白い小鳥と灰色の娘

鳥尾巻

小鳥のみちびき

 窓枠に小鳥が止まった。歪んだ硝子越しに映るのは、白い小鳥だ。


 エラは粗末なベッドから起き上がり、そっと窓を開けた。小鳥は逃げる様子もなく、丸くつぶらな瞳でエラを見つめている。


「おはよう、小鳥さん」


「チチ、ピユ、チチチ」


 可愛らしく歌う鳥の声に合わせて、ふわふわとまとまりのない長い灰色の髪を三つ編みにする。


 ここはグリム王国。エラは森の中の粗末な小屋に1人で住んでいる。

 エラを生んだ母は善き魔女であったが、人々の迫害を恐れ、娘を最期の時まで心配していた。

 エラは魔法の力と共に、美しい金髪と青い瞳も受け継いでいた。病を得た母はエラを病床に呼んで、彼女の外見を灰色の髪と瞳に変えた。


『人前で魔法を使ったり、本当の姿を見せてはいけません。これはママとパパとあなただけの秘密よ。清い心を失わず、力は善きことに使うのです。ママはいつでもあなたを見守っていますからね』

 

 資産家の父は子連れの後妻を娶ったが、交易に赴いた異国の地で盗賊に襲われ、怪我を負い失意のうちに亡くなった。

 父が存命中は優しかった継母も、莫大な遺産を継ぐと本性を表し、エラから全ての権利を奪って、広大な敷地の隅にある森の小屋に追いやった。他に頼る親類もなく、家から出て1人で暮らしていく手立てもないエラは、そこに留まるしかなかった。


「屋根があって硝子のはまった窓があるだけ、マシだと思いなさい」


 嫌味たっぷりに言う継母の言葉を、エラは悲しい気持ちで聞いていた。なんと醜く歪んだ心だろう。欲にくらんだ人間の方がよほど魔女らしいではないか。

 着古した灰色の服と粗末な木の靴を履いていてさえ、エラの美しさは際立っている。自分の2人の娘の器量が良くないと知っている継母は、悔しくて仕方がない。下働きの女中と同じ扱いで、毎日こき使っているというのに、泣きごと1つ言わず、淡々と仕事をこなしているのも面白くない。


「可愛げのない娘だね」


 せめてどこかあげつらおうと、地味な灰色の髪と瞳を持つエラに「シンデレラ (灰かぶり)」とあだ名をつけて、あざけり嗤った。古くから屋敷に仕える使用人の中には、エラに同情的な人間もいたが、横暴な女主人に表立って逆らう訳にもいかず、時々こっそり小屋に差し入れをするのが関の山だった。


 今日もこれから、屋敷に出向いて仕事をしなければならない。まだ朝も早いから、少し時間はある。

 小鳥にパンくずをあげる時間くらいはあるだろう。エラは小さな戸棚を漁り、昨日の晩に貰ったパンの残りを崩して窓の近くに置いた。


 白い小鳥はパンくずを啄むでもなく首を傾けて、しきりに鳴いている。エラの肩に飛び移り、灰色の髪を引っ張る。


「なあに?」


「チチチ、ピピ!」


「ついてきてほしいの?」


 髪をくわえたまま飛び上がる鳥に導かれ、小屋の外に出る。鳥はエラがついてくるのを確認するように、時々枝に止まって鳴きながら、森の奥へ奥へと誘う。


「待って、あまり奥に行くと、他所の敷地に入ってしまうわ」


 息を切らし、追いかける。手入れが行き届かず、鬱蒼と茂った下生えの中を進むうちに、崖の下に出た。

 エラはそこで、1人の男性を発見する。小鳥は心配そうにくるくると空中を飛び回り、悲しそうな声で鳴いている。男性は怪我をしているようで、死んだように動かない。手足があり得ない方向に捻じれ、胸に大きな刺し傷がある。刺された後、崖から落とされたのだろうか。


 慌てて駆け寄り、彼の様子を窺うと、弱弱しいながらも辛うじて息をしているのが分かった。生きてはいるが、その命の炎は消えそうになっている。


 エラは急いで辺りを見回し、男性の体に手をかざした。人前で魔法を使ってはいけないと亡き母に言われている。でも目の前で死にかけている人を放ってはおけない。彼女の全身が淡く金色に光り、その光が彼の胸の中に吸い込まれていく。


 手足は元通りになり、胸や顔についた傷が見る間に消えていく。大きな力を使ったエラは、息を弾ませながらその顔をじっと見つめる。

 意識はまだ戻らないが、青かった唇は色を取り戻してきた。その男性はよく見れば美しく逞しい人だった。柔らかそうな金の髪が男性的な線を描く額に乱れかかり、閉じられた瞳は見えない。けれど、通った鼻筋や上品そうな形の良い唇から、かなりの美丈夫であるのが見て取れた。服装も簡素な狩人のような恰好ではあるが、上質な生地を使っているのが分かる。


