クォーツァル

第22話 忘れられた里

 シャルガーダの刺客との戦いもあり、結局山を下りるまでに二日かかった。その間に互いのことを知ることが出来、必要な時間だったとセルフィアは思う。

 ミシャは最初、王子と側近の二人に対して緊張していた。しかし山を下りる頃には、朗らかに会話出来るくらいには打ち解けていたのである。


「ミシャ、こっち?」

「地図を見るとそうだよ。……わかってはいたけど、人家なんてないね」


 セルフィアがいるのは、山を越えた先にある次の山に近い里。里と言うべきかもしれない。

 ミシャの言う通り、クォーツァルとかつて呼ばれた土地には人の気配がない。野生動物の気配が濃く、人家は崩れてその元の姿を想像することも難しい。

 アーロンによれば、クォーツァルは二百年前には限界集落の状態に陥っていたという。そこから人口を回復させることは叶わず、ほどなくして人の姿は消えた。

 好き勝手に生えた植物の間を通り抜け、かつての里の中心部を目指す。


「ほぼ森だな。二百年あれば、人里も森になるのか」

「感心している場合ではないだろ、イオル。ここからどうやって魔女を捜すかが重要だ」


 イオルはアーロンの言葉に頷き、ぐるっと周囲を見渡す。しかし見えるのは木々ばかりで視界は決して広くない。


「俺たちは魔力を全く持たないからな……。ミシャ、きみはどうなんだ?」

「……。かすかにだけど、感じるよ。全部を拒絶しているみたいな、悲しい色の力」

「悲しい色……。きっと、それがシーリニアの魔法だね」


 かつて愛していた王子にすら自分の居場所を知られたくなくて、気配を絶った一人の魔女。彼女をどうやって見付け、更に説得するのか。セルフィアは無計画ではあったが、気持ちだけは強く持っていた。


「セルフィ、どうやってシーリニアと会う気だ? ミシャが魔法をぶつけて素直に出て来るとも思えないし、俺たちに至ってはその手段すら取れない」

「うん、そうだよね。タルタリア様が捜された時も、一度も見付けられなかったって……?」

「セルフィ?」


 セルフィアはさっと人差し指を口元に当てると、声を潜めた。


「今、空気が揺らいだ気がした」

「空気? ……感じないな、今は」

「セルフィア、もう一度さっきのセリフを言ってみてくれるかい?」


 アーロンに言われ、、セルフィアは先程よりもやや大きな声で同じセリフを言う。


「『タルタリア様が捜された時も、一度も見付けられなかったって』」

「あっ」

「お」

「おっ」


 今度こそ、全員が空気の揺らぎを感じた。顔を見合わせ、頷き合う。これはもしかしたら、いけるかもしれない。

 イオルは、特に揺らぎを大きく感じた里の奥に向かって歩き出す。


「タルタリア様、本当に会いたがっていたからな。タルタリア様の願いを叶えて差し上げたいよな」

「そうだな。タルタリア様とはオレは面識がないけど、お前たちの話を聞いていると会ってみたくなるよ。タルタリア様に」


 不必要なほど、イオルとアーロンは「タルタリア様」と連呼した。その名が呼ばれる度、空気の揺らぎが大きくなっていく。


(何か、見える?)


 セルフィアに目には、揺らぎ波紋を浮かべる空中に、別の景色が重なって見えていた。タルタリアの名が聞こえるとすぐに、向こう側の景色が波紋の間から見える。

 セルフィアが目を凝らしている間に、ミシャもイオルとアーロンと共にわざと「タルタリア様」と口に出す。


「イオルさん、タルタリア様ってどんな人なのかな」

「タルタリア様のことは、文献からはほとんどわからない。ご本人が廃嫡されたとおっしゃっていた通り、タルタリア様に関する記録は残されていないんだ」


 タルタリアという名の王子がいたこともまた、家系図にも載っていない。いなかった存在として扱われた異形の青年は、今も自分と戦い続けているのだろう。

 タルタリアの名を口にする回数が重なっていくと、空気の揺らぎは魔力を持たないイオルたちにもわかるようになっていく。二つの景色が重なって見え、イオルは顔をしかめた。


「酔いそうだ……」

「たぶんもう一声かも」

「うん」


 セルフィアは頷き、大きく息を吸い込んだ。ぐらぐらと揺れ回る世界の中に、シーリニアに繋がる道があると信じて。


「――っ。聞こえているんでしょう、シーリニア! わたしたちは、タルタリア様の想いをあなたに伝えるために会いに来ました。どうか、姿を見せて下さい!」


 ――グラッ。


「きゃっ」

「うっ」

「何だ、これ」

「め、目が回るかも……」


 地面は揺れていない。しかし視界が複雑に動いていた。水を張った桶に絵の具を垂らしてそれを軽くかき混ぜた時のように、マーブル模様を作る時のように、ぐちゃぐちゃな世界の中、何かが垣間見える。


「何か、見える」

「本当だ。色の違う緑の葉……もしかして、見えているこの景色は偽物か?」


 目を凝らしていたセルフィアに、イオルが言う。彼の言った「偽物」という言葉に、セルフィアは心から同意した。


「そうだと思う。多分、見えているのはシーリニアが隠れるために創った幻覚。それが彼女の同様に共感して揺らいで、本当の景色が見えて来たんだ」

「ねえ、セルフィア。本当の景色の中に行けるかな?」


 ミシャの言葉に頷き、セルフィアたち四人はそっと歪んだ景色の中へ手を伸ばす。そしてカーテンを引くように、歪みを掴んで思い切り引いた。


「――わぁ」


 歪みが霧散し、表に現れた本物のクォーツァルの景色。それは偽物と同様に緑の深い元里の景色ではあるが、一つだけ大きく違う点があった。


「家がある」


 セルフィアたちがいる場所からそれほど遠くないところに、一件の小屋のような家が建っていた。

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