龍王子と魔女

第28話 消えゆく世界

 どうするのか。アーロンに問われ、シーリニアは眉間にしわを寄せた。


「……私は、何処で間違ったのでしょうか」

「少なくとも、王子を龍に変えるべきではなかっただろうな。そして永遠の冬の到来なんて大技、使ってはいけなかった」

「貴方の言い分だと、私は最初から間違えたのですね」


 そもそも、タルタリアと出会ってはいけなかった。シーリニアが呟くと、それは違うとセルフィアが叫ぶ。


「シーリニアとタルタリア様は、出会うべくして出会ったんです! わたしがイオルやアーロン、ミシャに出会ったように。その後に間違いを犯したとしても、貴女のその大切な想いまで否定しないで!」

「セルフィア……」

「わたしは、タルタリア様を人に戻してあげたい。彼もそれを望んで、龍でいることに危機感を持っていた。どうして貴女がイオルを欲しがるのかはわからないけれど、貴女に彼を渡すことは出来ません。代替案を貰えませんか?」

「……」


 シーリニアがセルフィアに目を向ければ、後ろから彼女を抱き締めるイオルと目が合う。眼光鋭く威嚇する彼に肩を竦め、ぼそりと呟いた。


「あっけないものですね。こんなことで、考えを変えられてしまうなんて」

「シーリニア?」


 セルフィアに問われ、シーリニアは泣きそうな顔で微笑んだ。


「私の負け、です。貴女から、イオル殿下を盗ることはしませんわ」

「わ、わたしからって……。でも。え?」

「……呪いを解いて下さるんですか、シーリニア様」


 ミシャに訊かれ、シーリニアは「ええ」と頷く。


「あれは禁術。私もこの世界に身を置くことで反動から逃れてきましたが、そろそろ時間切れが近いようですし」

「時間切れ?」


 イオルが聞き返すと、シーリニアは無言で空を指差した。見上げれば、今まで晴れ渡っていたはずの空の雲行きが怪しい。

 じっと見つめていたミシャは、ふとおかしなことに気付く。雲にしては動かず、灰色がかった色をしている。


「いや、あれは雲じゃない……?」

「そう、雲なんかじゃない。あれは、限界を迎えつつある世界にほころびが生じていることを示しています」

「え、どういうことなんですか? ここは、クォーツァルではないんですか?」

「その名を持つ場所を。私が以前、隠れ住むために創り出した実在しない世界、私以外の存在しない無の世界です」


 シーリニアによれば、この世界が失われた後に残るのが本物のクォーツァルだと言う。最初にセルフィアたちがたどり着いたのが鏡に映された虚像、今いるのが写し取られたシーリニアの世界、そして残るのが本物のクォーツァルだ。


「写し取った世界は、時の流れがありません。私も五百年間時を止めることで、反動から身を守ってきました。それも、そろそろ終わりのようですね」

「反動、とはなんですか?」

「――反動とは、禁術を使った術師が必ず負う罰のようなもの。様々なものがありますが、私の場合は、世界のことわりを捻じ曲げました。本来ならば、もうここに生きてはいないのです」

「生きてはいない?」

「理を捻じ曲げる禁術は、術師の命を燃やして発動するものです。ですから、本来私は、魔法を発動した時点で死んでいた。それでも生き残ったのは、己の時を一切進めなかったから。時を止める魔法を重ねて使ったからです」


 しかし、それにも限度があるとシーリニアは言う。


「正直、五百年ももつとは思いませんでした。せいぜい、数百年が関の山だと思ってましたから。それでも私がこの世に留め置かれたのは……」


 息をつき、セルフィアたち四人を見回す。驚く者、戸惑う者、噛み砕き呑み込んだ者、そして泣きそうになっている者。四人それぞれ反応は違うが、シーリニアは微笑んだ。


「あなた方に、私が出会うためだったのかもしれませんね」

「……貴女が死んでしまったら、タルタリア様はどうなってしまうのですか? ずっと貴女を捜していたのに」


 今ならば、身分も何もかも、しがらみを全て取り払って共にいることが出来るだろう。それは出来ないのか、とセルフィアは問いたかった。

 すると、シーリニアは少し驚いた顔をしてから「優し過ぎる子ね」と微笑む。


「私は、選択を間違えた時から罪人です。そんな者に、情けをかける必要などないのですよ」

「だとしても、一度タルタリア様が愛した人です。だから、あの人の想いを知ったからこそ、罪も咎も全て横に置いて尋ねています」

「……出来ないのです」

「何故」

「……タルタリア様は、龍として長く生き過ぎました。人の姿に戻ったとしても、時を一度求めていないあの方の生きた時間に、人の体が耐えられない。龍の姿を失ったと同時に、彼もまた死んでしまうでしょう」

「そんなっ」


 呪いを解けば、タルタリアがまた人として生を全う出来ると思っていた。しかし現実はそう甘くはなく、人に戻った途端に死んでしまう。王国を傷付けずに済むかもしれないが、会いたがっていたシーリニアと会う機会は永遠に失われるのだ。

 あまりにもな展開に、セルフィアは言葉を失った。

 シーリニアは寂しげに「それが私の罪です」と呟いた。


「タルタリア様の人としての生を奪った責任は、私の命を持って償います。それでは全く足りないでしょうが。……確かに愛して幸せを願っていたはずなのに、私は、貴女とは別の道を選んでしまった。愛する人を悲しませては、元も子もないのに」


 その時、ヴゥンと蜂が耳元で羽ばたくような音が聞こえてくる。セルフィアたちが全員一斉にその音がした方を見ると、空が欠けていた。欠片が空気を裂くように落下し、先程のような音を鳴らしたらしい。

 ――ヴゥン。ヴン。ヴウン。

 幾つもの欠片が地に落ち、消滅する。


「――終わりですね」


 シーリニアが呟いた。

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