第14話 親父に会いたい
「大丈夫ですか?」
先生の声も無視して俺は急いで本棚に戻った。親父、親父、親父!
「何を探しているんだい?」
「親父、親父の夢を探してください。」
「ないよ。」
「え?」
「君のお父さんは君より先に亡くなったんだろう?ここにあるのは君が死んでからの夢だ。」
「そんな!」
神司さんは俺を抱きしめた。ぬくもりはなくとも温かさは感じた。俺は泣きじゃくっていただろうから。
「君が生きてる時に、きっと夢にでてたさ。」
「絶対に、見ていないです。」
俺は神司さんから離れた。
「親父の顔を久しぶりに思い出したくらいなんです。俺は、親父の顔を思い出したくもなかったんです。」
「そうか。」
「なんで?かけてきた時間が愛情ではないんですか?」
「そうじゃないと思ったから、その質問をしてるんじゃないか?」
その通りだ。親父に会いたい。親父と話したい。優花が産まれてから何度か実家に帰った。その時も俺はほとんど親父と話していない。なぜだろう。俺はどうして。
「そうだ、お袋!」
もしかしたら、お袋が家族の夢を見てくれているかもしれない。俺は本棚を探すが、お袋の夢は見つからなかった。
「お袋の夢も、ない。」
「人は自分の中の見たくないものは夢でも見ないからな。」
ヒグラシが鳴き始めた。ああ、日が暮れ始めている。
ふと、目に入ってきた名前があった。"春日正子”。正子?タイトルを見ると"お兄ちゃんがウラヤマシイ”だった。
「正子・・・?」
「どうした?」
「これ、多分・・・妹の夢です。」
小説を開こうとする手を神司さんが制した。
「たまには、内容を見ないで出てくるのがいいと思うよ。妹さんは学生の頃に出ていったきり、会ってないんだろう?」
「なんでも知ってるんですね。」
「まあな。すまない。夢で人はなんでも語ってくれるから。」
なるほど。もしかしたら神司さんはかなり先の晴香の夢まで既に出ているのかもしれない。俺は言われた通り、中身を見ずに夢に出ることにした。
「神司さん。」
「ん?」
「ありがとうございます。」
「・・・とんでもないよ。」
神司さんの方は向かずに行った。ヒグラシが鳴く夕暮れを"なんか物悲しくなる”、と晴香は言った。俺はなぜか暖かい気がしていたけれど、"そうだね”と俺は言った。
「失礼します。」
そういって入った時、先生に夏のオレンジの夕暮れが差し込んでいて、顔が見えなかった。傍まできて、微笑んでいることがわかり、ほっとした。
「先生はこのヒグラシの声を聴いてどう思いますか?」
「ヒグラシ?」
「聞こえませんか?このカナカナカナという声。」
先生は耳を澄ませた。オレンジに染まる先生もやはり綺麗だった。
「聞こえました。素敵な音楽ですね。」
「そうでしょう。」
「だから、貴方の涙は止まったんですか?」
「ああ。」
俺は涙をぬぐった。
「お恥ずかしい。」
「いえ、綺麗ですよ。」
何を言うんだこの先生は。
「それでは次はこの夢へ。」
「あ、はい、お願いします。」
「いってらっしゃい。」
目を開くと、疲れ切った女性が座り込んでいた。奥から泣き喚いている子の泣き声が聞こえる。
「・・・正子?」
思わず聞いてしまった。自分が最後に見た高校生の時の彼女とはあまりにも違ってしまっているから。長く荒れた髪は金髪で、痩せていて、派手な服を着ていた。
「・・・お兄ちゃん?」
そういって俺を見上げる顔には隈ができていたけれど、間違いなく、正子だった。
あまりにもやつれていたけれど。正子は俺をその瞳に映すと突然俺を叩きだした。
「お兄ちゃんはずるい!お兄ちゃんはずるい!」
「待ってくれ、正子、大丈夫か?どうしてこんなにやつれているんだ!?」
俺の知っている正子はどちらかと言えばふくよかな女性だ。母がひたすら正子の好きなものを食べさせていたから。
「裕司が出ていったのよ!子供を置いて出ていったの!どうすんのよ、こんな子供いて、私なんかの給料じゃ全然無理なのに!」
「どういうことだ?子供ってこの泣き声か?」
子供の姿を見つけようとするが、見当たらない。正子と俺は1歳差だ。俺が死んでからの夢なら、今44歳のはずだ。それでこんな金髪でギャルみたいな恰好をしているのだろうか。
