蓮構え

雪国匁

第1話

「じゃあ君は、そんな風に川だって言われたり、牛乳が流れた後だって言われたりした、あのぼんやりと白いのが本当は何かご承知?」

俺の目の前に座っているこの少女は、黒板に吊るされた大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指しながら、俺へと問いをかけた。

「……要は、名前の話か?」

「ここは手を挙げてほしかったんだけどなぁ。まぁうん、正解だよ」

よく分からないことを口にする彼女が、今日同じようによく分からない言葉を発した回数は既に片手では数えられない。

「そんなこと言っても、今は11月。当分見れないぞ」

「ああホントだ。私はともかく、君は“当分”見れないね」

「どういう意味かは知らないが、お前も俺も見れないだろ」

俺は少し考えた後、小声で付け足した。

「……“一生”な」

「その単位が意味をなさないことも、珍しいことだと思わない?」

置かれてる状況を理解していないのか、彼女はのんびりした声で応答する。


「ていうか、1時間適当に話してはいるけど俺はお前の名前すら知らないんだが」

「言ってなかったっけ? ゴメンね、もう何度目か覚えてないからさ。どんな感じでこの会話って始まったっけ」

「俺がこの教室に入る、お前が唐突に話題を振ってくる、今。どこにも自己紹介パートは含まれちゃいないぞ」

そんな意味の分からない始まりから1時間。俺は教室の窓際の机に座って、同じく俺の方を向いて座っている彼女と喋っている。初対面の相手のハズなんだけど、この少女は俺の机に頬杖をついて、憎たらしくも整った顔を至近距離に固定していた。

