juvenile in midnight⑥

 それからあたしはもう少しだけ二人と話をして、家に帰ることになった。時計を見ると時刻はもうすぐ早朝の四時半を迎えるところだった。もっと経っていると思ったのにな。そう思うと、まるで夢の中にいたような気持ちにさえなる。


 帰り際、不安だから送ると言う二人の申し出を断って、玄関に立つ。履き潰したスニーカーが新品のような気がするのは、新しい風が心に吹き込んで来たからかもしれない。


「ほんまにええんか?」


 心配そうにあたしを見る霞さんに、あたしはもう一度だけ、大丈夫だと伝える。そこであたしはふと、ある疑問を口にいた。


「どうして、霞さんは人攫いのことを知っていたんですか?」


「そりゃあ……まあ、生きてたらいろいろあるってだけや」


 霞さんは少しだけ悲しい顔をして、そう言った。これからあたしも彼女達と付き合っていけばそんな情報も聞くことになるのだろうか。


「まあ、ここは東京ってことを除いても、世界の一部やからなあ。そうあり続ける限りどこでもあり得る話やわ」


 香織さんは欠伸を噛み殺すと、目尻に小さな涙を浮かべる。結果的に徹夜をしてしまったと少しだけ申し訳なく思う。


「そういうこっちゃー」


 霞さんの言葉に、あたしは小さく吹き出す。そうか、あたし達が悩んでいるのは、実はとても些細なことなのだろう。だから、もっと気楽に生きてみてもいいのかもしれない。


「あっ、そうや。うちも一つだけ質問してええか?」


「はい?」


「なんで優子は自分の名前、嫌いなん?」


 109前のことを思い出す。あのときは後ろに人攫いの人がいたから中断された会話。


「優子ってなんか古くさい気がして。それであんまり好きじゃ無いです」


 あたしが正直に答えると、霞さんは出会ったときの様に、愉快そうに笑った。前に感じた嫌悪感はそこにはなく、どこか暖かみさえも感じた。


「めちゃくちゃええ名前やん。それが古くさいとしても」


 霞さんは優しげな視線で、そう言った。


「そうそう。めっちゃええ意味やねんで?」


 香織さんまでそんなことを言う。あたしは意味が分からずに小首を傾げて二人を見る。すると、香織さんははんなりとした声で解説してくれた。


「優子の子って分解すると一と了になるんは分かるかな?」


 あたしは小さく頷くことで、続きを促す。


「それはな。初めから終わりまでって意味になるんよ。つまり、産まれてから死ぬまでってこと。ここまで言えばもう分かったんちゃうかな?」


「……あっ」


――産まれてから死ぬまで、ずっと優しい子でありますように。


 昔、あたしの名前の由来を親に尋ねた事があった。その時に父がそう教えてくれたのだ。


 こんなことも忘れていたなんて。あたしは口を押さえて、小さく笑った。


「ええ顔するやん」


 霞さんは自身の髪を軽く梳きながら言う。


「どうも」


 あたしの言葉に、二人が笑う。そのことが面白くて、あたしもまた笑う。きっと深夜テンションというやつだろう。はやく帰って寝ないと。


「それじゃあはよ帰りやー。また、連絡くれたら適当な時間に迎えに行くわ」


 霞さんの言葉に軽くお礼を言って、わたしは夜明け前の渋谷に足を運ぶ。


 深夜の無機質な闇は、実はとても暖かくて。


 けれど、現実味の無いところも、しっかりと存在していた。


 嫌いだった名前が少しだけ好きになったのは収穫かもしれない。


 黙って出て来たから、家に帰ったら両親に怒られるかも。なんてことをふと思い。


 そう言えば、今日は朝から小テストがあったな。なんてことをぼんやりと考えながら歩く。


 あたしが思っているよりこの世界は複雑で。けれど、とてもシンプルに出来上がっているのかもしれない。どうか、あたしが大きくなるまでこのままであって欲しいなと願う。


 どうか、どうか、どうか。あたしのような人が救われる世界でありますように。


 渋谷の地平線に、明るい一筋の日差しが差し込む。


 そんな光に目を細めて、あたしは意味も無く呟くのだった。


「あっ、夜明け」

                     〈了〉

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