第1話 消えた平和な高校生活

 白黒の景色と血の匂い。


『また 会おうね』


 耳にまとわりつく悪魔の囁き。同時に真っ黒な羽を持つ悪魔の心臓に剣を刺す。


 返り血を浴びた俺の腕の中には、悪魔の毒に侵され浅く呼吸する、お慕いしている大好きな王子……助ける方法はない。ただ、手を握ることしかできない。


『アルク、お前は強い……俺がいなくてもじゅうぶんやっていける。これからも国の役に立ってくれ……』

『おまえならできるよ』


 嫌だ、死なないで、王子。


『最期の命令だ。俺が死ぬまで、側にいてくれないか……?』

『はい……俺はずっと王子のお側にいます……!』



 綺麗な王子の死顔と、冷たい手を握る感触。


「ごめんなさい、王子。俺にはできません」


 頭でこだまする王子の声にうわ言のように言葉を返し、落ちている剣を手に取り自分の首に突き立てる。


 あなたのいない世界で、俺は生きていけない。






 ピピピピピピ……


 喉に鋭いものが刺さる感覚と、暗転する視界。

 ここでいつも目が覚める。手探りでスマホのアラームを止めた。


「また、あのときの夢……」


 何回見れば気が済むんだ。

 大切な人が自分の手の中で死ぬ夢。多いときには週1だし、3日経たず見るときもある。助けることもできずに、冷たくなる手を握り続けて、絶望して最後は俺もーー。


 何度見ても慣れることはない、最悪な記憶。



「亜紀ー! 朝ごはんできてるからね!」

「はーい!」


 出勤時間の早い母さんがバタバタと玄関を出ながら、大きな声で俺を呼ぶ。


「入学式、行けなくてごめんねーー!」


 バタンと玄関のドアが閉まった。もう高校生だし、気にしなくていいのに。

 そう、今日は入学式だってのに、あの夢はタイミングが悪い。気分が最悪だ。


 新しい制服に着替え、支度を済ませ、ラップがかけてある朝食を食べ、家を出る。


 あの方を迎えに行くため。




 家から徒歩数分の幼なじみの家。インターホンを鳴らすと、新しい制服を着て慣れないローファーを履きながら、ひなたが出てきた。


「はよ、ひなた!」

「おはよ、亜紀。制服似合ってるな!」

「ひ、ひなたこそ……!!」


 ひなたの太陽みたいな笑顔! ブレザー!

 土砂降りの雨だった気分が一瞬で晴れた。


「新しいお召し物がよくお似合いで……! こんなに大きくなられて……!」

「誰目線だよ」


 ひなたのツッコミにハッと動きを止める。


 また……やってしまった……!

 あまりにも似合ってるから! 新しいお召し物は刺激が強いんだよ! ちょっと袖余ってて着慣れてない感! 中学は学ラン、高校はブレザー! しかも同じ服を着られるなんて……制服文化に感謝!