「じゃあしょうがないなぁ……。私の名前は“オブサ”。名前の由来は忘れちゃった」

「別にそこまでは聞いてねぇ」

「私の扱い雑じゃない?」

不満げに彼女、いやオブサは頬を膨らませた。

「君は私を名乗りもせずに急に話しかけてきた不審者だと認識してるかもしれないけどさ、その初対面の可愛い女の子にこんな雑にタメ口で話す君も大概だと思うけどなぁ?」

「……なんか、お前とは何度も話したことがある気がするんだよな」


言いようのない、不思議な感覚だった。

デジャブにしては、その存在しない記憶と思われるモノの回数が多すぎる。もはや既視感特有の感動も驚きも、そこには一切混じっていない。

そして重ねて何故か、この少女はそれを聞いて心底嬉しそうにニコリとした。

「そっか、なら嬉しいや」

オブサはそんなことを言った。また、意味はよく分からなかった。


「……俺の名前は聞かないのか?」

「聞いてほしいのなら聞いてあげるよ、リフレン君」

「……はぁ、結構だ」

コイツなら俺の名前を知ってても言うほど不思議じゃない。

なんて、そろそろ驚かなくなってきた自分がもはや怖かった。

「……一応聞くぞ」

「なになに、何聞いてくれるの!? あ、先に言っとくと誕生日は2月2日、好きな食べ物は熱々の物全般で、趣味は鳥とか生き物観察で、えーっとスリーサイズは……」

「止まれ止まれ暴走列車! 聞きたいのは別にそういうことじゃねぇからな!?」

「ちぇっ、残念だなぁ……。前会った時は最後まで聞いてくれたのに」

……ってことは、前の俺はこのオブサとかいう知らない女子のスリーサイズを知っていたのか。何も記憶がないけど、なんかちょっと面白い。

「それで、何聞きたいの?」

「あの文脈で聞きたいことなんか、『なんで俺の名前を知っている?』しかないだろうよ」

「あー、そんなことかぁ。もっと面白い質問を期待してたのになぁ」

「……俺は何を期待されてるんだよ」

ダメだ、全然話が進まない。話してて楽しくなくはないから、ギリギリ許せるけど。


「だってさ、私が君の名前を聞いたのなんて遠く遠く昔のことなんだよ? そんな昔からの話なんてしてたら、地球が死ぬくらいに日が暮れるよ」

「……要約してくれ」

なんだそれと思いながら、俺は大人しく言った。

「ずっと前から何度も会ってるから、以上! これより質問タイムに入ります!」

立ち上がったオブサは、誰もいない周りをキョロキョロと見回し、残念そうに座った。

「質問なかったから、リフレン君の独壇場だよ」

「そりゃそうだろ。……いつ、俺と会った?」

全力で振り回してくるオブサに全力で食らいつきながら、俺はとりあえず一番聞きたいことを聞いた。

「いつ、だったかなぁ……。前会ったのは……え〜っと……」

顎に指を当て考える仕草をしながら、彼女は頭を捻っているような感じを滲み出す。



「―――今回は早かったから、大体400万年前だね」


もう慣れたのか? ……いや、違うな。

なんとなく、そんな気がしたんだ。



「あれ、驚かないね? 思ったより」

「……前の俺は、そんなに驚いたのか?」

「そりゃあもう、ぽっかーんだったよ。ぽっかぽかーん」

「変な擬声語を作るのやめろ」

「今世紀のヒットワードなんだよねぇ、私の。ところで、意味は分かった?」

立ち上がったことによって遠ざかっていた顔を、再び彼女は近づけた。

「その変な擬声語のか?」

「そっちじゃなくて、400万年前の方だよ。この文脈ならそうに決まってるでしょ」

「お前にだけは言われたくねぇな……」

……まぁ、本音を言ってしまうと。

「ほとんど分かってない。意味不明だ」

「だよね? じゃあ説明してあげよう」

オブサはまた立ち上がって黒板の元に行く。

そして、何かを探した後にしょんぼりとしてここに帰ってきた。

「チョークが切れちゃってた。また後で外に取りに行こうかな」

「外に置いてるのか?」

俺は多分怪訝な顔をしていたと思う。

「置いてるっていうか、この辺りは毎回チョークが採れるんだよね。多分チョークの元が」

「……自力で作ってんのか?」

「暇潰しにね。何本あっても足りないし」

安定的に意味が分からないので、俺はもう理解を諦めた。

「ってことで口頭で説明するね。準備は良い?」

俺は黙って頷いた。



「ここでリフレン君にいくつか問題ね。大丈夫、そんなに難しくないよ」

「誕生日は4月31日、身長は173cm……」

「止まって止まって暴走列車! 違う、そういうのじゃない!」

「俺の気持ちが分かったか?」

「……はい、分かりました」

すっきりした所で、本題に入ってもらう。

「じゃあ一問目。万有引力ってのを発見した人、だーれだ?」

―――確かに、簡単な問題だ。


「……カナトス王国のアントレナ=ニコライだろ。世界史選択だから、自信ある」


「今度はそんな名前の人になったんだねぇ。じゃ次、あの川だったか牛乳だったかのぼんやりしたやつの名前は?」


「“星の弓”。別名、ナイトボウだったっけ?」


「私たちが住んでるこの星の名前は?」


「TEH星。これで質問は終わりか?」


「あと一個。今日は何月何日?」


……さっきから、本当に簡単な問題ばかりだな。



「3月86日だろ?」


「今はよく分からない暦区分なんだねぇ。まぁいいや、特に質問に意味はないんだけどさ」

「無いのかよ……」

そう言って、オブサは少し椅子に座り直した。






「ねぇリフレン君。今まで人類は何度も何度も滅んでるって言ったら、流石の君も驚く?」




「…………は?」



「お、驚いた。よかったよかった、これで驚かなかったら君の精神を疑うところだったよ」

「ちょっと待て、本当にどういうことだよ!? それでなんでお前がそれを知ってる!?」

元々ぐちゃぐちゃだった脳内が、本当に音を立ててかき混ぜられ始めた。

「なんで知ってるかって、そのことを詳しく話したら地球が滅ぶくらいの時間が……」

「ていうかその“地球”ってなんだよ!?」

「君たちの言葉を借りるなら、“TEH星”。大体3500万年くらい前の、この星の名前だよ」

理解を拒み始める頭を精一杯無視して、俺はオブサの話を聞く。




「初めて“人類”と呼ばれる生き物がこの星に誕生して、それが500万年くらいで滅んだ。原因は今と一緒、謎の人間のみの連続自然死」

「……そんな遥か昔の原因と一緒なのか?」

「というか、今まで確か8回くらい人類は滅んでるんだけどね。毎回、原因は同じだよ。

毎回、人類が全滅して、次の人類が長い年月をかけて台頭していくんだよ」

理解が追いつかなさすぎて、俺は諦め半分のため息をついた。



「……それで、なんでお前はそんなに詳しいんだよ? 俺だってそんな歴史は習ってないし、今まで少しも聞いたことすら無い。ちゃんと滅んでんならそれは当たり前だけどさ、じゃあなんでお前はそのことを覚えてるんだ?」

