第2話 憎き悪魔

 頬を紅潮させながらエレガントにお辞儀する男は、忘れもしないあの憎き悪魔だった。

 顔と声は同じだが、黒い羽としっぽは見当たらない。それに何故か俺たちと同じ制服を着ている。


「あら、驚きすぎて声も出ないか。ハハハ」


 夢の映像が頭をよぎる。肩から腹までを切り裂き、最後は心臓に剣を突き立てた。あの時、確かに殺したはず……!


「……残念ながら、あのくらいじゃ死なないよ。まあ多少復活に時間はかかったけど。いい一撃だったよ、騎士クン♡」

「じゃあもう一度だ……っ」


 俺の得意な剣を現代日本で調達するのは不可能に近い。だからひなたを守るためにひと通りの格闘技と剣道は身につけた。それだけで敵う相手ではない、けど、ひなただけは殺させない。俺の命に変えてでも……!


 倒す方法を逡巡しながら、手頃な棒でも落ちていないかと辺りを見回すと、くい、と服の裾を引っ張られた。


「亜紀の知り合いか? 同じ制服だし、同級生?」

「っ、えっと……ひなた、これは……」


 悪魔は首をかしげた。まずい、気付かれた。

 ひなたに近づいてくる悪魔。咄嗟に間に割って入り、ひなたを背に庇う。


「もしかして覚えてないの? 王子サマ」

「は? 王子って……? それにお前と会った覚えはないんだけど」

「へぇ……!」


 悪魔はおもちゃを見つけた子どもみたいに目を輝かせ、俺とひなたを見比べた。そしてニヤリと口角を上げた。


「何も思い出していない王子サマに教えてあげよう。あんたはむかーし、ここじゃないどこかの国の王子で……むぐ」


 咄嗟に悪魔の顎を鷲掴んで開かないよう固定させた。王子は噛まれて毒を入れられた。牙には毒がある。触れてはいけない。そのまま引きずって、ひなたから引き離す。


「こいつとは昔、剣道の試合をしたことがあるんだ。ちょっと話してくるから待っててくれ」

「おう……?」



 ひなたに見えないように、悪魔の胸ぐらを掴む。今すぐ馬乗りになってボコボコに殴ってやりたいが、暴力はダメだってひなたに怒られる。


「はー、この素晴らしい美貌を力いっぱい掴むなんて、あんたにしかできないだろうね」


 押さえつけて赤くなった頰をさすりながら、悪魔は楽しそうにしている。


「王子サマにはナイショにしてるんだ。あんたはそれでいいの?」

「お前には関係ない。つか何で此処にいる……この世界にはファンタジーなんて存在しねぇんだよ。なのに呑気に現れてへらへら笑いやがって、次は徹底的に殺す。骨の髄までミンチにしてやる」


 ひなたに聞こえないよう小声で話す。


「うわっ、口悪……戦ったときそんなじゃなかったよね。もっと寡黙で王子サマに従順な騎士だったじゃん。現代仕様?」

「うるせぇ、まずは舌でも切り落とすか?」

「ふふ、そんなことしていいの? 日本で殺しは犯罪だ。俺を殺してもあんたは刑務所行き。だーい好きな王子サマとももう会えない」


 それは分かっている。前世とは法が違う。ファンタジーもない。悪魔で危険なやつだから殺したと言っても異常者扱いされる。


「……お前は悪魔だ。遺体は残らないだろ」

「残らなくても、監視カメラや人の目が至るところにある。この世界の人間の知恵は素晴らしいね。誰にも目撃されずに犯行を起こすのは難しいんじゃない?」

「チッ……」

「……怖い顔。安心してよ、今回はあんたらを殺さないから」

「は?」


 ニヤニヤと笑う悪魔が不快で顔を歪める。今すぐぶん殴りたい。我慢だ、我慢……! ひなたの笑顔を思い浮かべて拳を鎮めた。


「理由は2つ。現代日本は窮屈だ。法に守られて、魔物の力なんて信じられていない。未知の毒成分が~とか、犯人像や犯行同期は~とかで、殺した方がめんどくさいことになる。俺にもリスクはあるんだよ」

「じゃあこの世界に来んな。魔界かどっかに帰って石ころでも食っとけ」


 悪魔は面倒そうに肩をすくめた後、赤い目を光らせた。


「やだね。それはもうひとつの理由が大きいから。俺はあんたらに興味がわいた。戦った時、すっごくおもしろかったんだ!」


 おもしろかった……? 


