第8話 俺の小さい頃の夢は

「戻してください。」

「はい?」

「夢に、戻してください!今すぐ!!」

「無理です。夢から覚めたら終わります。次の優花さんの夢に出るしかありません。」

「じゃあ、生き返らせてください!」

「できません。貴方は、貴方の寿命を全うしました。」

「誤解だ!誤解なんだよ。せめてそれだけでも解決させてほしい。」

「それもすべて夢で。」

「夢じゃダメなんだ!直接、あの子が納得するまで話さなければ。」

「できません。」

「お願いします。どうか!」


俺は土下座した。土下座をしたことは、ある。担当していた小説家にそういう卑屈さを求めるタイプもいたから。


「だから、ここは天国の学校なんです。」

「天国の学校?」

「・・・失礼しました。今回はまだ、貴方はここを天国の学校と言ってませんでしたね。」

「もう何言っているのかさっぱりなんですが。」

「生まれ変わるんですよ。貴方はまた。そして、生まれ変わったんですよ、今回も。前回の貴方も、そのまた前の貴方も、ここを天国の学校と、そう言ったんです。」

「優花を、娘の誤解をなんとかしないと・・・あの子がまた荒れてしまったら、次はどうなるか・・・。」

「ご理解ください。貴方は、死にました。死ぬとはそういうことです。」


先生はやはり少し微笑みを湛えていて、絶望した。足なんかもうないはずなのに、おぼつかない足取りで職員室を出る。


「道照君。」


神司さんに声をかけられるが、返答できるエネルギーはなかった。ふらふらと教室に向かおうとしていたようだ。とにかく夢に出るしかないと。


「道照君、ちょっと休憩しよう。夢は逃げない。時間はたくさんあるんだから。」

「死んだからですね。」

「そうだよ。ほら、外の空気でも吸いに行くぞ。」


この世界で外なんて概念なんてあるのかよ、と心の中で毒づくが、神司さんは俺の手を取って、強引に外に連れ出した。


「おー、夕暮れの空は綺麗だなー。」


そういわれて見上げるとオレンジの空が一面に広がっていた。こんな、何にも切り取られていない空を見上げるのはいつぶりだろうか。


「この空は夏かな。」

「そうですね。」


そういうと、途端にヒグラシの声が聞こえ始めた。間違いない、あの日の夏だ。

なんだっけ。何か、とても特別な日だった気がするのだけれど。


「道照君、何がしたい?」

「はい?」

「ここではなんでもできるぞ!腹いっぱい好きなものを食べることも、駆け回ることも。まあキャバクラとかそういった相手がいるものは無理だけどな。」

「それって意味があるんでしょうか。」

「創造することに意味があるんだ。」

「・・・申し訳ない。よく意味がわからないんですが。」

「好きだったものが何だったかよくわかるんだよ。想像できなければ、創造できない。」

「晴香さんと優花に会いたいです。」

「それは夢にでるしかないな。会いたい人は大体、夢を見てくれるものだよ。」

「夢とかじゃなくて、誤解が解けるまでとことん、話したいです。」

「それは、生きていることの特権だよ。とことん、話してこなかったのかい?」


話してこなかった。自分は言葉を紡ぐことが、とても苦手だった。特にたわいもない話、というものがどうするものか最後までわからなかった。


「まあ、そういう私も、話してこなかったんだけどな。何が好きとか、何をしたいとか、そういうのは特に。言ってもどうしようもないことが多かったから。」

「例えば?」

「思いっきりサッカーとかしてみたい!ジェットコースターに乗ってみたい!自転車で日本一周とかしてみたい!なんて、多分、できないから憧れていただけかもしれないけれど。でもな、光子はたぶん、そういうのわかっていたんだよ。言葉にしてなくても。だから、光子の夢は今、すごいぞ。この前はキックボクシングをしてみた。その前はラクロスだったかな。とにかくいろんなスポーツの夢を見てくれるんだ。いや、もしかしたら、光子が私としてみたいことだったのかもしれないけれど。」

「お義母さんらしいですね。」

「そうだろう?自慢の嫁だよ。」


俺の妻も、自慢の妻でしたよ。仕事柄不規則な生活、帰宅時間。それでもどんな時でも、彼女は常に俺が飲むコーヒーを淹れておいてくれて、冷蔵庫にはすぐ食べられるものをストックしてくれて。帰ってくるのが深夜でも彼女は常に起きて来てくれた。"小説読んでたら遅くなっちゃった”なんて嘘をついて。


