kalei do scope⑨

 目が覚めると、いつも通り、日はまだ昇ってはいなかった。ソフィアは寝過ごしてないことに安堵の溜息を吐くと、そろそろと起き出して階段を下りた。


「やあ、おはよう」


 階段を下りきったところで、ふいにそんな声を掛けられる。多少驚きはしたものの、それが聞き慣れた声だったので、ソフィアは大げさに溜息を一つ吐いた。


「また夜更かしですか?」


 『また』その言葉がとても懐かしくて、ソフィアは少しだけむず痒い心地になる。彼女が居るとき、ソフィアは何度この言葉を言ったことだろうか。その度に主は愛想笑いを浮かべるのだが、今回もまた、同じような表情をするのだった。


「悪い癖だとは分かっているんだけどね、どうしても止められない」


 主は椅子の上で大きく伸びをすると、ソフィアに紅茶を入れるよう申しつけた。ソフィアはいつもの様にストレートティーを入れようとするが、こう言う日はロイヤルミルクティーが良いと言っていたことを思い出し、地下倉庫から牛乳の入った金属製の容器を持ってくる。主の魔法のおかげで牛乳は少しも痛んだところが無いどころか、新鮮そのものだった。


 ソフィアは小鍋に牛乳を注ぐと、暖炉に火を淹れ、そこに設置された金物の上に小鍋をセットした。やがて、少し煮立ってきたところで砂糖を淹れると部屋に牛乳の甘い香りが広がる。


「落ち着く匂いだ」


 後ろで主が小鍋を覗き込むようにして言った。


「危ないですから、椅子に座っていてくださいませ」


 ソフィアはちろりと視線だけを向け、主にそう忠告する。主はその言葉を素直に受け入れると、椅子の上に座って先程まで読んでいた本の続きを目で追い始めた。


 そこからまた少し煮立ってきたところで、茶葉を入れたパックを二つ程投げ入れた。


「出来ましたよ」


 ソフィアはそれを丁寧な手付きでティーカップに入れると、主の前にことりと音を立てて置いた。


「ありがとう」


 主は感謝の辞を述べて、まだ熱いそれを一口だけ口に含む。


徹宵てっしょうして本を読んだ後のミルクティーは格別だ」


「ありがとうございます」


 ソフィアはお辞儀をして、朝餉の準備に取りかかる。しかし、彼女はその動作をはたと止め、自らの主を見遣る。それを不思議に思ったのか、主は片眉を持ち上げて使い魔を見た。


「どうかしたのかい?」


「あぁ、いえ。どうかしたという程でもないのですが……」


 主は空っぽになったマグカップを机の上に置いて、聞く体制にあることを示した。


「私も、寂しかったのだろうかと思いまして」


 素直に口から零れた言葉は、言ってしまってから笑ってしまいそうなほど、ソフィアの心の中にすとんと落ちた。


「私は家事妖精です。それも本当はとても小さく、主様の魔法で大きくして頂かなければこのようにしてお勤めすることも出来ません」


 主と出会って、様々な色がソフィアの中に増えていった。それはいつまでも漠然としていたし、彼女自身、こうして見つめ直すまで気づくことも出来なかった。


「昨日、アンダインやシルフと話していて、それが何かは私には分かりませんでした。正直、こうしてお話している今でさえはっきりと分かりません」


 主はじっとソフィアを見つめた。まるで、その真意を見抜くかのように、静かに。


「私は主様の使い魔です。それ以上でも無ければそれ以下でもありません」


 だからこそ、分からないんです。ソフィアは誰にでもなく、自分に言い聞かせるかのように呟いた。


「まあ、確かにわたし達の関係は主と使い魔だ。それ以上でも無ければ、それ以下でもない。だが、だからと言って寂しいと思ってはいけないというわけでもない」


「…………」


「そんな不思議そうな顔をされても、わたしとしても困るんだが……」


 主は、そう言って慈しむかのように、小さく息を吐いた。


「わたし達は恋人というわけでもない。かといって夫婦というわけでもない」


「それはもちろんです」


 ソフィアは主の言っている意味が分からずに、首を傾げた。


「そこまではっきり言われるとこちらとしても少し複雑だが……ようはそういうことさ。小さな妖精。いや、だったモノと言った方が正しいか」


 主はそっと立ち上がって、扉を開いた。優しい風が吹き込み、二人の髪を揺らす。外には太陽が昇り始めており、青みがかった白銀のような空が見えた。


「わたし達が関わった時間は呆れる程に短い。だからこそお互いを理解するのは難しい。わたしとしても分かっていたつもりだったが、やはり過去の事は私を縛り付けていたようだ」


 主は欠伸を一つして、ソフィアに微笑んだ。


「わたし達は友人とも、恋人とも、夫婦とも違う。どちらかと言えば家族に近い」


「家族……」


「そう家族だ。魂の結びは婚姻よりも、血のつながりよりも深い。故にわたし達は家族だ」


 その言葉はソフィアにとってどこかむずがゆかった。そして、何よりも温かかった。

「温かい言葉ですね」

 ソフィアが素直にそう言うと、主は嬉しそうに微笑んだ。


 彼女の過去は分からない。きっと聞いたら教えてくれるのだろうが、それは嫌だと思った。また、主の話したくなったときに、話してくれるだろう。昨夜のように。


「うん。良い朝だ。そうは思わないかい?」


 主は外に出ると、大きく伸びをしながらそう言った。


「えぇ。とても良い朝です」


 ソフィアも同じようにして、外に出る。


 小屋の周りに植えた、名も知らぬ花に、日の光がきらきらと反射している。それはまるで、主と出会うことで、自分に増えていった色のように思えた。


 主と出会わなければ、きっとこんな世界を見ることはなかっただろう。ずっと小さい姿のまま。誰かが小屋を訪れはしないかと待ち続けていただろう。主がいたから、私の中の色は、動き始めた。くるくると。まるで、万華鏡のように。


 出会えたのが主で良かった。ソフィアは驚くほど澄んだ心でそう思った。


「これから先、きっと様々な事があると思う。わたしだって完全な魔女になったとは言っても、まだまだ未熟で、人間であったときの記憶を捨てることは出来ないでいる」


 そう言って主は悲しそうに微笑んだ。


「だからこそソフィア。君と契約を結ぶことが出来て良かったと思う。お互いが一人だったからこそ、こうして結ぶことが出来ていると考えている」


「えぇ……」


 ソフィアは主の言葉を聞き逃さないように、目を軽く閉じる。


「きっとこれから先も呆れる程迷惑をかけてしまうと思う。わたしは最近やっと自分一人では生きていけないことを学んだ。ずっと一人で生きていると思っていた。そんな愚かなわたしとだが、これからも契約し続けてくれるかい?」


「もちろんです」


 ソフィアはそう言って小さく息を吐いた。


 この人の周りはとても様々な色で溢れているのだろう。それは主の持つ魅力なのか、それとも『半端モノ』である彼女にだから寄ってくるモノもあるのだろうか。


 だが、きっとそれはとても些細なことで、気にする方が馬鹿げているのかもしれない。それでも、主のおかげで自分の心には多くの色が増えたのは紛れも無い事実だ。一つひとつ色を足していくように。様々な妖精や、生き物と出会った。自分は大きなものよりも。いや、他のどんなブラウニーよりもきっと恵まれている。


「私は主様の使い魔になることが出来て、心から、よかったと思っておりますよ」


 そう言って微笑むソフィアの顔はとても晴れ晴れとしていて、美しいものだった。

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