「何が! 王子が死ぬところが? 人が死ぬのをおもしろいだって……!? ふざけるな!」


 それでも笑う悪魔を電柱に押し付ける。ひなたには角度的に見えてないはずだ。


「魔物と人間じゃ命に対しての価値観が違う。俺は簡単に死なない代わりに、何千年も同じ個体として生きる。それは途方もなくて、変わり映えもなくて退屈だよ。分かる?」

「分かってたまるか」

「人間はすぐに死ぬけど、短い中で波瀾万丈の人生を謳歌する。そして生まれ変わって別の生命としてまた生きていく。そういうもんなんだよ。俺は追い込まれた人間たちが苦しみにもがく姿が大好き。泣いて叫んだり、絶望したり発狂したり……」


 悪魔は俺の頰をするりと撫でた。全身に悪寒が走る。


「愛する人のために奮い立ち、執念で俺を倒したり、ね。ほら……また会おうね、って言ったでしょ。忘れちゃった?」


 妙に耳に張り付いた、あの言葉。

 ごくりと喉を鳴らした俺を見て、悪魔は肯定と捉えたようだ。ふふ、と笑いながら話を続ける。


「あの時、俺の好奇心は久しぶりに強烈な刺激を受けた。もっとあんたらのことが知りたい。だからこうして人間の姿で会いに来ちゃった。ほら見て、牙も羽もしっぽもないし、耳も長くない」


 悪魔は順番に体を見せつけてくる。

 長めの犬歯と多少尖った耳以外は人間そのものだ。


「ね、どこからどう見てもただの人間でしょ? そういうことで、あんたらのこと襲ったりしないよ。信じてくれる?」

「悪魔のことを信じられるわけないだろ」

「はは、ひどーい」


 会いに来ただけとは思えない。こいつは王子の仇。本性を表してひなたや周りの人間を殺すに決まっている。なら、その前に俺が……!


「亜紀、……と赤髪の人」


 ひなたの声に我にかえる。


「まだ時間かかるか? 俺、入学式のリハあるからそろそろ行くな。じゃ、ごゆっくり」


 腕時計はいい時間を指していた。


「ごめん待たせて! 俺も行く!」


 ひなたのきめ細やかな手を握り、悪魔を振り払い走り出したが……


「ってなんでついてくるんだよ! どっか行け!」


 悪魔は隣を並走していた。


「見てわかるでしょ。俺も同じ学校に入学するんだ」

「はあ!?」

「おっ、やっぱそうなのか。よろしくな!」

「うん、よろしくね。王子サマ♡」


 2人は俺を挟んで軽快に喋り出す。

 こいつは貴方の死因なんですよ……!


「その王子様ってのやめてくれないか? 王子とか訳わかんないし。俺は呉谷ひなた。お前は?」

「ひなたくん……いい名前だね。俺は桜花魔斗おうかまと


 なんで一丁前に日本人っぽい名前があんだよ!


「亜紀くんも、これからよろしくね」


 企んだ笑顔を浮かべる悪魔を睨みつけた。


「誰がお前なんかとよろしくするか! お前は絶対俺が……!」

「剣道の試合で桜花に負けたりしたのか? 因縁の相手的な?」

「いや、そのとき勝ったのは俺だけど……こいつの存在が気に食わない」

「え~~仲良くしようよ、亜紀くん♡」


 肩をつんつんと突かれたのを勢いよく振り払う。


「亜紀、ダメだぞ。ちゃんと仲良くしないと」

「ぐっ……」

「あはは! 怒られてるう」


 くそっ、誰のせいで……!


「そういう関係も見てておもしろいね。あんたらの行く末が楽しみだ」

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