第2話

・芸術表現に満ちた物は主に周知される対象として認識されている。故に巧妙で卑怯な湾曲表現を行うなど、自身の創造性と知性を自慰的に誇示していると知ることができる。だが、愚鈍に趣向を凝らし多角的に表現を行ったとして、それに内在する諸要素を読み取ることは不可能であると言える。何故ならそれが文字であれ、絵であれ、音楽であれ、動画であれ、劇であれ、何であれ、表現を完璧に伝える言葉が、線画、音が、動きが、演技が、存在しないからだ。理性という将棋盤の上で転がすコマがいかに上手く動作しようとも、盤上以外では何ら役に立たない、競馬の知識がペンを曲げる動作に関係しない様にである。つまり内向的な点を外部に発信する際に完璧に伝わることはないということだ。

ならばそれらを完璧に示す何かを作成すればよいのだ。

つまり文学においては造語を作れば良いということだ。


・しばらくの間、厳しい、寒い、季節に、なりますが、といいましても、厚着をそのつどやるだけですし、かといって、しらされないというのも、なんだか、アレですし、腕を組みながら、うんうんと、唸ってしまいますし、寒い季節といったら、お鍋が食べて、頭を振り回してしまいそうな、ものです。

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超短編練習 トリスバリーヌオ @oobayasiutimata

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