「どうしよう。えらい人なのかもしれないわ。見つかったら火あぶりにされちゃうかも」


 かつて魔女を迫害したのは、この国の王族や貴族だったと聞いている。力を恐れた権力者が、魔法を禁じ、使う者を厳しく罰したのはそれほど遠い過去ではない。


 それにそろそろ屋敷に行かなければならない時間だ。登り始めた朝陽を背に、エラは音を立てないように立ち上がった。小さな声で呪文を唱えながら、彼の周りに獣除けの結界を張る。怪我は治っているが、意識が戻るまで森の中に1人で置いて行くのは危険だ。


 魔力の名残りをまとったまま走り出すエラの全身は淡く金色に輝く。朝陽を浴びて黄金に輝く草の上、粗末な木の靴ですら軽やかな金の靴を履いているように煌めいて見える。

 しかし急いでいた彼女は気付かなかった。目を覚ました男性が、その後ろ姿をぼんやり見送っていたことに。


◇◆◇


 それからしばらくして、国中に噂が広まり始めた。

 身分の低い側妃の子と疎まれ、長らく外国に追いやられていた第二王子ハインリヒが、帰国して腐敗した王宮の改革をかなり強引な手段で行った。暗愚で操りやすい第一王子フリッツ派と聡明な第二王子派に分かれ、国が二分する争いが始まるかもしれないと、人々が不安そうに話しているのがエラの耳にも入って来た。


 そんな中、不穏な噂を払拭するかのように、お触れが出される。第一王子の結婚相手を探す舞踏会を開くので、国中の若い娘を集めるらしい。

 継母は張り切って娘達を着飾らせたが、エラには留守番して家中の暖炉を掃除するように言いつけた。


「べつにいいわ。ドレスも何もないもの」


 エラは窓辺にやってきた小鳥に話しかけた。あの日以来懐かれたのか、時々飛んできては近くで歌っている。屋敷の若い女中達も出かけてしまったし、人目が少ないのをいいことに、エラは魔法で暖炉を綺麗にした。


「こんなことに力を使ったらママに叱られてしまうかしらね」


「大丈夫だよ」


 その時、急に小鳥が声を出した。若い男性のような張りのある声だ。エラは驚いて小鳥を見つめた。しかし、その声は鳥から発せられたものではなかった。

 開かれた扉の前に立った背の高い男性が、エラを見下ろしていた。魔法を使うところを見られたかもしれない。怯えて縮こまるエラの方に、彼が手を差し出す。


「行こう、エラ」


「どうして……」


 自分の名前を知っているのか。逆光になって見えない顔を見上げると、彼はエラの前に跪いた。見れば彼は、あの日助けた男性だった。エラは初めて目にした彼の瞳が、エメラルドのように美しい色だと知った。


「君のお父さんには異国の地で世話になったし、何度も命を救われた。彼は異母兄の刺客から私を庇って怪我を負ったんだ」


「まあ!」


 初めて明かされた事実に、エラは驚いて目をみはる。彼はこの国の第二王子であった。


「エラ、君をずっと探していた。君達親子は私の命の恩人だ。あの女はずいぶんずる賢く立ち回って、君を隠していたようだな」


 エラが彼を見つけた日、第一王子派に狩りの途中で襲われ、暗殺されかけたのだ。

 今日、王宮に招かれた者達は、全員なんらかの罪で裁かれ、腐敗しきった家臣たちは粛清されたという。我儘放題に育ち、放蕩の限りを尽くしていた第一王子は継承権を失い、幽閉された。

 

「これからは誰もが住みやすい国を作ると約束する。君も本当の姿を隠さなくていい」


「なんのこと……」


「父上から秘密の事は聞いている。あの日、私を助けてくれたのは君だろう?光り輝いて、走る姿はまるで金の靴を履いて踊っているようだった」


 ハインリヒは恭しくエラの手を取り、その指先に口づける。今まで男性にそんな扱いを受けたことのないエラは、真っ赤になって手を引っ込めようとした。だが、彼はその手を離さなかった。


「あれからずっと小鳥を通して君のことを見守っていた。ごたごたが片付いたら迎えに行こうと思っていたんだよ」


「小鳥を……?どうしてそんなことが出来るの?」


「あの子は私の使い魔だよ。私の母も善き魔女だったんだ。母を守り切れなかったのは悔しいが、これからは魔法に関する誤解も解いていかねばならない。どうか君の力を貸してくれないか?」


「……私にできるかしら」


 だが不安に揺れつつも、灰色の瞳は透き通った青に変わっていく。灰色の髪は流れるように波打ち、本来の金の光を放ち始める。



 その後、グリム王国は善政によって栄え、息を潜めるように暮らしていた魔力を持つ者達の復権が果たされた。改革を行った賢王ハインリヒの傍らには、金の髪に青い目を持つ美しい王妃がいつも寄り添っていたという。


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