第10話 お義母さんの夢

本棚が夏の日差しを受けて鮮明にその輪郭を映している。


次の夢は鈴木光子だった。光子さん。俺のお義母さんで、神司さんの妻だ。

タイトルは"道照君のバカタレ”。


なぜみんな責めるのだろう。悲しくなってくる。小説を読んでみると実に光子さんらしい、そして、今の俺にぴったりの内容だった。早速、夢に出てみようと職員室に向かう。


「失礼します。」

「おはようございます。」


俺が不思議そうな顔をしていたのだろう。


「おや、違いましたか?朝だと思ったのですが。」

「いや、確かに朝なんですが、そういうのも共有できるんですね。」

「貴方といる時は貴方の見ているものを共有できます。」

「そうなんですね。でもなんで朝なんだろう。」

「決まってるじゃないですか。」

「え?」

「長い一日になると覚悟したんでしょう。」

「・・・なるほど。」

「では、まずはその夢から入りますか?」

「はい。朝にはばっちりな運動になりそうです。」


先生はやっぱり笑って、俺の手の中で小説を開いた。




俺は空手着を着て、まっすぐ立っていた。最初から何をされるかわかっていたから。


「こんのバカタレが!!」


光子さんの声が響き、俺は背負い投げされる。世界がぐるりと回った。


「立て!今日という今日は許さん!」


俺は下がどちらか、今どうなっているかすぐにはわからなかったので、もたついたがなんとか立ち上がる。


「こんのバカタレ!バカタレ!バカタレが!!」


正拳で顔とボディに一発ずつ喰らった後、肩を抑えられて膝で急所をど突かれた。リアルだったら死んでいる。ああ、少しは痛みを感じられればいいのに。光子さんの小説の中では俺は一言も発さずにただひたすら殴る蹴るの暴行を喰らっていた。


「本当に申し訳ありませんでした。」

「聞こえん!」

「晴香さんを一人にして大変申し訳ありません!!!」

「誰が一人だこのバカタレがー!」


ボディに一発正拳突き。すごい、痛みがわからないのにまっすぐ衝撃が入ったことがわかる。さすが空手黒帯。


空手着の襟首を光子さんに両手で掴まれる。また投げられるのだろう。俺はぎゅっと目を瞑り回転に備えたが、いつまで経ってもその衝撃はやってこない。おずおずと目を開けると、光子さんは泣いていた。そちらの方が衝撃だった。この強い人が泣くなんて、そんなことがあるのかと。


「一人じゃないだろう。一人なんかじゃない・・・このバカタレが!」


結局投げるんか!俺の世界はまた一周した。俺の胸元に光子さんは仰向けになって倒れこむ。光子さんの息が上がっている。


「晴香は・・・一言も相談してくれなかった。」


俺の息は上がらない。


「俺のことをですか?」

「それ以外に何がある!」


仰向けのまま光子さんが怒鳴った。まだ泣いているのかもしれない。


「晴香が優花みたいだったらよかった。」

「え?」

「晴香が優花みたいに、気にいらないことは意地でも嫌だという子だったら、私でも育てやすかった。だけど、晴香は違う。晴香はそういうことを一言も言わない。こっちから察しなければいけない子だった。私みたいに、強くもない。」


それは間違いない。晴香さんは嫌だとか辛いとか一切言わない。というより、そういうことに関して鈍いタイプなのだ。


「道照君、知ってるか?晴香が私みたいに看護士になりたいと思っていたのを。」

「・・・いえ、初耳です。」

「高校の時に、一言、そう言ったんだよ。お母さん、私も看護士になりたいって。あの子が、何かをしたい、と言ったのは神司さんが死んでから初めてのことだった。だけど私はすぐにこう返したんだ。やめときなさい。あんたは看護士に向いてないって。そしたら、すぐに晴香は看護士の夢を諦めた。」


そういえば、晴香さんが将来何をしたいか、そういうことを聞いたことがない。もちろん、自分も話したことがない。


「今でも、晴香が看護士に向いてないということは撤回しない。あの子は真面目過ぎる。受け流すことができない。そんな子が生と死の現場でやっていこうとしたら、すぐに潰れる。だけど、せめて話を聞いてやるべきだった。道照君がこんな状態になっていることも一言も私に相談できない子になってることを今の今まで気づかなかったよ・・・。」


晴香さんが真面目過ぎるのは間違いない。事実、彼女が就職した教育教材の販売会社は今でいう完全なブラック企業だったが、彼女は自分が悪いんだとひたすら仕事をしていた。不条理も真正面から受け止める人なのだ。それで晴香さんはうつ病になったが、それも自分のせいだというほどに。


「ごめんねぇ、道照君。私がもう少し道照君に気を配っていれば、こんなことになる前に張り倒してでも止めてやったのに。看護士の私が気づかないなんて。ふがいない。看護士失格だよ。母親としても失格だ!」

「そんな、ことないです!お義母さん!」


俺は起き上がり、泣きじゃくる光子さんの手を握った。ああ、この人はこんなに小さい人だっただろうか。


「私は、大馬鹿者だ!」

「お義母さん!」



「おかえりなさい。」


戻ってきてしまった。俺は力なく、空いている椅子に座りこむ。


「俺は、なーんにもわかっちゃいなかったんだな。」

「そんなものですよ。見えることの方が少ない。」

「ただひたすら俺が罵倒されるだけの夢だったはずなのに、お義母さんをあんなに泣かせてしまって・・・。」

「大丈夫です。夢のお話ですから。むしろよかったと思います。」

「よかった?」

「現実で泣けない人ならば、せめて夢で泣けたらいいじゃないですか。」


確かに、光子さんは現実では絶対に泣かない人だろう。けれど、あの小さくなって泣いている光子さんが光子さんの中にいたならば、現実で泣かせてあげたかったと俺は思う。














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