kalei do scope⑧
「ところでソフィア」
主が食事の紅茶を口に含むと、自らの使い魔を呼んだ。
「どうかなされましたか?」
食事の後片付けをしていたソフィアは、手を止めて不思議そうに主を見る。
「わたし達が今の関係になって何年ほど経ったかな」
「まだ百年程度ですね」
ソフィアは洗い終わった皿を乾燥台に置いて、主に向き直る。主は、つっとティーカップの縁をなぞりながら、まだそれくらいか、とぼんやり呟いた。
「それがどうかされましたか?」
「いや、今日シルフと話していて少し気になっただけさ」
どうやら、シルフは主にも同じような話をしたらしい。ソフィアはそこにいれば良かったと少しだけ後悔したが、すぐに林檎料理を振る舞って喜んで貰えたことを思い出し、その念を打ち消した。
「あいつと初めて会ったのは、確かわたしがまだ魔女になったばかりの頃だった。そう、まだわたしの髪も黒い時分だ」
主は、紅茶の水面に石を投げ入れるように、ぽつぽつと言葉を続けた。
「この身体になってすぐは全てが憎くて、受け入れることが出来なかった。だからずっと彷徨い続けて、漸く辿り着いたのが茨に囲まれたあの空間だった。そこはとても陰鬱だったけれど、わたしの全てを受け入れてくれる気がしたよ」
ソフィアは黙って見つめることで主にその続きを促した。
「けれど、そこで過ごしたのは恐らく一月も無いかな。今思うと、あそこのシーオーク達には相当の迷惑をかけた」
「シーオーク……ですか?」
「そう。神聖な茨の茂みや、緑の丘に住む妖精のことさ。多分ソフィアは会ったことがないんじゃないかな? まあ、あそこのシーオーク達がバンシーと繋がっていたおかげで今のわたしがいる。それだけはきっと間違いない」
主は過去を懐かしむようにふっと小さく笑う。話の出ていたシーオーク達が、自分の知らない主を知っていることに、ソフィアは少しだけ不満げに思う。
「それからバンシーの使いとしてシルフが茨を訪れた訳だが、そこでなんて言ったと思う?」
「シルフがですか?」
主は笑いながら頷く。ソフィアは暫く考えてみたが、答えが見つかるはずも無く、諦めて首を横に振った。
「あいつはね、わたしを見るなり『こいつは良い魔女になる』と言ったのさ。わたしはそれがとても不思議でね。思わず笑ってしまったよ」
「良い魔女、それは少し……不思議ですね」
ソフィアの言葉に、主は愉快げに笑った。
「そうなんだよ。うん。魔女はこの科学が発展している世の中では、もう御伽話の中の存在だ。なんなら、この先はきっと、魔法を信じるだけで異端者扱いされる時代が来るだろう。それが分かっていたから、わたしとしても唖然としてしまってね。少しだけ自分のことを受け入れてしまった。あんなに憎かったのに――」
そう呟くように言った主の顔は何処か寂しそうで、痛々しいものだった。
「さあ、これで昔話はおしまい。続きは今度にしよう。聞いてくれてありがとう」
ソフィアはその言葉に、何も応えることは出来ず、ただ、小さく頭を下げただけだった。そう、まるでいつもの業務のように。
その夜、ソフィアは眠ることが出来ないでいた。ソフィアにとって、それはとても珍しいことで、最後にそうなったのはいつだったかと思い出す。
「主様が居なくなった日……」
ソフィアは窓から差し込む月明かりを見て、ぽつりと呟いた。そう言えばいつも主が家を空ける最初の日は必ず眠れなくなったな。そう思うと、黒いものがふよふよと心の中で浮かんでいるイメージが頭の中に溢れた。それはまるで雨雲のようだと。ソフィアは考えてベッドの中で小さく笑った。
そのイメージはなんなのだろうと考えていると、ふと今朝話をしたアンダインに言われた、寂しがり屋という言葉を思い出した。
私は寂しかったのだろうか。
ソフィアは寝返りをうちながら、その言葉を何度も頭の中で反復する。噛み締めるように、何度も何度も繰り返し、反駁し続ける。
自分の中で答えが見つからないのは少し、いや、かなり気持ちが悪い。ソフィアは再び寝返りをうつと、それから逃げる様にそっと目を閉じた。
――朝、目が覚めると、答えが見つかっているだろうか。
そんなことを願いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます