6-3
土曜日に、園藤はヨシヨシ生工へ電話した。
自分をアルバイトとして引き入れた人事部の職員の名前が貝塚というのは、前日のうちに財布に詰まったレシートの隙間より見つけた名刺で思い出していた。電話口で貝塚の名を訊ねたところ、出勤しているという。すぐに繋いでもらい、アルバイトをやめたいと切り出した。
貝塚は、思いの外なんてことのなさそうな口調で、
「そうですか」
と答えた。
「詳しいお話を、直接伺っても構いませんか」
園藤は了承した。即日午後にヨシヨシ生工へ行くことを約束し、電話を切る。次の営業日である月曜日に行くことも一瞬考えたが、そうすると話の流れで最後の清掃をすることになる可能性がある。それは避けたかった。
昼食後、ヨシヨシ生工ヘ向かう。車を駐車場へつけると、すでに貝塚が事務所前で待っていた。珍しく晴れた梅雨の午後である。肌に汗が滲むほど蒸し暑いのに、彼は日の照りつけるアスファルトの上で、折目正しく背広を着ていた。
案内され、園藤はヨシヨシ生工の事務所に入った。事務所はまるでオフィスのような外観のコンクリート建築だった。中へ入ってみると、非常に小ざっぱりしている。小さなエントランスには、受付台と観葉植物、それから壁に備えつけるタイプの液晶テレビしかない。
──工場の事務所って言うより、ビジネスホテルのフロントみたいだな。
手前に受付台が置いてあり、その奥に社員の作業スペースがあるような、来客と社員のスペースが一体化しているもっと広い空間を予想していたので、意外だった。
エントランスから繋がる白い廊下を歩き、来客室へ通される。キャスター付きの長机が一つ、椅子が四つ。それ以外は何もない部屋だった。
園藤は貝塚と向かい合って座った。机の上には、既に麦茶と思しきものの入ったグラスが置いてある。置かれた位置的に、どうやら園藤のために出してあるらしい。
麦茶のグラスを凝視する。ぎっしりと詰まった氷はまだ直方体で、容器の肌に浮く汗も細かい。つい先ほど置いたばかりといった様子に、園藤は居心地の悪さを覚えた。
園藤の来訪に合わせて飲み物を出すなら、園藤がこの部屋についてから出してもいいだろうに。ここの従業員は、アルバイトを嫌っているのだろうか。
それとも、顔を見せたくない事情でもあるのか。
「アルバイトを辞めたい、とのことでしたね」
貝塚が先に口を開いた。初めて会った時と同じ、にこやかで慇懃な態度だ。
「はい」
「理由を教えてくださいますか」
園藤は、いつもの調子を心がけて話す。
「次の就職が決まりそうなんです」
まったく決まる予定はない。しかし、いつか決まれば同じだ。嘘ではない。
そう自分に言い聞かせ、なんとか用意した理由だった。
「本当ですか。おめでとうございます」
貝塚は目を糸のように細め、声を弾ませた。
「そういうことならば、残念ですが仕方ありません。弊社も、園藤さんの今後のご多幸をお祈りします」
園藤は面食らった。
あっさりと受け入れられてしまった。本当にこれでいいのだろうか。
脳裏に、野波のことがよぎる。
「あの。いいんですか」
「何がでしょうか」
「代わりの人は」
──余計なことを気にせず、早く帰れ。
頭の片隅から警告が聞こえる。しかし、不安なのだ。昨日体験した気味悪さを思い出すと、ここできちんと落とし前をつけていかなければ、後日何か余計な災いが訪れるのではないかという気がしてしまう。
貝塚は変わらぬ笑顔のまま、首を軽く振った。
「ああ、気にしないでください。もう終わることですから」
直球に皮肉を投げてきたか。対面する顔を凝視するも、園藤は戸惑う。貝塚の笑顔は変わらず、善良そうなままだった。
「こうして辞める前にご連絡をくださって、直接弊社までご挨拶に来てくださった。それで充分です」
さらに、こんなことまで言う。本当にあっけらかんとした、明るい様子だった。
ここまで言われてしまうと、取り越し苦労かという気がしてくる。店長から聞いた話では、会社自体がきな臭いという話だったが、貝塚のような職員は無害なのではないだろうか。
それより、さっさとここから離れて縁を切った方がいい。
園藤は逡巡の末、頭を下げた。
「ありがとうございます。短い間でしたが、今までお世話になりました」
「いえ、こちらこそ。またご縁がありましたら、よろしくお願いいたします」
貝塚も頭を下げた。やはり、いたって爽やかな普通の挨拶だった。
席を立ち、部屋を出る。貝塚もついてきた。見送ってくれるらしい。
「名残惜しいですね。園藤さんはよくお仕事をしてくださっていたので、寂しくなります」
「ありがとうございます」
それ以上続ける言葉が見つからず、ぱたりと会話が途切れる。
白い廊下を、ただただ横に並んで歩く。園藤は気まずさに俯いた。二人分の靴音の他に、何の音もしない。
「静かですね」
思っていたことをこぼした。
貝塚は和やかに笑った。
「話していたら、業務効率が落ちます。私たちがやるべきことは、コミュニケーションをしなくても決まりきっていますから。業務後ならともかく、業務時間に言うことは何もありません」
俺だったら、業務時間後に雑談が長引いて帰れなくなる方が困るけどな。
園藤は違和感を覚える。
それに、一切コミュニケーションを取らずに仕事する会社など、あるのだろうか。意思疎通をして業務内容をすり合わせないと、思わぬすれ違いが起きて大変なことになりそうなものだが。よほど、マニュアルを作りこんであるのだろうか。
そもそも、業務中喋らないにも関わらず、作業をマニュアルをいつ作るのだろう。その時は別ということか。
園藤は、横まで貝塚の顔を見る。顔色は健康的で、身体のどこかを悪くしている風もない。喋る様子にも、無理がない。ひどい残業はしていないように思える。
──いや。この人がそういう人なだけで、他の人が大変なのかもしれない。
そう考えると、また敷地の静寂が気になる。
仮にも医療機器を作る会社のはずなのに、何の作業音もしない。それは、靴を履いて外へ出ても変わらなかった。工場が立ち並ぶ方からは、何も聞こえない。聞こえるのは、鳥の囀りと樹々の葉擦れのみ。
「そう言えば、園藤さん。ご家族は?」
倉庫や工場の方を眺めていて、反応が遅れた。
「え?」
「海の日に、この町で祭りが開かれるんです」
貝塚は気にする素振りもなく、笑顔で続ける。
「珍しい催し物などのない、平凡な祭りです。でも、かえってそのレトロでシンプルな感じがいいと、来場された方に評判なんです。よろしければ、ご家族とご一緒にいかがですか。弊社もブースを出しておりますから、お立ち寄りください」
「へえ。海の日にお祭りですか」
少しだけ、好奇心が刺激される。
「珍しいですね。花火大会ですか」
「いえ。花火がメインじゃありません。歓迎会みたいなものでしょうか」
「へえ」
余計に珍しい。
駐車場へ出てしまえば、すぐ園藤の車のもとへ着いてしまう。だが貝塚は、構わず話している。
「子どもたちの立志式を兼ねてるんです。この町には、中学校が一つあります。そこの二年生が、地域の伝統衣装を身につけてお祭りに参加して、将来の抱負を発表するのですよ」
「町を上げてなんて、すごいですね」
「
着物の話をされる。園藤が知らなかっただけで、ここには養蚕の歴史でもあるのだろうか。それならば、来る道のどこかで桑の一本でも見かけていいように思うが。
「夏は、一番生き物の気配が濃くなる時期でしょう。だから、この時期は新しい人たちが馴染みやすいんです」
「はあ」
「園藤さんもいかがです。参加すれば、きっとここが好きになります」
人畜無害な笑顔が誘う。
そうだな、と言いかけた時、生ぬるい風が顔を撫でて我に返る。
つい、興味を持って話を聞いてしまっていた。縁を切ろうというのに、これではいけない。
「いえ。予定が合わないでしょうから」
「そうですか。もし気が変わったら、ぜひどうぞ」
「どうも」
会釈だけして、そそくさと車に乗る。
エンジンをかけて動き出す。車を正門の辺りまで動かしても、バックミラーには深く腰を折った貝塚の姿が映っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます