juvenile in midnight⑤

「へぇ……。なんかいいですね。そういうの」


かっこいいな。あたしはぼんやりとそんなことを思った。なんとなくで生きてきた自分。別に夢も、こだわりも特に無く生きてきた。あるとすれば、あたしの名前についてぐらいだろうか。夢を持てと昔親に怒られた事がある。それは親だけじゃ無い。親戚の集まりでも。果ては学校の先生にもだ。


 小学校の卒業文集。みんなが将来の夢にスポーツ選手や、お花屋さんなどと楽しげな夢を書いている中、あたしの欄にだけ何も書かれていなかった。空白のその空間が、あたしの全てを言い尽くしているように思えて。薄ら寒い物を感じたことを覚えている。


「なんや。優子には夢、無いんか?」


 あたしはその言葉に言い知れぬ不安を覚える。別に夢が無くてもいいじゃないか。夢を持つことが難しくなった今の世の中では、それを持てないことは悪いことでは無いはずだ。


「……はい」


 絞り出した声は何処か尖っていて、それがあたしの喉をちくちくと刺しているような錯覚に陥る。


「まだ夢を持ってないってことは、これから持てるってことやな。真っ新や。ええやんええやん。優子が好きな夢を持てばええ」


 霞さんは子供の様な、無邪気な笑みを浮かべて言った。


「えっ?」


 思いも寄らなかった言葉に、あたしの思考回路は一瞬混乱する。どうして親のように、怒らないんだろう。今まで夢が無いことを責められ続けたあたしにとって、その言葉はとても意外だった。


「ん? なんかおかしいこと言うたか?」


 霞さんは急に不安げな表情になってあたしを見る。


「いえ……」


 声が掠れているのは今が真夜中だから。そう思わないと、心の中で上手く処理できない気がした。


「まあ、あれや。うちらみたいな確実性の無い夢はおすすめせんけどな。ごっつ楽しいけど」


 二人はもう一度顔を見合わせると、はにかむように笑った。そうか。彼女達は彼女達で夢を持つ苦しさを知っているのか。あたしは夢を持たないことの生き辛さを知っている。だからきっと。二人はあたしを笑わないのだろう。


 そう思うと、少しだけだけれど。あたしの肩から重荷が降りたような気がした。


「あたしも……」


 無意識のうちに漏れ出た言葉は止まることをせず、滑らかに零れ落ちていく。


「あたしも。そんな夢が、持ちたい」


 きっと、それはあたしの奥底にある本音だから。だから、否定しようなんて思わなかった。


「辛い道のりやで? 絶対に楽な道や無いし。まだお嫁さんになるとかの方が気楽やと私は思うけどなあ」


 香織さんは軽く伸びをすると、目を細めた。その目はあたしの心の奥底を見つめているようだったけれど、あたしは迷わずに頭を縦に振る。


「だって、人生は一度しかないんだから」


 あたしがはっきりと告げると、香織さんはにっこりと微笑んだ。


「なら、そうやなあ。本当にやりたいことが見つかるまで私らと音で遊ばん? 丁度メンバーを増やしたいと思っていたとこやったし」


 香織さんは「なあ?」と相変わらずの柔らかな笑みを浮かべたまま、霞さんに尋ねる。


「えっ? あっ、あぁ。低音パートが欲しいって話してたところやったからな」


 霞さんは少し遅れてから納得したのだろう。少しだけぎこちない笑顔でそう返した。


「で、でも……あたし楽器なんて……」


 頭では処理できても、突然の事で心が着いていかず、あたしの声は何処かよろよろとしていた。


「ええねんええねん。始めるのが遅かろうが早かろうが。才能があろうがなかろうが。大切なんはここやからな」


 そう言って霞さんはどんと、強く自らの胸を叩いた。彼女達に付いていけば、何かが変わるかもしれない。そう思うと、あたしの胸がどきどきと強く鼓動を打つのが分かる。これはきっと今まで感じることは無かった未来への期待。それのせいなのだと、本能が知っていた。


「じゃあ、少しだけ……。あたしが本当にやりたいことを見つける迄だけでいいなら。あたしも一緒に居たいです」


 その言葉を言ったあたしの顔は、どんな表情をしているのだろうか。見ていないから分からないのだけれど、今までより晴れ晴れとしていることだけは分かる。それはまるで夜明けの様だと思った。


「それじゃあ、改めましてよろしゅうな。優子ちゃん」


「よろしく優子」


 二人が呼ぶあたしの名前は、不思議と嫌になれなかったのは、何でだろう。

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