juvenile in midnight②
「なっさけない男やなあ。動物園の猿でも、もうちょいマシなこと言うで」
散歩するのも危ない気がして、そろそろ帰ろうかと思い始めた矢先。後ろから『関西弁と言えば』みたいなイントネーションの声が聞こえて来て、あたしは驚いて振り返る。
「なんや、前からは平気なクセに、後ろからは苦手なんか」
声の主は意味深にそう言うと、けらけらと笑った。ショートに切り揃えられた髪の毛を銀と紫の中間色に染めた女性は、あたしの顔を見ると、にやりとした。
「どうも」
あたしはなるたけ関わりたく無かったから、さっきの男よろしくその場を急ぎ足で立ち去ろうとする。こう言う変な髪色の人は関わらないが吉と、この十数年で理解した。
「ちょっと待ちーや」
女性はあたしの肩を掴んで引き留めた。あたしは関わりたく無いんだけどなあ。
「なんですか?」
強く睨むと、女性は「おーこわっ」と言って愉快そうに笑った。馬鹿にされているのだろうか。
「まあ、そんなにかっかしなさんなって。うちはあんたのきっぱりと言い切る姿勢に惚れ惚れしたんやで?」
そんな胡散臭い台詞に、あたしは顔を歪める。また面倒くさそうなのに絡まれた。こんなことなら家を出なければ良かったと後悔し始める。
「で、引き留めて何がしたいんですか? 身売りですか? 叫びますよ?」
あたしの言葉を聞くと、女性は腹を抱えて笑い出してしまう。なんて失礼な人だろうか。こっちは真剣だというのに。
「ごめんごめん。あんまりにもおもろいこと言うから、つい笑ってもうたわ。気分悪うしたら堪忍な」
女性は目尻に浮かんだ涙を拭いなが言った。
「まあ、いいですけど」
ぶっきらぼうになった声はどこか拗ねているようで、自分の子供っぽさに閉口してしまう。
「うちは
銀と紫の中間色の髪をした女性もとい井出さんは、すっとあたしの前に手を差し出した。かなり戸惑いながらも、あたしはその手を弱々しく握る。
「あたしは……竹中……です」
「下は?」
「……優子」
「漢字は?」
あたしは一瞬口をへの字に曲げて、説明する。
「優しいに、子供の子」
古臭くて大嫌いな名前。その名前で呼ばれるのが嫌で、みんなには上の名前か適当な渾名で呼ぶようにお願いしている。
「よっしゃ優子やな。これからそう呼ぶから、優子はうちのこと霞ちゃんって呼んでくれてええでー」
「いや、優子はちょっと……」
歯切れ悪いその言葉に、井出さ……霞さんは不思議そうな顔をする。
「なんや、優子って名前嫌いなんか?」
あたしは辺りをきょろきょろと視線を泳がせてから、小さく頷く。
お酒を飲んできたのであろう大学生ぐらいの人達が大きな笑い声を上げながら通り過ぎていく。そのままこっちに来てくれないかな。そうすれば逃げられるのに。
「うちはええ名前やと思うけどなあ」
霞さんはポケットから煙草のソフトケースを取り出すと、
「どこがですか」
あたしが吐き捨てるように言うと、霞さんの目が少しだけ鋭くなった気がした。
「まあ、立ち話もなんやし、ちょっと店行こか。あぁ、心配せんでええよ。うち売春とか人身売買とか反吐が出るほど嫌いやから」
霞さんは紫煙を強く吐き出すと、あたしの腕を捕って歩き始める。あたしが変なことを言ったから、怒らせてしまったのだろうかと若干不安になる。
「あっちょっ……」
あたしが抵抗しようとすると、霞さんはこちらに顔を寄せて、「静かに」と言った。
「ちょっと目立ちすぎたかも知らんわ。人攫い屋がこっち見とった」
真剣な表情にあたしは何も言えなくなってしまう。人攫い? 本当にいるのだろうか?
「調子合わせてな」
霞さんは小さく言うと、今度は満面の笑みで声を大にした。
「喉乾いたなー。優子もそう思うやろ?」
「え? あっまあ……」
あたしが驚きながらもそう返すと、霞さんは「もう少し覇気があってもええなー」と言って笑った。
それからあたしは霞さんから良く分からない音楽の話延々と聞かされながら、街の外れにある彼女の小さなアパートまで歩いた。
「ほら、行くで」
霞さんがあたしの背中を強く押す。なんとなくでついてきてしまったが、本当は彼女こそが人攫いなのではないだろうか。そう考えると、背中に暑さのせいとは違う、嫌な汗が一筋垂れた。
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