第29話 さよなら

 人の顔ほどの大きさの欠片が目の前に落ちて消えた時、シーリニアはふぅと息を吐いた。目を閉じ、開く。その時、表情は混じり気なく真剣なものだった。


「時間がありません。この場で、解呪します」

「……お願いします」

「私こそ、早くやりたかったのかもしれません」


 そう言って微笑むと、シーリニアは空中に指で何かを描き始めた。描いたものは輝きを帯び、魔法陣だとわかる。

 大きな円、一回り小さな円。それらの中、そして重なるように文様が描かれていく。美しい模様は、しかし何処か悲しげでもあった。

 シーリニアが頭上に描く間にも、空からは大小様々な大きさの欠片が剥がれ落ちて行く。その幾つかはセルフィアたちの傍にも落下し、四人は時折それを躱した。

 一心不乱に魔法陣を描いていたシーリニアは、ふと描くスピードを緩めてセルフィアに呼びかける。その声は落ち着いているが、何処か憂いを帯びていた。


「……セルフィア」

「はい」

「これを描き終わった瞬間、魔法は発動します。だからあなた方は、私が合図をしたら全力でこの場を離れて下さい」


 世界の崩壊は、あなた方が逃れるまで食い止めますから。シーリニアの言葉に、セルフィアたちは確かに頷いた。ミシャが何か言いたげにしたが、呑み込む。


「わかりました。……シーリニア、貴女とは別の形で会いたかったです」

「……そうですね」

「でも、会えてよかった」

「……私も、セルフィアに、あなた方に出会えてよかった。出会わなければきっと……いいえ、今はそれを考えてはいけませんね」


 それから、シーリニアはどんどんと魔法陣に模様を描き足していく。複雑にもかかわらずぐちゃぐちゃにならず、見事な陣を描き出す。

 この魔法は魔法陣を間違えたら終わりですから、とシーリニアは独り言た。


「……よし」


 あと一つ。シーリニアは呟くと、そっと最後の文字を加えた。大きな円の外側に古代文字が並び、文字を書き終わると同時にフォンッと音を響かせた。


「今、走って!」

「はい!」


 シーリニアの鋭い合図を受け、四人は踵を返した。脱兎のごとく無我夢中で走り、こちらとあちらの境界線を超える。




 セルフィアたち四人の足音が遠ざかるのを聞きながら、両手を伸ばしたシーリニアは一人魔法陣の発動を抑え込んでいた。バチバチと烈しく燃え盛るような痛みに耐えながら、ふっと口元を緩ませる。


「あなた方に出会えたことは、私の長過ぎる人生で最後の喜びでした。……最初はやはり、貴方に会えたことでしょうね。タルタリア様」


 思い出されるのは、懸命にシーリニアの講義について来る彼の姿。初めてシーリニアの魔力を借りて魔法に成功した時の笑顔。そして、二人きりで見た夕暮れの美しさ。


(……全て、私のせいで失ってしまいました。最期に、罪滅ぼしは、少しくらい出来たでしょうか)


 おそらく、これから向かうのは天の国ではない。次の生はないだろう。それでも、とシーリニアは微笑んだ。


「ありがとう、と言うべきでしょうね。そして、ごめんなさい。……一つ贈り物をしておきます。貴女の役に立ては良いのですが」


 その時、シーリニアの目尻から透明なものが一筋流れ落ちた。それを拭うことなく、シーリニアは魔法を抑え込んでいた手を離す。


「全て、解き放って」


 その言葉を最後に、シーリニアの創った世界は全てこの世から消え失せた。




 爆発することもなく、音もなく、一つの世界が消える。霧が晴れるように、元から何もなかったかのように。殿しんがりを務めていたアーロンが境界線を超えた瞬間、四人の目の前でシーリニアは己が創った世界と共に消えた。


「シーリニア……」

「……」

「……会えて、よかった。憧れの魔女に、最期に会えた」

「……ああ、そうだね」


 ぐすぐすと泣くミシャの頭を撫でて、アーロンは感傷に浸っているセルフィアとイオルに声をかけた。


「この後、どうする?」

「呪いは解かれた。だからまず、タルタリア様の所に戻ろう。彼がどうなったか気になるから」

「シーリニアの言い方だと、俺たちが行ってももういないかもしれないな。それでも良いのか?」

「そうだとしても、良いよ。確かめておきたいだけだから」

「わかった」

「了解」


 セルフィアは二人の同意を得ると、ミシャの前にしゃがんで彼女を見上げた。真っ赤な顔をしているミシャの前髪を指で上げ、問いかける。


「ミシャ、行ける?」

「うん、行く」

「ありがとう」

「わわっ。……セルフィア」


 憧れの人に会って、すぐに永遠に別れなければならなくなった。そんなミシャを案じたセルフィアだったが、彼女の目の光を見る限り杞憂だったようだ。

 気丈なミシャを抱き締め、セルフィアは照れ笑いを浮かべて離れた。

 イオルもアーロンも、二人の気持ちを考え、あえて何も言わない。

 そこで、ふとセルフィアは気付いた。


「……ミシャ、どうする?」

「どうするって、何が?」

「これから行くのは、王都の近く。つまり、ミシャの家を通り過ぎることになっちゃうんだけど……」


 本来ならば、ミシャとはそこでお別れだ。ずっと一人暮らしの家を空けるのも良くないだろう。セルフィアが言うと、ミシャは頬を膨らませた。


「……セルフィアは、ボクを最後まで連れて行かないつもりなの?」

「えっ。だ、だってミシャは」

「ボクも、もうセルフィアの仲間だ。だから、最後まで見届けたい。それに、ボクが一人になったところを軽業師に襲われたらどうしたら良いのさ?」

「あ……」


 ミシャの言う通りだ、とセルフィアは思い直す。軽業師たちはセルフィアの口封じのために動いているが、ターゲットとしてミシャも捉えられている可能性はとても高い。彼女を守る意味でも、一緒にいるべきか。

 迷うセルフィアの背中を、イオルが押した。


「ミシャの言う通りだ。ここまで関わったのに、家に帰ったらもうおしまいだなんて、悲し過ぎるだろう」

「イオルさんの言う通りだよ!」

「……うん、わかった。全部が終わるまで、わたしたちと一緒にいてくれる?」

「勿論!」


 一転して微笑むミシャに抱きつかれ、セルフィアは口元を緩ませた。彼女とて、ミシャとすぐにお別れは嫌だったのだから。

 それからイオルとアーロンに見守られていることに気付き、こほんと咳払いをする。


「えっと……うん、行こう。タルタリア様のところに」

「行こう!」

「数日はかかるだろうが、王都にも帰らないとな」

「帰ったら、やることがたくさんあるぞ。……シャルガーダ卿たちの件も片付けないとな」

「……ああ」


 四人はクォーツァルを出て、龍の儀が行われたあの谷へと向かうことにした。

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