きだからね。」

「なぜ?」

「さあ。私は一般常識などはどうでもいいが、君の罪は晴香もまた君と同じように大切な人を理解しようと必死だったことをわからなかったことだよ。」

「まただ。」

「何が?」

「会話がずれる。」

「そうか。君も私も人とちゃんと対話することが欠けているのかもしれないね。」

「最低だ。」

「理解できたなら、最低から一歩前進だ。」


ほら、やっぱりよくわからない。


「返せたかい?」

「何をです?」

「晴香の好きに返事ができたかい?」

「・・・いえ。」

「そうか。まだ夢があってよかった。」


それを返す必要があるんですか?死んだ後に。死んでしまった後に。でも、多分必要なんだろう。俺はたぶん、そういう努力をないがしろにしてきたのだから。


「道照君、将棋はできるかい?」

「もう何なんですか。ルール知っている程度です。」

「晴香とやってみるといいよ。あの子は結構強いぞ。クイズ番組を一緒に見たことは?」

「・・・ないです。」

「晴香はああいうのに結構熱狂するんだ。まあ夢でどこまでできるか知らないが、やってみるといい。あと・・・。」

「もういいです!黙って!」

「・・・もう俺に敬語遣わなくて大丈夫だよ?」


死んでから泣くのは、何も残された人間だけではないらしい。





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