第32話 タルタリアの願い
小さな空間に入った四人は、横たわって眠るその人物をじっと見つめた。
美しい黒色の髪は長く伸び、白い肌に深い青を基調としたシンプルながらに高級感のある衣装が映える。固く閉じられた目の奥にある色はわからないが、規則正しい寝息をたてる彼は一体何者だろうか。
「……なんだか、知っている気がするんだけど」
「奇遇だな、俺もだ」
「イオルも?」
起こすのも忍びなく、ひそひそと話し合っていたセルフィアとイオルだが、幾ら話しても答えは出ない。こんな谷底で眠る青年など、常識の範囲を逸脱している。
どうすべきか。皆が頭を悩ませる中、セルフィアはふと思いついた名を口にした。
「……タルタリア様?」
「えっ」
「知っていたのか、彼の人の姿を」
イオルに問われ、セルフィアは首を横に振った。
「知らない。知らないけど、多分そうなんじゃないかなって……」
「勘、か。でも、その勘を信じるよ」
「……ありがとう」
自分が真剣に言うことならば、イオルは必ず信じてくれる。その信頼があるからこそ、セルフィアは不確定なことでも口に出来た。
ミシャは二人の掛け合いを聞きながら、青年の横にしゃがんで彼の顔を覗き込む。
「でも、眠ってるよ?」
「起こすのも、何だかな。かわいそうな気がする」
「だね。どうしようか」
四人が顔を見合わせる中、眠っていた青年の瞼が震える。あっと思わず声を上げたミシャに応えるように、深海の色をした瞳が顕になった。
ぼおっとしていたが、何度か瞬きを繰り返して覚醒する。
「きみたちは……。セルフィア、イオル殿下。帰って来たんだね」
「貴方はやっぱり、タルタリア様……」
言葉を詰まらせるセルフィアに、背の高い青年は頷く。
「何故か、数日前に人の姿に戻れたんだ。これもきみたちのお蔭だね。ありがとう」
「いいえ、そんな。……あの、体に不調とかありませんか?」
「不調はないな。まあ、時間がないことだけはよくわかるけれど」
「――っ」
わかっているのだ、タルタリアは。セルフィアを始め、全員が察した。タルタリア自身が、彼の存在の限界を理解していると。
言葉を失うセルフィアたちを見て、タルタリアはクスッと笑った。
「そんな深刻そうな顔をしないで。これはわかっていたことだし、私自身が望んでいたことだ。……異形の姿で、生かされ過ぎた」
龍のテンペストとして夜眠りについた数日前、彼の夢にシーリニアが現れたのだという。
「五百年前から一切変わらない、あの姿で。流石に驚いたけれど、それ以上に嬉しかった。この世で、もう一度あの人に会えたから」
「……シーリニアは、何と?」
「涙を流しながら、謝ってくれたよ。『許されようとは思わない。けれど、貴方のことが本当に好きでした。ごめんなさい』と」
「……」
「その時に、わかった。もうこの人は、この世にいないんだ。最期に別れを言うために、夢を渡って来てくれたんだとね」
その時、タルタリアは己の呪いが解ければ死ぬことを教わったという。運命を狂わせた魔女は、それでも呪いを解くかと尋ねた。
静かに語るタルタリアに、イオルは口を開く。
「その姿でいるということは」
「うん。私は選んだんだ。……呪いを解き、死ぬことをね」
「後悔はないんですか?」
「後悔?」
イオルの問いに、タルタリアは首を横に振った。ない、という意思表示だ。
「この五百年、無為に過ごしたと思っていたんだ。この国の冬を終わらせることも、魔女を、シーリニア様を見付けることも出来ずに。……だけど、そうではないと気付いたから」
長過ぎる時間の中で、様々なことに出会った。龍の姿で人前に出ることはほとんどなかったが、その力で旱魃の空に雨を降らせれば人々が笑顔と力を取り戻して復興を遂げた。森で迷子になった少年に道を教えた時は、一生の思い出にすると微笑まれた。
「人として生きている時には得られなかった、得難い経験をした。そして最期にシーリニア様に……きみたちと会えたことは、私の……おれの、生きてきた理由にならないかな?」
「タルタリア様、姿が!」
セルフィアが叫んだのも無理はない。タルタリアの体が徐々に透けて、向こう側の壁が見えるようになっている。
自分の変化に気付き、タルタリアは苦笑した。
「そろそろ時間だね。……最後の最後に、頼みを聞いてくれるかな?」
「頼み?」
「そう。……おれのこと、様を外して呼んでよ。それで、友だちになって欲しいんだ」
柔らかい声が、最期の願いを運ぶ。セルフィアたち四人に、断る理由はなかった。
「勿論、タルタリア。……また何処かで、会えると信じてるからな」
「タルタリア。オレはアーロン。達者でな」
「ミシャだよ! タルタリア、またね」
「タルタリア……っ」
言葉に詰まるセルフィアの目元を拭い、タルタリアは「笑って」と囁いた。
「きみと会えたことが、始まりだった。本当にありがとう、セルフィア」
「……っ、タルタリア! わたしこそ、ありがとう!」
ボロボロと泣きながらも、セルフィアは懸命に笑顔を作る。そんなセルフィアに頷いたタルタリアは、彼女の後ろに目をやって肩を竦めた。
「案ぜずとも、
「――っ、俺は何も」
カッと顔を赤くしたイオルに、タルタリアは微笑むだけで何も言わない。その時には、もう足は無数の光となって消えていた。
「お別れだ。……変わる世界で、きみたちが幸せであることを祈っているよ」
「また、会おうね。タルタリア」
「……うん。友だちになってくれて、ありがとう」
その言葉を最後に、タルタリアの姿は何も残さずに消えてしまった。夕刻から夜になる僅かな、奇跡のような時間。
ただ、一人の友人との別れを惜しみ四人の姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます