kalei do scope⑥

「緋色の魔女が完全な魔女になったのはいつだったかな」


「六十年ほど前ですね」


 シルフは今日の天気を尋ねるような気軽さでソフィアに訊ねたから、ソフィアも同じような調子で答えた。


「そうか。まだそれぐらいしか経っていないのか」


 シルフはまるで過去を懐かしむようにそう零した。


「オレと初めて会ったとき、緋色の髪はまだ真っ黒だった」


 どうして突然そんな事を言い出すのだろうか。ソフィアは訝しみつつも、彼の本心を知るべく、じっと彼の言葉に耳を傾けた。


「あいつはまるで、生まれたての赤子のようだった。何も分からないまま放り出されてよ。薔薇の茂みの中で、ずっと膝を抱えて震えていた。それでいて、少しでも近づくと炎を撒き散らして暴れてよ。あれが普通の薔薇の茂みなら大惨事だったろうな」


 シルフは苦笑いを浮かべながら紅茶を口に含んで、口内を湿らせる。


「オレ達の世界では過去がどうであろうと、受け入れるだけだ。だから余計な詮索はしない。それがずっと変わらないオレ達の掟だ。奴が話したくなれば自分で話すだろうしな」


「そうだと良いのですが」


 ソフィアは、出会った頃の主をぼんやりと思い出す。彼女は決して自分のことを多くは語ろうとしなかった。それでも、ソフィアにとっては些細な事だった。過去が気にならないと言えば嘘になるが、特別知ろうとも考えたことはなかった。


「主様は……」


 ソフィアは口にして、一度噤む。迷っていた。このことは胸の内に置いておかなければならないような気がして。


「言いたいことは分かっている」


 シルフはソフィアの言葉をすくうように遮った。


「あいつは昔からそうだからな。かつて人間だったからか、何でも自分一人で抱え込んで、解決しようとする。せっかく良い使い魔がいるのに勿体のないことだ」


「勿体ない……ですか?」


 ソフィアの言葉に、シルフは深く頷いた。


「そうともさ。オレ達は、自分だけでは生きていけないことを知っている。だから他の妖精や、生き物に助けを借りるし、利用したりもする。それがオレ達の中では普通だからな。緋色はそれを知らない。いや、知ろうとはしていないのかもしれないな。だからこそ、緋色を思っている使い魔がいるのに、頼ろうと出来ない」


 それから、シルフは、それが勿体ないってことさ、と言って笑った。


 勿体ない。と言う感覚は分からない。自分は家事妖精であり、彼女の使い魔でもあったから、道具であっても構わないと思っていた。それが主とソフィアの関係だとさえ思っていた。だからこそ、自分の中の感情を上手く飲み込むことが出来ないでいた。


「オレ達の寿命は人間なんかよりも遙かに長い。そのおかげで、他の妖精達や、同じような存在のモノ達と深い関わりを持つことが出来ると考えている」


「貴方は、私とも深い関わりを持てると考えていますか?」


 彼は一瞬目を丸くすると、今度は腹を抱えて大笑いをした。


「もちろんさ。お前だけじゃ無い。オレは緋色とも持てると思っている」


「主様ともですか?」


「あぁ。まだオレ達の関わりはそこまで長くはない。せいぜい一五〇年かそこらだ。その期間は人間にとっては長くとも、オレ達にとっては少し長めの昼寝をする程の短さだ」


 ソフィアはシルクのティーカップが空になったのを見届けると、二杯目を入れるために立ち上がった。注がれた紅茶の香りが、柔らかく部屋を満たす。この香りは至福だ、とソフィアは思った。


「あいつは自分の寿命を知らない。だから人間と同じように生きてしまうんだろうな」


「大きなもの……人間と?」


 ソフィアの言葉に、シルフは言い直す必要は無いと言って笑った。


「そう。魔女はこちら側の住人ではあるが、やはり人間に近いせいで脆い存在だ。だから、寿命はオレ達みたいにはっきりとは分からない。それに、人間の寿命はオレが言うのもなんだが短すぎると思う。それで友情や、思想、恋なんかを語るのは時期尚早だ。だから人間は醜く争うし、他の人間が自分を分かってくれないと思い悩んだりもする。オレから言わせて貰えれば、その短さなのだから当たり前なんだがな」


 シルフはそう言って苦笑すると、紅茶を口に含んだ。


「主様はきっと、まだ大きなものの頃の気持ちを忘れられていないのですね」


「忘れられていないっつーか、どちらかと言えば忘れないようにしている、みたいにも思えるがね」


 その言葉に、ソフィアは思わず片方の眉を下げてしまう。どういうことなのだろうか。


「簡単に言うと、あいつはずっと言い続けている『半端モノ』に自ら成り下がってる。ってことさ」


確かにそうかも知れない。ソフィアはぼんやりと思った。主は髪が全て緋色に染まってもなお、自らを大きなものと同様だと訴え続けているように思う。だからこそ、一人でふらふらと人里に出かけるし、大きなものの知識を得続けようとするのだろうか。


「主様は大きなものに戻られたいのでしょうか……」


 思わず呟いた言葉に、シルフは愉快げに笑った。


「それは自分で確かめた方がいい」


 ソフィアはその言葉には、上手く頷くことが出来なかった。

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