「それも簡単。これを覚えてる方法は主に二つあってさ、一つは君が思ってるように何回滅んで自分が死んでも記憶を残しておくこと。でも、そんなことできやしない」

ここまで行って、オブサは頬杖をつくのをやめて改まった。



「二つ目。……私は、今年で約3500万歳だよ」


妙に、納得感があった。



「神様は人類を創るときに、『ある程度発展したら滅んで、もう一回繰り返す』っていうプログラムをつけたんだ。繰り返すって言っても運命なんてちょっとしたことで変わるから、さっき確認したみたいに物の名前が変わってたり歴史が変わってたりするんだけどね」

……どうやら、本当に昔はこの星を地球となんて呼んでいたらしい。

カナトス王国もなければ、一月辺りの日数も違うのかもしれない。その遥か昔の常識なんて、今となっては知る手段もないけど。

「それで終わっとけば良かったんだけど、本当の暇潰しに神様は何個かオマケを作ったんだよね。その一つが私、“傍観者”の私」

オブサは、軽く窓の外に目をやった。

「決して死なない、基本的に誰にも知られない、どうしようもなく暇でも苦にはならない、そして別に人類滅亡を止める手段もない。文字通りの“傍観者”、それが私というプログラム」

「……ふーん」

それくらいしか、言える言葉がなかった。



「―――そして、神様のオマケその2が君だよ」

「……なんとなく、予想はしてた」

「相々変わらず、本当に面白くない反応だなぁ。まぁいいや」

パズルのピースは依然足りてないのに、足りてないなりに絵が完成したような気分。

変な充足感と諦念と冷えた感じが、大体今の俺の95%くらいを占めていた。


「人類の繰り返しプログラムが発動する17年前に毎回律儀に産まれて、17歳の時に毎回繰り返しに巻き込まれる。いわば、人類滅亡のカウントダウン役だね」

初めて聞くような情報じゃない気がした。遠い昔、何度も聞いたことがあるような。

「そして、私と同じく―――」

「人類滅亡を止める手段は、別にない」

「大正解っ!」

オブサが1人拍手をする音だけが、静かな教室に響いた。



「ちなみに、今この世界で生きてる人は僕と君だけだよ。他は、もう皆死んじゃった」

「だろうな」

「さらにちなみに、あと1分くらいで君は巻き戻される。8回目の人類文明は、もうすぐに完全に滅亡するよ」

「……マジ?」

「大マジ。こんなこと言うのもなんだけど、何か言い残すことある?」

ついていけないのは、もう今更だ。

「……俺からしたら、今までのことを全部信じる必要もないんだけどな」

「でも、私に懐かしさは感じたでしょ?」

「……それは、まぁ」

「じゃ、信じときなよ。君がもうすぐ消えるのは、なんとなく分かるでしょ?」

「……仕方ないな」

「じゃ、言い残すことはいどーぞ! 安心してよ、その言葉は次君と会った時にちゃんと教えてあげるからさ」

右手をマイクのようにして、オブサは俺の口元に手を近づけた。


「……そういえば、じゃあ前回の俺はなんて言い残したんだ?」


「ああ、何だっけなぁ。え〜っと確か……」


「結局記憶あやふやなのかよ……。にしても、こんな急に言い残せって言われてもな……」


「あ、思い出した! 確か……」



「何て残したらいいか分かんないよな」

「“何も言い残すこととかないな”って!」







窓の外の景色が、徐々に崩壊していった。



仮に、もし仮に、オブサの言ってたことが全部妄言で。

人間なんてものはこの星に2度と生まれなくて、俺も2度とこの世に戻ってくることなんてなくて。そんな、どうしようもないほどのつまんないオブサの冗談だとしても。






残る人生最初の1秒くらい、そんな妄言を信じてみよう。














いつの間にか眠っていた。


「うーん……」

固まっていた体を立って伸ばし、再び椅子に落ちるように座る。




さて、何しよう。

これから人間がちゃんと文明を作るまでに全然400万年くらいあるわけだけど。





「まずは、チョークでも作ろっかな?」












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蓮構え 雪国匁 @by-jojo8128

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