そして次の駅へ③

「優子と出会ったときからしたら、今こんなことになってるなんて考えられへんわ」


 霞さんが窓の外をぼんやりと見つめながら言う。その言葉の意味をいまいち掴むことができず、あたしは彼女の方に視線を向ける。


「どういうこと?」


 香織さんもあたしと同じだったようで、気持ちを代弁してくれる。


「ん? そんなに深い意味はあらへんよ」


 霞さんは欠伸を一つして、にへらと笑った。


「あのときはただ、想像でしかできてへんかったことが、こうして現実として手元にあるんが不思議やなあと思っただけ」


 その言葉に、あたしと香織さんは頷く。葉月だけが少しだけ疎外感を受けたらしく、不満げな表情を浮かべていた。


「それもこれも、葉月が来てくれたおかげだね」


 あたしが常日頃から考えていることを伝えると、先ほどとは一転して彼女は照れたような笑みを浮かべる。


「葉月ちゃんだけやあらへん。優子ちゃんが来てくれたからやで」


 なあ、と香織さんは同意を求めるように隣に座る霞さんに意見を求める。


「そらそうや。誰が欠けとったとしても、今こうしてるんは先ずないやろうな。なんもかもが、幸せな巡り合わせやわ」


 本気でそう言ってくれているのだと、彼女の透き通った目が教えてくれた。見ず知らずのあたしに、夢を持てないと悲観していたあたしに。偶然であったとしても、道標を与えてくれた二人には本当に感謝してる。


「わたしもそう思います! わたし、優子さんのベースライン好きなんですよねー」


「照れるんだけど……」


 優子さんのベースって不思議と叩きやすいんですよね。初めて音を合わせた日、彼女が言ってくれた言葉がふわりと浮かんでくる。今以上に捻くれていたあたしは最初、それはどうせお世辞なんでしょ。本当は下手くそって思ってるんでしょ、と心の中で彼女をなじっていた。


 しかし、音を合わせる回数が増える毎に、不思議と葉月のドラムと馴染む、自分の奏でるベースのメロディが心地よかった。


 今まで味わったことのない快感だった。助っ人のドラマーの方とはライブをする過程で何度か音を合わせたことがあったが、一度もこのような感覚に陥ったことはなかった。


 ベースとドラムが上手く調和し、互いのグルーヴが一つになる感覚。まるで、歯車と歯車がかっちりと噛み合ったかのような気持ちよさ。弾きやすいと、素直にそう思った。


 そして、正式メンバーとして彼女を迎えた初めてのライブ。霞さんと香織さんの知り合いが経営する馴染みのあるバーでの演奏だったが、同じ場所での演奏とは考えられないような心地よさだったことはまるで昨日のことのように思い出せる。


「やっぱり、優子さんのベースとは相性が良いです!」


 演奏が終わり、近くのマクドナルドで葉月とポテトを二人で分け合っていると、彼女が幸せそうな笑みを浮かべて言った。今度はその言葉がしっかりと受け入れられたから。


「ありがとう。あたしも葉月のドラム、弾きやすいよ」


 そう素直に伝えることができた。もちろん、メロディーの関係で喧嘩をすることだってある。それはお互いの考えを大切にしたいが故の喧嘩だった。


 だから、今もこうしてバンドという不安定な形をキープし続けることができているのだろう。


「バンドって……不思議ですね」


 気が付けば、そんな言葉が漏れていた。


「なんやそれ」


 霞さんがスマホを軽く弄りながら、笑う。


「いえ、なんとなくそう思っただけです」


 照れ隠しに外を眺めながら言う。窓に反射して映ったあたしの顔は、五年前の自分とよく似ているけれど、それでも確かに違うものだと感じられた。


「でも、ほんまに不思議やと思うわあ。私がこうやって今も音楽を続けてるなんて、高校時代の私が聞いたら大笑いしそうや」


 香織さんはふわふわとした表情で笑うと、じっとあたしを見つめた。


「音楽は魔法やから」


 優しく告げられた言葉は、身体にすっと染みこんで、溶けていく。


「魔法……」


 うわごとのように繰り返す。確かめるように。言葉をなぞるように。


「そう、魔法。音楽には色んな力がいっぱい詰まっとるんよ?」


 あたしは、ゆっくりと頷く。それは決して理解できないからではなくて、噛みしめたいが故の行動だった。心臓が、とくりと、鼓動を打った。

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