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 我気逢中学校の二年生は、夏休みの直前に特別な行事に参加する。

 それは「式」と呼ばれている。昔、十四歳になると子どもが成人として認められたという元服の慣習を由来として作られた行事で、生徒が自分の将来を思い描いて大人になる自覚を得るためのものだという。他の地域では立志式と呼ばれるそうだ。

 担任やクラスメイトが言うに、我気逢町の式は他の地域の立志式と比べてかなり個性的らしい。立志式は通常中学校を主体に学校の体育館や自治体のホールなどでセレモニーを行うのが一般的だそうだが、我気逢町の式は違う。町が主体となって、一日がかりの盛大な祭りを開催するのだ。役場の人間、町内会の役員、生徒の保護者など、町の人間が総出同然で参加し、成長の一つの区切りを迎えた生徒達を祝うという。

 それに参加するための準備が、五月の末から始まっていた。最初は、教師による簡単な行事の説明があった。

「式では、自分の将来について書いた作文を読み上げることになっている。これから、学校で作文の内容の相談や添削をしていくつもりだが、肝心の内容は自分次第だから、今のうちに考えておくように。日程は、町役場の方からみんなの家に連絡が行くと思うから、それを見てくれ。なお、式への出欠の確認は学校で行う。提出期限があるから気をつけろよ」

 齊賀はそう言って、出欠確認のプリントを配った。そこには式の日付と内容が簡潔に記されており、切り取り線の下に出欠のチェックと保護者のサインをする欄が設けてあった。

 それから、式に参加するための班編成を行った。六人で班を組むことになっており、ナツメは志乃、信二、幸三、瑛美、浄美とグループを作った。

 生徒たちは、式を楽しみにしているらしかった。式について詳しく話してくれたのは、教師よりクラスメイトの方だった。

「お祭りは朝から準備して、夜遅くまでやるんだよ」

 班を組んだ後に、志乃たちが説明してくれた。

 祭りの準備は朝から始まる。みんなで体育館に集まり、式に参加するための衣装の着付けと化粧をするのだ。正午になったら各自笛や太鼓を持ち、演奏しながら町中を練り歩く。日が傾いてきたら、演奏をしながら山を登っていき、森の中にある広場で合奏と作文の読み上げを行う。月が頭の真上へ来たら、閉会のセレモニーを行って終了だ。

「特別な衣装を着られるんだよ」

 志乃が写真を見せてくれた。彼女の姉と兄が、袖と裾に慎ましい花のあしらわれた着物を着て微笑みかけている写真だった。

「男の子は甚平。女の子は浴衣。きれいでしょ」

 彼女の言う通り、衣装は特別なものだった。制服より色の濃い群青の布地でできており、ラメとも金糸とも異なる不思議な煌めき方をしている。この布地は我気逢町伝統の一品で、市場に出回ることのない希少な生地なのだそうだ。

 地域の子どもたちは、式でこれを着るのを楽しみに育ってきたらしい。

「屋台もたくさん出るんだよ。町の商工会の人達が用意してくれるの」

 町役場の道を上っていった先、森の中にひらけた大きな広場がある。そこが式の主会場になるのだが、祭りの日は会場に到るまでの坂道に屋台がずらりと並ぶ。頭上を提灯や花飾りが賑やかに彩り、ずらりと出店が並ぶ様子は圧巻らしい。

「閉会のセレモニーって、何をするの?」

「教会で、偉い人の話を聞くの」

 森の広場の一角に、古い教会がある。普段は施錠しており入れないようになっているのだが、祭りの日だけは開くのだ。

 ──教会。

 それを聞いて、ナツメの脳裏に忘れかけていた記憶が蘇った。

「教会って、青い屋根で背が高くて鐘がついてる白い建物?」

「そうだよ」

 ここへ越してくる直前、サービスエリアの望遠鏡で覗いた、父の幻を見た建物のことで間違いないだろう。

「滅多に中に入れないんだよ。楽しみだなあ」

「それより、みんなで屋台を見て回ろうよ。白井さんのところの綿あめ、今年は虹色にするらしいから絶対食べたい」

「ええ、めっちゃいいじゃん。写真撮ろう」

 式の内容には多少堅い部分もあるようだったが、ほとんど夏祭り同然という理解でいいようだった。

 親しい友人同士で、夏の特別な一日を楽しく過ごせる。友人達から聞いた夏祭りの話は、ナツメをわくわくさせてくれた。

 ただ、一つ問題があった。

 保護者から、式に参加する承諾を得ておかないといけない。

 父親が帰ってこない今、ナツメは母から承諾を得る必要があるのだ。

 母のこの町に対する悪感情は悪化に一途を辿っていた。近所付き合いをひどく嫌がり、最近はナツメか檜がついていないと外へ出ることすらしなくなった。買い物も、家の前まで品物を届けてくれるネットサービスを利用して済ませるようになっていた。

 はたして参加してくれるだろうか。ナツメはそれを考えると絶望的な気持ちになる。

 母は頑固だ。自分の忌み嫌う町の行事に、娘が参加することすら嫌がる可能性は高い。まず無理だろう。

 せめて父が帰って来てくれればいいのだが、その気配は一切ない。父の携帯に電話をしてみても、一切通じなかった。

 ──都合よく、パパを見かけたりしないかなあ。

 父親に出くわさないかと、何日か勤め先のヨシヨシ生体工業の門の辺りをうろついてみたこともあった。だが、正門から帰宅する車の群れの中に父親の車はなかった。

 まさか、父は会社にも行っていないのだろうか。

 別の不安が湧いて守衛室にいる制服の警備員に話しかけてみた。警備員はどこかへ電話をした後、ナツメに父はいると答えた。敷地内の社員寮に仮住まいしているという。しかしその後に二度と来るなと追い返されてしまい、以降門周辺に近づくだけで守衛からにらまれるようになった。

 父の勤め先ながら、変な会社だ。文句を言いたくてホームページに問い合わせ窓口がないか探したが、見つからなかった。電話番号も分からなかった。

 ──どうにかして、今夜ママから承諾をもらわなくちゃ。

 そう思う一方で、半ばあきらめている自分もいた。

 母は未だ不安定だ。ナツメがこの件を切り出して、どんな荒れ方をするか分からない。引越す前まで母がここまで不安定になったことがなかったため、ナツメはそんな状態の彼女を相手にするのが怖かった。

 ──やっぱり、やめようかな。

 ナツメは学校にいる間、何度も鞄の中のファイルにしまいっぱなしの参加承諾書を見た。その度、蒼白な母の顔が思い返されて、溜息が出た。


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