第13話 親父の想い
夏の校舎が疎ましい。この頃の自分がうらやましい。
「俺は、本当に何もわかってなかったんだな。」
思わず声にでる。奥田が、俺の為に編集長を断ったなんて知らなかった。
俺は人の気持ちがわからない。だから誰よりも人を分析する。エンターを押す時の力で、ペンを額にこすりつける仕草で、誰がどんな気分か担当も同僚も全員調べていた。誰よりも心の機微には敏感だった自信があった。けれど、その奥に何があるのか、本当のところは何もわかってはいなかったのだ。それが情けない。
「ありがとう、って言えばよかった。」
「え?」
「貴方が前回、私に言ったんです。全部、ごめんなさい、じゃなくて、ありがとうって言えばよかった、って。」
「人殺しの前世が?」
「ええ。人殺しの前世が。」
「笑える。」
「じゃあ、笑ってください。」
笑えるわけがないだろう!そう怒鳴りたくなったから、職員室を出た。下駄箱を、校舎を出た。
広がるばかりの夏の空。大きな雲。この頃はよかった。ただ遊んで笑っていた。いつからだ。笑えなくなったのは、いつからだ?
「大丈夫かい?」
神司さんの声だった。今は会いたくなかった。
「すみません、今、人と会える状態じゃないので。」
「君が嫌でも、私は会いたいからここにいるよ。」
「一人にしてください!」
「嫌だね。今、初めて君が生身の状態になったんだから。」
「何なんですか!あんたの言ってること、俺には意味不明なんですよ!」
「ほら、そういうの、今まで人に言ったことないんじゃないか?」
振り返って神司さんを睨んでみれば、彼は飄々とした顔で立っていた。途端に血の気が引いていく自分がいる。
「・・・申し訳ありません。」
「何を謝ってるんだ。このくらいで傷つくほどやわな心してないよ。それとも君はこんな言葉くらいで傷つくのか?今まで優花にもっとひどい言葉投げつけられてきただろう。」
そうかもしれないけれど、俺は今、自分の感情を表す言葉が見つからない。
「道照君、君はなぜそんなに感情的になることを恐れているんだい?」
「・・・わかりません。」
神司さんは静かに、俺の肩を叩いてくれた。静かに時は流れてくれた。
「嫌だな、夏が嫌いになりそう。」
「え?」
「晴香が言っていたんだよ。夏が嫌いになりそうだと。君も、君のお父さんも8月に亡くなったんだろう。」
神司さんと同じように夏空を見上げてみる。親父の命日は8月29日だった。
「俺は、何日に死んだんですかね。」
「8月31日だそうだ。日にちもあやふやになっていたのかい?」
苦笑する。日にちはスケジュールへの符号でしかなかった。
「晴香がね、いってたんだよ。夢で。お父さんのお葬式の時に、道照君を泣かせてやれなかったと。ひどく、後悔していた。」
「なぜ?」
「なぜ、ときたか。お父さんは嫌いだったのかね。」
「嫌い、というより、存在がない、という方が正しいですね。俺の母親はかなりヒステリックな人で、どんなに罵倒されていても、親父は何も言ってくれませんでした。親父と話したのがいつだったか思い出せないくらいです。」
「そうか。それは辛かったね。」
その言葉は自分にはよくわからなかった。辛かった、のだろうか。いや、日常だった気がする。
「君が、感情的にならない理由が分かった気がするよ。ねぇ、道照君。私が夢は最初から見た方がいいと言った手前、申し訳ないんだけれど、ちょっと晴香の夢で、君のお父さんの葬式の夢を探してみてくれないか?あれは随分後悔していたから、多分また夢に見ている。」
そう、神司さんが促すから、二人で教室へと向かった。神司さんと一緒に本棚を探した。
「ああ、多分これだよ。」
神司さんが差し出した本には"お義父さんの葬式と道照さんと秘密 冬賀晴香”とあった。何もかも促されるまま、その本を読んでみることにした。
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「お義父さんの葬式と道照さんと秘密」
お坊さんの読経と木魚の音がする中、お義父さんの花入れの儀が行われている。
道照さんは花を持ったままどこを見るではなく、遠くを見ていた。最後に花を淹れる時も、道照さんはお義父さんを見ようとはしなかった。
「道照さん、お義父さんへ最後のご挨拶はできたの?」
恐る恐る言ってみたが、道照さんは一言も発さなかった。手を握っていた優花が突然火が付いたように泣き出した。それをきっかけに至るところですすり泣く声が聞こえてきたが、道照さんは珍しく、優花のことも見なかった。優花が暴れだしたので、私は抱えて外にいったん出てしまった。道照さんの後ろ姿が見える。
私はこの時に、言うべきだったのだ。お義父さんが秘密にしておいてくれと言ったことを。この時に、道照さんを泣かせてあげたかった。この後、道照さんがことさら仕事をしだすとはこの時はわかっていなかった。
なぜ、秘密を優先してしまったのだろう。道照さんの背中が小さく私の目に焼き付いている。
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「秘密?」
秘密とはなんだろう。親父が何か隠していたのだろうか。別に何を隠していたかなんてどうでもよいことだけれど。そもそも親父について知っていることがほとんどない。
「聞いてきてごらんよ。夢の中では大抵、教えてくれるさ。」
「別に、聞く必要なんてないです。」
「聞く必要がないのか、聞いてから判断しなさい。」
「いいです、今更。」
「聞く必要がないのかい?それとも聞くのが怖いかい?」
「別に、怖くなんか。」
これではまるで、子供が意地を張っているみたいではないか。
「・・・いってきます。」
「うん。行っておいで。」
バツが悪いので、渋々本を片手に職員室に向かう。
秘密、秘密。全く思い当たる節がない。
「失礼します。」
「はい。」
先生の変わらない笑顔にホッとする。
「これ、お願いします。」
「はい、いってらっしゃい。」
そう言って先生は小説を開いた。
気づくと隣に晴香がいた。親父が死んだのが6年前だからか、少し晴香が若く見えて、なぜだか少し嬉しくなった。
「晴香。」
「はい。・・・あなた、何を笑っているのこんな時に。」
「いや、すまない。」
「ちゃんと、お義父さんのお別れをしてくださいね。」
手には白い菊の花を持っていた。
「そうだ。親父の秘密って何だい?」
「貴方知ってたの?」
「いや、知らないんだけれど。」
「どういうこと?」
なんと説明すればいいんだろう。
「いや、やっぱりいいや。」
「ううん。聞いてくれてよかった。お義父さん、私に一つお願いしていたの。自分が死んだらお金の整理は私にしてほしいって。」
ああ、そういえば親父のお金については晴香が意地でも自分ですると言って聞かなかったな。今の今まで忘れていた。
「お義父さん、すごく借金していたから。」
「え?」
「お義父さん、貴方を東京の私立大学に行かせるために、いろんな親族に頭を下げて借金していたのよ。だから、保険金でその整理をしてほしいって。絶対に道照さんには秘密にしていてほしいって。」
「嘘だ!」
こんなに大きな声が出るのかと自分でも驚いた。自分の為に親父が借金していた?いや、でもそうか。親父は結局最後まで交番勤務だった。親父の給与はいくらだったんだ。私立大学の学費と、家賃と仕送り。当たり前に受け取っていたけれど、今ならわかる。それは、親父だけの給与で毎月負担できる額だったのだろうか。
「本当よ。」
「・・・いくら残ってたんだ?」
「亡くなった時に450万円まだ残ってた。それと、家の残りのローンを払って、お義父さんのお金ほとんどなくっちゃった。」
「・・・嘘だ。」
「本当よ。お義父さん、ずっと言ってた。俺は道照さんの為に何もできなかったから、これだけは、って。できれば一度くらい、二人で一緒に酒を飲んでみたかったって。道照さんの家に行くたびにお義父さん、寂しそうに言ってたな。」
「嘘だよ。」
「本当よ、ほら、最後のご挨拶に行って。」
足が震える。うまく、歩けない。棺の中の親父。白い親父。こんな顔をしていたっけ。親父の顔はこんな顔だったっけ?
「ああああ!」
俺は、大人になって初めて泣いた。
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