麻田様、お久しぶりです。
この話はHit Paradeのコメントで麻田様が言っていた実際にあった出来事を元にした話でしょうか。 自殺を考えている人間は、たとえどんなに仲が良かったとしても親友に相談なんかしません。むしろ仲が良いからこそ言えないのかもしれません。そして、誰にも告げずに命を絶って変わり果てた親友を目にした時、遺された者はどうしてこんな事をと、逝ってしまった親友、そして何もできなかった自分にもぶつけようもない怒りをぶつけるのでしょう。世の中にはどうしようもない事って、確実にあります。亡くなった人は戻らないし、努力だけではどうしようもない事は必ずあります。生きている自分達は、そんな事を肝に銘じて生きていたいですね。
『読ませる作品』ありがとうございました。
作者からの返信
夏目さん。
企画参加させていただき、また、読了、コメントをいただき誠に有難う御座います。
この作品はかなり昔に、あくまで『創作』として作成した物でした。
その頃には特にモデルとした事柄はありませんでした。
純粋に自分がやりきれなかった想いの形を変えただけだったような気もします。
――ですが、直近で割と身近にそういった不幸が起きてしまいまして(この作品の公開よりも後の出来事でした。その為「あとがき」を後から追加いたしました)……。
自身の書いた作品の表現力など、現実の前では全然『上っ面』でしかないモノだと痛感した作品でもあります。
夏目さんのおっしゃる通り、言えないからこそ、そこまで追い詰められているのであって、外に出せる悩みならば救いの道はあったのかもしれません。
ただ、もし、そういった人の悩みを聞けたところで、その全ては理解し切れぬまま、善意を持った厳しい言葉を掛けたり、または、同調して慰めの言葉を掛けてしまうと思います。
その正否は分からぬままに……。
結局、どうしようもない事は存在して、どうする事も出来ない私達が、どうあるべきかを自分自身で考えなくていかなくてはいけないのだな、と、コメントを読みながら再び考えさせられました。
少し重たい作品ではありましたが、どうも有難う御座いましたm(__)m
うん。本当にその通りだと思います。
『当人にとって』
が、一番重要といいますか……。それすらも違うような気もして。
でも。
だとしても。
辛い、悲しいを軽くすることぐらいなら『他人』でもできる気がします。
重くなるのは当然です。
だって、麻田さんがそうなさったんですから。
なんだか、出過ぎたことを書いてしまっているかもしれません。
けれど、ここに書く以上、文字にする以上、私が感じたものとして書かせていただきました。
作者からの返信
西之園さん。
読了&コメント&レビューコメント誠に有難う御座います。
私も書いた本人ですが、この題材に何か物を言えるほど自分が大層な人間ではない事を感じていました。
気の持ちようや置かれる環境が違ったり変わったりすれば、”それ”を考えるのが自分だったりするのかな?などとも考えてしまったり……。
そこには正否も善悪も無く『当事者』達の感じているものが全てで、『当事者』にしかそれを決められないのだとも……。
なんというか『解』の出ない作品ではありましたが、何かを感じていただけたというのは非常に光栄であります。
いつも本当に有難う御座います!こういったお言葉をいただけたり、交流を持てることも生きる原動力の一つとなっていることは確かです。
そういう一つ一つを自分は大切にしていきたいと思っております。