聞けば、正子は18歳で一人目の子を産み、その子も高校の時に家を出ていったきり帰ってこなかったそうだ。その後、一人目の夫と別れて、40歳の時に別の男と結婚して、子供が生まれた後、失踪したそうだ。"子供ができたら、しばらくはいてくれると思ったのに”ということは、恐らくあまり愛情のない男だったのだろう。
「正子、一度家に帰りなさい。お袋と二人ならまだなんとかやれるだろう。年金もあるし。家もある。」
「無理よ!この子男の子だもん。あいつ、男を憎んでるじゃん!」
それには確かに思い当たる節がある。けれど、お袋は優花に対してはそれなりに優しかった。孫にはまた別の感情があるだろう。
「お兄ちゃんがウラヤマシイ。ううん、悔しい。あの中で、私には家族がいなかった。」
「何を言ってるんだ。お前、お袋に特別扱いされていたじゃないか。」
「ほら、特別扱いっていってんじゃん。あの女、愛情なんかなかったよ。好きな食べ物出してご機嫌だけ取ってさ。門限も着る服も、友達まで制限して。あれの何が愛情っていうのさ!」
それについては俺も思うところがあった。正子が羨ましいと思う点は1点だけで、俺より怒鳴られる回数が少ないところだった。実際、正子も門限を破ったりすると怒鳴られていた。
それにしても、今回の夢は長い。泣き続けている子供の声が気になる。そして、ふと気づいた。今、正子は起きたくないのだ。育児に疲れ切っているのだ。晴香さんにもそんな時期があった。
「正子、起きて、子供を抱いてやれ。そして、お袋のところへ行くんだ。」
「お兄ちゃんはいいよね。味方がいて。大学まで出してくれてさ。」
「・・・知っていたのか。」
「お父さんはお兄ちゃんの味方だった。お兄ちゃんだけは見つけに行ってた。でも私のことは探してくれなかった。知ってる?私、家出して同じ町内にいたんだよ。すぐに見つけられるところにいたのに、誰も探しに来てくれなかった。」
「・・・それは、お前も家を出たいんだと思ったから。」
「お兄ちゃんは探しに来てもらえてた!」
「何を言ってるんだ?」
「お兄ちゃんはずるい!お兄ちゃんはずるい!」
「落ち着け!」
「家族なんて大嫌い!」
「正子!」
「正子ではないですが、ってくだり、もういりませんかね?お帰りなさい。」
「あ・・・。」
"お兄ちゃんはずるい。お兄ちゃんは探しに来てくれた”。正子のセリフが脳内に廻っている。何か大事なことを俺は忘れている。なんだ。それは何だ。窓の外の日が落ちていた。山の夜は早い。
「そうだ!」
火が付いたように、俺は駆け出した。そうだ。そうだった。中学校1年生の夏休みに、俺はここへ引っ越して来た。
俺は校庭を出て駆け回った。
まだ友達もいないから、とりあえず家の周りを散策したら、そう、この一面の美しいひまわり畑を見つけたんだ。
中学校の俺はまだ背丈が低くて、自分の背よりも高いひまわりの中を駆け回った。
俺はまだ知らなかったんだ。山の夜が早いことを。自分がどこにいるかよくわからないまま気づいたら真っ暗になって、街灯もない山の中、俺は迷子になった。
月もない夜だった。何も見えなくて、俺は怖くて怖くて必死に駆け回った。こうやって、多分奥へ奥へと走って行ってしまった。
〝道照!道照!"
そうだ、その時、親父の声がしたんだ。
「親父!」
そういうと奥で光が見えた。親父が懐中電灯を持ったまま草木をかき分けて俺のところへ来てくれたんだ。
”道照!”
俺を見つけると、親父が懐中電灯を放り投げて抱きしめてくれた。汗だくで。警官だった親父の体は俺が思うよりずっとたくましかった。
”無事でよかった”
そういって、親父は俺の手を弾いて、家まで連れて帰っていった。家に帰るとお袋は寝ていた。正子は玄関すぐの階段にぬいぐるみを持ったまま待っていて、俺の顔を見つけるとすぐに部屋に戻っていった。
そうだ。そうだった。迷子になった時、親父はいつも俺を探してくれた。絶対に見つけてくれた。なんで忘れていたんだろう。
ああ、そうだ、次の日、何事もなかったようにお袋がいったんだ。
”あいつが出世しないから、こんな辺ぴなところへ引っ越す羽目になって、お前も迷子になったんだ”
そういって、いつも親父を悪く言うから、俺もいつしか全部親父のせいにするようになって。
「親父、ごめんなぁ。」
お袋は俺の夢も見ないのに。
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