第30話 ミシャの家

 タルタリアが住む谷へ行く道すがら、セルフィアたちは一度ミシャの家に寄ることにした。ミシャは遠慮したが、アーロンが「一日くらいベッドで寝ないともたないぞ」と言ったことで実現した。

 アスバンダに着いたのは、シーリニアが消えた翌日の昼前。シーリニアが呪いを解いた影響か、昨晩は夜冷え込まずに雪も降らなかった。


「何だか、初めて感じるような気温だな」

「コート要らないかも?」

「ねえ、陽射しが温かいよ」


 道すがら、人々の何気ない話し声が耳に入る。セルフィアたちは顔を見合わせ、シーリニアが確かに約束を守ったのだと頷いた。


「確かに、昨晩は温かかったな」

「宿に泊まってた他の人たちも話してましたね」

「このまま、伝説と言われる春が来るのかな」

「かもしれないな。……兄上はどうされているのか」


 イオルが気にしたのは、王城で政務にあたっているはずの兄のこと。シャルガーダ卿の処遇についても、頭を痛めていることだろう。


「お前を突き落とした奴も、おそらくまだ明らかになっていないだろうな」

「……でもそれは、軽業師たちが言っていたジスターンの仕業なんじゃ?」

「それは、シャルガーダ家が隠し続けてきた存在だ。俺たちはあいつらから聞くことが出来たから知ったが、兄上は違う」

「王城に帰ったら、ジオリア殿下にお話しなければならないな。イオル」

「そうだ。だが、タルタリア様のところへ行くのが先だけどな」


 明日には着けるはずだ。イオルの言葉を聞きながら、セルフィアはふと彼が自分の目を見ないことに気付いた。


(微妙に避けられてる?)


 首を傾げたが、今は尋ねる時ではない。そう考えたセルフィアは、一旦その疑問に蓋をした。


「あ、着いたよ」


 そう言ったミシャがパタパタと駆け出す。アスバンダの東の方に位置する閑静な住宅街の一角に、彼女の自宅はある。両親を喪ってから一人で暮らしてきた家は、シャルガーダ卿の刺客が侵入してからそのままになっていた。


「……うん、他に荒らされた様子はないよ。ものも盗まれてない」

「よかった。あのまま出ちゃったから、確認出来なかったもんね」


 家の中を一周して確かめたミシャに、セルフィアはそう言って微笑んだ。自分のせいで彼女にまで家を離れさせたのだから、何かあってはいけないと思っていた。

 自宅を確かめて余裕が生まれたのか、ミシャは「お茶入れるね」とキッチンへ入って行く。セルフィアが手伝おうかと申し出たが、座っているように促された。


「セルフィ、こっち来いよ」

「あ、うん」


 イオルに誘われ、セルフィアは今のテーブルの椅子に腰を下ろす。彼女の向かい側にイオルとアーロンが座っていた。


(今がいいかな)


 セルフィアはミシャの家に着く前に気付いたことを、今ここで尋ねてみようと思い立った。イオルとアーロンは、地図を広げて今後の旅のルートについて話をしていたが、会話が切れるタイミングを見計らう。


「ねぇ、イオル。一つ訊きたいことがあるんだけど……」

「何だよ?」

「何で目が合わないの?」

「――ぐっ」

「……ふっ」


 セルフィアの疑問に対してイオルは言葉に詰まり、アーロンは吹き出した。

 肩を震わせるアーロンを、イオルはキッと睨み付ける。


「アーロン、お前」

「ふふっ……。悪いな、イオル。だけど……くっ」

「笑い過ぎだ」


 ギリギリ大笑いを我慢しているアーロンに、イオルは顔を赤くして怒っている。その表情に驚きつつも、セルフィアは彼の顔に何か別の感情が混ざっている気がした。


「イオル? あの、何か訊かない方がよかった?」

「いや、俺も不自然だった自覚はあるから。……この件が全部終わったら、きちんとセルフィに話すよ。それでも良いか?」

「わかった。待ってるね」

「――ああ」


 そこへ、丁度ミシャがお茶を運んで来た。

 ミシャを手伝うセルフィアを眺めながら、イオルは小さく息をつく。すると、アーロンが肩をつついてきた。


「イオル、セルフィアは覚えてないみたいだぞ?」

「魔女を説得するために必死だったからな。……あれが本心じゃなかったとしても、俺は伝えるよ」

「ま、頑張ってみろ」

「ああ」


 残念そうに、でも少しほっとした顔をしたイオルが頷く。その後すぐセルフィアたちとミシャが入れて来てくれた紅茶について話していたため、アーロンが呟いた一言は聞こえなかった。


「……オレには、昔から両片想いに見えてるんだがな」


 早くくっつけ、とは言わない。二人のペースがあり、アーロンにそれを咎める筋合いはない。ただ少し、ヤキモキするだけだ。

 アーロンが話を聞いていないと見たミシャが、身を乗り出す。


「アーロンさん、谷には明日の朝向かうって聞いてました?」

「聞いてたよ。オレが買い出しに行ってくるから、三人は家にいてくれ」


 そろそろ腹が減るだろう。アーロンがそう言うと、イオルが「俺も手伝う」と手を挙げた。しかしアーロンは首を横に振る。


「イオルは二人と一緒にいてくれ。オレが一番、軽業師とあったとしても何とでもなるからな」

「でも……」

「たまには側近の言うことも聞け。セルフィアとミシャのこと、守ってくれよ」

「わかった」


 不承不承の体のイオルに頷かせ、アーロンは三人に留守を任せて夕刻の町へと繰り出した。

 アーロンの帰りを待つ間、セルフィアたちはミシャの家から谷への道筋を確かめようと地図を広げる。シャルガータ王国は王都を中心に爵位を持つ貴族によって治められる領地と王族の直轄地、そして住民の自治区に大きく分けられる。それぞれの往来は自由で、交易も盛んだ。ただし、港は凍ってしまうために陸路が主な手段だが。


「それもきっと、今後変わっていくだろうな。陸路だけでなく、水運も使えるとなれば、選択肢が広がる。旅を船ですることも可能になるかもしれない」

「そうだね。ここに川があるから、水運が使えたら王都までもっと短い時間でいけたのにね」


 アスバンダの町には大きな川が流れており、それを伝うと王都にたどり着く。


「でも、今は歩いて行かないとね。ここを行くと王都だけど……その谷って何処にあるの?」

「この辺りだ。俺がタルタリア様と出会ったのはこの辺り。セルフィは?」

「わたしは多分、ここかな。龍の儀の場って書いてあるし。……タルタリア様に会いたいな」


 命を助けてくれた、龍の姿をした元王子。彼はもう消えてしまっただろうか。気になるが、生きているかどうかわかるのは、明日を待たなくてはならない。

 セルフィアの沈んだ声色に気付き、イオルは彼女を励まそうと机の上で指を組んでいたセルフィアの手の上から自分の手で覆った。


「あっ……」

「明日、会いに行くぞ」

「うん」

「ボクも、会えるって思ったら楽しみだよ」

「――ただいま。楽しそうだな、三人共」

「おかえり、アーロン」

「おっ、おかえり!」

「おかえりなさい!」


 丁度帰って来たアーロンを三人で手伝い、グラタンとスープを完成させる。すべてが終わった頃、四人は暖かな食事を楽しんだ。


 翌日。一転して緊張感を持ち、セルフィアたちは谷の底目指して道なりに歩いて行った。

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