「えーと、ひなたのお母さん目線……? って感じ……?」


 脳内での万歳と感動の涙は隠してそっと誤魔化しながら、並んで歩き出す。


「母さんでもそんな反応しないけど? お前、時々そういう風になるよな。俺のことなんだと思ってんだよ」

「はは……き、気のせい気のせい。ひなたは大事な幼なじみだよ」


 察しのいい幼なじみにヒヤリとしながら笑ってみせる。


「ふーん、気のせいね……でも俺もお前のこと、大事に思ってるから。隠し事とかすんなよ」


 これ以上ない嬉しい言葉と、汚れの欠片もない綺麗な笑顔に顔が火照る。


「あ、ありがとうございます……」

「お前、時々敬語になるよなあ」

「……癖」

「は??」


 幼なじみになって10年経っても、不意打ちされると敬語に戻ってしまうのだ。




 栗島亜紀くりしまあき、今日から高校1年。

 隣を歩いているお方は幼なじみで親友の呉谷くれやひなた。


 俺はひなたのことが好きだ。もちろん恋愛感情、ひなたを愛している。

 出会ったころ……いや、もっと前から。亜紀として生まれるより前、今朝の夢が夢じゃなくて、現実だったころから。



 俺には前世の記憶がある。王子に仕える騎士・アルクだったころのものだ。


 小学校に入る前、あの夢を初めて見た。妙にリアルで恐ろしくて悲しくて、目を覚ますと涙でぐしょぐしょになっていた。血の匂いを思い出して吐いたのを覚えている。


 小学校に入学して、隣の席の男の子と目があった。淡い茶色の髪と目。屈託ない笑顔と真っ直ぐで純粋な瞳。


 その瞬間に全てを思い出して、腑に落ちた。

 あの夢は前世で起こったこと。最期の記憶だ。

 どこだかわからない国の王子と騎士と、悪魔。悪魔の毒に侵された王子が息絶え、王子のいない世界に耐えられなかったアルクが自殺する最悪の終わり。


 そして目の前にいる男の子がまさに……お慕いしていた、大好きなクレール王子だと確信した。髪色も目の色も違う、でも絶対そうだと本能が告げた。俺が間違えるわけがない。


『クレール王子……!』

『おうじ?』


 王子も、生まれ変わっていたんだ……!


『おれは……あなたに仕えていた、騎士のアルクで……』

『あるく?』

『……っ』


 男の子は大きい目を瞬かせて首を捻った。

 王子は、俺のことを覚えていなかった。


 ショックだった。

 王子にとって俺は、忘れてしまうような存在だったのかと。王子に俺のことを思い出してもらいたかった。あの頃みたいに隣で笑って、信頼してほしかった。


 仲良くなるのに時間はかからなかった。身分もなくなり同い年で対等な関係になった俺たちは親友になった。


 時を過ごすうち、前世を思い出してほしいという気持ちは変わっていった。前世を思い出したら最期も同時に思い出すことになる。冷たい地面に倒れて俺ひとりの腕の中で、毒にうなされてあっという間に死んでいく、凄惨な……真っ直ぐで誠実で、みんなから愛されていた王子の最期が、あんなものになるなんて……



 そしてひなたは何も思い出さないまま、俺たちは高校生になった。


「どした? 亜紀、ぼーっとして。入学式緊張してんのか?」

「してないって。ひなたこそお父さんとお母さん来るんだろ? 新入生代表、いいとこ見せないとな」

「ただ文章読むだけなのに、いいとこ見せるもなにもないだろ」


 ひなたは中学では生徒会長、そして高校で新入生代表。みんなから頼られ文武両道で明るく性格も良ければ顔も良い。これは俺の言い過ぎではない。誇らしかった。王子のときから人柄は何も変わっていない。俺が大好きな王子のまま。

 今、ひなたが幸せならそれでいい。思い出してほしいってのは俺のエゴに過ぎない。信頼した騎士のことは忘れても、親友としてひなたの側にいられるだけで構わない。


 俺は隣でひなたを守り、平和な現代日本で前世よりももっと幸せな日々を過ごしてもらう! そう決めた!


 ……というかそもそも、俺はクレール王子に言われた『国の役に立ってくれ』を守れず自ら首を切った。こんなこと知られたら意気地なしだと怒られるし、愛想を尽かされるに決まっている。


 前世を思い出してから何度も何度も王子を守れなかった自分を悔いた。これは未練……だからあの夢を何千回も見るんだろう。


 もう、あんな目には遭わせない。

 俺の命に代えても守る。


「楽しみだな、高校生活。……ってなにガッツポーズしてるんだ? 気合い?」

「そう、これは気合い……!」


 前世の記憶が混同して、ひなたを驚かせてしまうことは多々あった。

 気をつけてはいるけど、そのまんまなんだよ。もう二度と会えないと思った、死に別れた大好きな王子がいるんだから。




 前世は現代日本とは全く違う世界だった。西洋文化だったのは間違いないが、剣とか魔法とか、魔物がいて……現代日本から見れば本に出てくるファンタジーの世界。あの憎き悪魔……黒い羽としっぽを持ち、身体を切り裂いても、端正な顔を歪ませて楽しそうに笑う……不気味な魔物がいた世界……


 幸いここにそんな非現実的なものは存在しない。魔法がなくて少し不便だと思うことはあっても、それをまかなう文明がある。素晴らしい世界だ。



 ーーそのとき、カラスのような不気味な黒い羽根が、俺とひなたの目の前に落ちた。


「おはよう、王子サマ、騎士クン」

「その、声……ッ」


 背筋が凍る。

 夢で何度も聴いた、忘れもしない、あの声。


 目線をあげると、綺麗に整った顔の男が立っていた。赤黒い髪と血のような深紅の瞳、透けるぐらい白い肌、人間とは思えないほど美しい……いや、こいつは人間じゃない。


 信じられない光景に心臓がドクドクと脈を打つ。


「なんでここに……」

「やっと、また会えたね……♡」

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