そして次の駅へ

そして次の駅へ①

 ふと、目を覚ます。


 まどろみの中のけだるさは、どこか心地が良いと思った。


「あぁ、起きたんやね。優子ちゃん」


 名前を呼ばれたから、その方向に視線を向けると、香織さんが今まで読んでいたであろう文庫本から顔を上げて微笑んでいた。


 どうしてこんな所にいるんだっけ。寝ぼけている頭を無理矢理動かして記憶の糸をたどる。そして、ある一点に辿り着くと、あぁ、と誰に言うでもなしに小さく呟く。


「かわいらしい顔で寝とったであんた」


 香織さんの隣では、霞さんが窓辺に肘を突きながら微苦笑を浮かべていた。新幹線の席を回転させ、向かい合うように座っているので、真っ直ぐにあたしの間抜けな寝顔を見られてしまったらしい。それが恥ずかしくて、誤魔化すように露骨に二人から視線を逸らした。


「昨日も遅くまでパソコンとにらめっこで疲れてたんですよ」


 あたしは喘ぐように小さく息を吐き出し、凭れていた窓から頭を起こす。一瞬だけ見えた外の世界には田園風景が広がっていて、生まれ育った渋谷の喧噪が少しだけ懐かしく思えてしまう。


 彼女たちと出会って、もう五年の月日が過ぎようとしていた。その間に名前の無かったバンドの名はケムリに決まった。霞さんの髪色は銀と紫の中間色が青に変わり、金、赤、様々な色のメッシュ、黒に。それから、今は深い緑色に落ち着いている。香織さんは、おっとりした雰囲気はそのまま、左腕に蝶とト音記号の色鮮やかな入れ墨を彫った。入れたときは驚いたけれど、不思議とそれが似合っていたから、あたしも霞さんも何も言わなかった。そして、あたしはと言うと、あのときに誘われるがまま、今も二人のバンドでベースを弾いている。まだまだお世辞にも上手いとは言えないけれど、音を紡いでいくことは楽しいと思えた。


「根を詰めすぎですよ、優子さん」


 それから、もう一人。あたしたちのバンドは神田葉月というドラマーを加え、ケムリは現在フォーピースのバンドとして活動をしていた。


 葉月は霞さんが通っていた高校の後輩――と、言っても直接的な後輩ではなく、OGとして数度訪れたら懐かれてしまったらしい。そして、霞さんが東京に行くと分かった日、自分も一緒に東京へ行くと泣き叫んだ彼女に、香織さんが『君が卒業したら、うちらのバンドで叩かせてあげるから』と無理矢理納得させたんだそうだ。


 そんな紆余曲折を経て、高校卒業と同時に二人というか霞さんを追いかけるようにして上京。今に至るというわけだ。


「仕方ないでしょ? フレーズが思い浮かんでないの、あたしだけなんだから」


 思い出すのは何度も打ち込んでは消し、打ち込んでは消しを繰り返したフレーズたち。今度の新曲の録音がこのツアーが終わってからと決まっているからこそ、あたしの焦りはひとしおだった。


「そう考え過ぎても、ええもんは浮かんでこーへんよ」


香織さんは優しくそう言ってはくれるけれど、あたしとしてはそれが申し訳なくて、下を向いてしまう。


 膝に置いた雑誌の表紙には、『ケムリ、二度目の東名阪ツアー決定!』の文字と、少しだけ格好をつけたあたし達のアー写が目に飛び込んでくる。インディーズ事務所と契約をして数ヶ月が経ち、初めて出したアルバムの冠ツアー。そんなことをさせてくれる今の事務所と契約したのも、葉月が加入してから一年程の出来事だった。


 物心がつく前から始めていたという葉月のドラムの腕は本物で、元々高校生離れのテクニックの持ち主として注目されていたらしい。そんな彼女が様々な有名バンドの誘いを断り、アマチュア界隈でも無名だった、あたしたちのバンドに加入したこと。さらには彼女の伝手で様々なバンドとの対バンを繰り返しているうちに、ケムリはそこそこ有名となってしまった。


 それは悪いことではないけれど、大学を卒業して数年ほどしか経っていないあたしからすれば、それはなんだか夢のような話であった。事実、今も目が覚めればあたしは霞さんと香織さんに出会った日の朝に戻るんじゃないかとさえ思っている。


 場違いではないかと何度も悩んだ。自分の下手さに泣きたくなることも数え切れないほどあった。それでも、うちらのベースは優子だけやと言ってくれたメンバーの暖かさに、今もこうしてベースを弾くことができている。

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