「道照君、小さい頃の夢はなんだった?」

「また急にどうして?」

「いいじゃないか。なんだった?」

「・・・覚えてないです。」

「覚えてない?小学校とかで聞かれなかったか?何になりたいかとか。文集とかで書くものだと思っていたけれど。」


ああ、そういうものが確かにあった気がする。確か、警察官と書いた。親父が喜ぶかと思って。だけど、お袋に怒られた。"あんなどうしようもない男と同じ職業に就こうなんて、あんたはバカか”と。


「もしかして、それも思いつかない?」

「・・・すみません。」

「いや、謝る事じゃないが、絶対にあると思うぞ。ちらっと思ったことでいいんだ。ほら、歌手とかサッカー選手とか、そう、小説家とか。」

「小説は自分にとって読むもので、書く側にまわりたいとは一度も・・・。」

「じゃあ他に好きなものは?小説以外でも何か一つくらい。例えば、昆虫とか電車とか。」

「・・・コーヒーとか。」

「いいじゃないか!どんなコーヒーが好きなんだ?」

「晴香さんが淹れてくれるようになってからは晴香さんのコーヒーしか飲まなくなりまして・・・。」

「いや、君ねぇ。いや、それが道照君らしいのかな。」


自分が好きなもの。なんだっただろう。確かに小説は好きだった。けれど、大学で国文科に進んでから、実は小説があまり好きではなくなってしまっていた。だから編集者になることも実は嫌々だった。その系統しか受からなかったから就職しただけで。


何か他に好きだったものがあっただろうか。小さい頃、小説以外で。漫画はお袋にバカになると言われて禁止されていたけれど、それが苦になるほど漫画に憧れてはいなかった。ゲームもなかったけれど、それも特になんとも思わなかった。スポーツにも特に興味なかったし、音楽にも興味がなかった。


とにかく、家が嫌いだった。家に帰ることが嫌で仕方なかった。お袋がとにかくヒステリックな人だったから。一度火が付くと、手こそ出さないがとにかくひどい言葉を投げつけてくる人だ。


親父がいる時は親父をひたすらなじり、親父がいない時は俺がなじられた。そして、妹にだけ優しかった。けれど、妹も俺も等しくお袋の束縛を受けた。門限だけじゃなく友達も制限された。妹はお袋に言われっぱなしの俺と親父を見下していて、母親と仲良さそうにしていたが、高校1年生の時に駆け落ちした。まあ中学の時から家を抜け出して夜遊びしていたのを俺は知っていたから、別段驚きもしなかったけれど。


そこからお袋のヒステリックはさらにひどくなったが、親父は一度も俺を庇うことはなかった。ただ、数か月で俺も東京の大学へ進学し、家から離れることができたが。


思い返してみればひどい幼少期だ。夢よりも、平穏が欲しかった。


「道照君は本当にあまりしゃべらないんだな。」

「あ、申し訳ありません。」

「いいよいいよ。そういう人だと晴香からよく聞いている。ただ考えていることをそのまま話してくれていいんだよ?」

「はい、申し訳ありません。」


何だっけ。そうだ、小さい頃の夢だ。夢、ね。


すると空に飛行機が横切って行った。


「お、飛行機か。飛行機雲もでてるぞ。」

「・・・パイロット。」

「ん?」

「そうだ、パイロット!俺、パイロットになりたいと思ったことがありました!」


そうだ、思い出した。俺が小さい頃、田舎だったこともあって飛行機が通っていくことがあまりなかった。だから、飛行機を見ると心躍った。あんな鳥みたいな機械が空を横切っていくのがかっこよかった。小学校の頃、両手で写真のフレームみたいな形にしてその中に100回飛行機を映すと願い事が叶うというジンクスがあった。たまに通る飛行機をみんなこぞってそのジンクスを行っていたが、俺だけはずっとその姿を目に焼き付けていた。図書館の図鑑で飛行機を探したこともあった。


「ほら、大事だろう。ここは想像できるものしか、創造されないのだから。」

「そんなことすっかり忘れてました。」

「道照君、私は飛行機に乗ったことがないんだ。乗せてくれないか?」

「どうやって?」

「想像だよ。思い描いてくれるだけでいいんだ。君は乗ったことがあるんだろう?」

「はい。出張も結構ありましたから。」

「じゃあ、その時の飛行機に私も乗せてくれ。」


飛行機に乗った時を思い起こしてみる。次の瞬間、俺たちは飛行機の中にいた。











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