第35話 ジスターン

 ジスターンだと名指しされた女は、ニヤリと笑ってイオルの問いを肯定した。


「ジスターンの一人、ウェンド」

「セルフィを離せ!」


 イオルが力いっぱい剣を振り抜くと、ウェンドはセルフィアを手放して後ろに跳んだ。彼女を追わず、イオルの手はセルフィアの体を受け止める。


「セルフィ」

「ごめっ……イオ、ル。こほっ」

「喋らなくて良い。多分あれが」

「うん。……こほっ。わたしを突き落としたのは、あの人だ」


 咳き込みながらも、セルフィアの言葉ははっきりとしている。龍の儀のあの場所で、当時は緊張と戸惑いで気付かなかった気配。その正体が今、目の前目の前にあると直感する。


「あの龍の儀で、わたしを突き飛ばしたのは貴女ですね?」

「その通り。……まさか生きているなど、思いもしなかったがな」


 どうやって生き残った。ウェンドに問われだが、セルフィアは何も言わない。答えてそれを確かめようにも、助けてくれたタルタリアはもうこの世にいないのだから。

 セルフィアたちが黙っていると、ウェンドは「はぁ」とため息をつく。そしてちらりとミシャを見て、指を鳴らした。


「ま、良いか。ここで全員殺して、シャルガーダ家が牛耳れば良いんだ。でしょ、シャルガーダ卿?」

「その通り。終わらせてくれるか?」

「はーい」


 そう言うが早いか、ウェンドの指から火の粉が舞い踊る。意思を持つように動き回るそれは、斬って捨てようとするアーロンをもてあそぶ。


「なんだこれ!?」

「何って、魔法だよ。あんたが植物を使うなら、わたしは炎で応戦するだけ」


 ウェンドが「あんた」と呼んだミシャは、ようやく眼の焦点を結んだ。セルフィアがウェンドに捕まった時に放置されていたが、目覚めて立ち上がった。


「そんな気持ちのない魔法になんて、負けないよ」

「気持ち? 何それ」


 馬鹿馬鹿しい。ウェンドはミシャに標的を切り替え、火の粉の雨を降らせる。触れた部分が焦げて、嫌なにおいが漂う。


「お願い、手伝って」


 ミシャの頼みに応じ、庭の植物たちが動き出す。木々の枝が伸び、蔦が地を這い、ミシャを守る屋根を作る。しかし蔦や細い枝は火の粉に燃やされ、その役割を果たしきれない。

 それでも何度も何度も屋根が作られ、ミシャは火傷を負うことなくそこに立っている。ウェンドは「ちっ」と舌打ちし、手を前に突き出して魔力を集めて大きな火の玉を形成していく。


「そろそろ面倒くさい。……焼かれて死ね」

「――っ」

「ミシャ、逃げて!」

「ミシャ!」

「くそっ」


 人一人分ほどの大きさに一気に成長した火の玉が、弾丸のようにミシャに迫る。

 セルフィアとイオルはシャルガーダ卿に協力する兵士に遮られ、アーロンもまた、一人倒した直後で間に合わない。

 ゴオッと燃え盛る炎が、ミシャの体にぶつかった。


「――! ミシャぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 セルフィアの悲鳴が響き渡り、シャルガーダ卿は勝利を確信した。




 一方それよりも少し前、シャルガータ王国の王城の一室。

 ジオリアは夕食までに終わらなかった仕事を片付けようと、自室に書類を持ち帰っていた。仕事着のまま机に向かい続ける主人の傍では、彼を案じたオルファードがホットミルクを入れている。料理長の作ったクッキー付きだ。


「殿下、そろそろ仕事を止めませんか? またクマが濃くなりますよ」

「あと五枚……。というか、殿下と呼ぶな。ここは私の部屋だぞ、オルファード」

「あと五分で仕事を止めるのならな。明日、宰相たちに分ければ良いだろう? 頭を使うことに関しては、彼らの方が知識も経験も多い」

「年の功だな。よし、今日はこの辺りで……騒がしいな?」


 夜中と言っても差し支えない時刻になっているが、外がなんだか騒がしい。普段ならば人通りがないことに加えて雪が音を吸収し、ほぼ無音に等しいのだが。

 ジオリアの言葉に、オルファードも窓の外を気にした。


「見て来ようか? 侵入者なら、摘まみ出さないといけな……」


 その時、廊下を誰かがバタバタと走る音が近付いて来た。ジオリアとオルファードは顔を見合わせ、その誰かが来るのを待つ。

 ――ドンドンドン。

 ほどなくして、扉がやや乱暴に叩かれた。余程急いで来たのだろう。


「夜分遅く、失礼致します! ジオリア殿下、起きておられますか?」


 声に聞き覚えがあり、ジオリアはちらりと無言でオルファードを見た。すると彼が頷き、城の者だとわかる。


「起きている。入れ」

「失礼致します!」


 礼儀正しく部屋に入って来たジオリアと同年代の青年は、ジオリアがまだ仕事着である礼服を着用していることに目を見張る。しかしそこには触れず、姿勢を正して「ご、ご報告があります」と告げた。


「――イオル殿下が戻られました」

「あいつ、戻ったのか。何処にいる?」

「はっ。もう殿下のもとへ来られている頃かと思ったのですが」

「ですが?」


 どうしたんだ。ジオリアは嫌な予感がして、少し詰問口調になっている自分に気付かなかった。胸騒ぎがして、顔をしかめる。

 険しい表情のジオリアを見て萎縮してしまう兵士を哀れに思い、オルファードはそっと従弟に囁いた。


「……ジオリア」

「あ、ああ。すまない。続けて」

「はい。な、中庭で、イオル殿下たちとシャルガーダ卿が争っておられます!」

「シャルガーダ卿が……」


 実はこの日の昼間、ジオリアはシャルガーダ卿とその娘であるファーナを呼んで沙汰を示していた。

 ファーナを修道院へ、父であるベシード・シャルガーダの爵位剝奪と家の断絶、本人の郊外への追放と監視。人一人を殺しかけた罪としては軽いが、これ以上の重い罰を与えるにはシャルガーダ家は強過ぎた。

 家人など今回のことに加担していないと証明された者たちに関しては、望む者には新たな仕事先を紹介することになっている。

 ファーナは泣き叫び、イオルにふさわしいのはあの庶民ではなく自分だと言い張った。ベシードはやけに静かだったが、その静けさは嵐の前触れだったらしい。


(素直に応じはしなかったか。……王座への執着か)


 シャルガーダ家と王家であるシャルガータ家は、もともと同じ家系だった。しかし三百年前、兄弟が対立して本家と分家に分かれ、家名も変えた。兄の家がシャルガータ、弟の家がシャルガーダ。

 王家の本流と認められなくなったシャルガーダ家は、その始まりから王座に固執し続けている。


「オルファード」

「わかってるよ、ジオリア。あんた、知らせてくれて助かった」

「ああ、礼を言う。持ち場に戻ってくれて構わない。その時、逃げようとする者は全て捕らえろと城中に通達して回ってくれ」

「承知致しました!」


 兵士の青年を見送り、ジオリアとアーロンはすぐに廊下へ飛び出した。

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