juvenile in midnight

juvenile in midnight

juvenile in midnight①

 ――別に大した理由なんて無かった。


 無理矢理に理由を付けるとしたならば、勉強に疲れただとかそんなの。少しかっこよく言えば世間、社会に疲れたから。


 だから、簡単に言っても難しく言ったとしても、あたしがこうして真夏の深夜を出歩こうと思い立った理由は『なんとなく』で片付いてしまうのだ。そんな軽い現実逃避もそこそこに、あたしは履き潰したスニーカーを引っ掛けて家を出た。


 時刻は日付を跨いだばかりで、きっとシンデレラの魔法も溶けてしまっている頃。そんな時間に、家ではずっと良い子ちゃんを演じていたあたしは、生まれて初めて一人で夜の都会へと足を踏み出した。


 夜の闇は嫌に無機質で、その冷たさが何処か心地よくさえあった。


 渋谷の街は今夜も寝静まることをせずに、呆れ返るほどのネオンが煌めいて、老若男女を問わず、様々な人間が出歩いている。見る物見る物全てが昼間と違っているように見えて、心が少し浮ついているのが自分でも分かる。


 普段は絶対に踏み入れない、深夜のハチ公前。あたしの家がある住宅街とは雲泥の差がある賑やかさ。それだけでここが本当に同じ区の同じ時刻なのかと疑わしくなる。


 空を見上げると、よく晴れた空に月が一つ。孤独に咲いていた。星が周りにいないそれは、さながら高嶺の花を体現しているようだとさえ思えた。


「今夜、どう?」


 夏のじっとりとした空気があたしを覆っていて、それに対する苛立ちを覚え始めた頃。109の前で、くたびれたスーツ姿のサラリーマンからそんな声をかけられた。


「結構です」


 あたしがきっぱり断っても、男は尚も食い下がる。


「ホ別、五万でどう?」


 ちらつかされたお金は、今月のバイト代よりも一枚分だけ少なくて、あたしは呆れてしまう。くだらない。給料より少なかったことが問題なんじゃない。あたしが汗水垂らして働いた給料も、彼からしたらほんの一夜を過ごす代金でしかないことに呆れたのだ。


「あたし、そんなに安い女じゃないんで」


 あたしがきっぱりと言うと、男は一瞬間抜けな顔をしたあと、顔を真っ赤に染めた。まるでそれがテレビで見た猿みたいだったから、あたしは思わず笑ってしまう。


「馬鹿にしやがって!」


 男はそう叫ぶと、あたしを強く睨み付けて足早に去って行った。


 ぼんやりとその後ろ姿を見ていると、横断歩道を渡りきった所で男が振り返った。その顔は相変わらず猿みたいで、間抜けだなと思う。


「ちょっとかわいいからって調子乗ってんじゃねえぞ!」


 ちょっととは失礼なと言ってやろうとしたけれど、男がさっさと何処かに行ってしまったので、あたしは肩を竦めただけだった。何だか肩透かしを食らった気分。


 生暖かな風が吹いて、少しだけ汗ばんだ身体に余計な気持ち悪さを与える。

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