第11話 女将の厚意
(一度家に戻って色々持ってくればよかったな……)
気が急くばかりで、後先を考えていなかった。図書館のスタッフの親切に触れ、そんな自分に嫌気が差したセルフィアは、それでも温まったお腹の中のものに感謝をした。
「まずは、進めるだけ進んでみよう」
誰も話し相手がいないのは寂しいが、魔女を見付けるまでの辛抱だ。途中でお金を稼ぐ方法も考えなくてはならないなと思いつつ、セルフィアは一路アジュールの町に向かった。
途中木の実を採集し、川で魚を捕まえて焼いて腹を満たす。地上での狩りも出来ればもっと良いのだろうが、残念ながらそちらの経験はない。
ホリューステンを出て、一日経過した。
セルフィアの前に、ある村が姿を現す。ホリューステンとアジュールの間に位置するその村は、名をショームと言った。
大きな町と町の間にあるということで、旅人や商人が一晩の宿を求めることが多いのだろう。宿屋や土産物屋、食堂などの店が中央通りに軒を連ねている。セルフィアはおっかなびっくりしつつ、先を急ごうと早足になった。
その時、突然「ちょっと!」と女性の声で呼びかけられる。誰が叫んだのかと振り返れば、宿泊客を見送ったばかりの宿屋の女性だった。
「あの、何でしょう……?」
「何でしょうじゃないわよ! そんな恰好で、アジュールまで行くつもり? あなた、今にも倒れそうじゃない!?」
「え? ちょ……おぉぉぉぉぉ?」
突如腕を掴まれ、セルフィアはその女性に引きずられて宿に入れられた。更に「今は誰もいない時間だから」と風呂に放り込まれ、着替えを用意され、挙句の果てには「賄いの残り」だと言って食事まで出されてしまった。
ほかほかの食事を前に唖然としているセルフィアの傍に、彼女をここに引きずり込んだ女性がやって来る。
「お腹が空いているでしょ? 食べると良いわ」
「でもわたし、お代払えません!」
「私の趣味。お腹を空かせた子どもを放ってはいられないの。見付けたら、お菓子でもおにぎりでもあげちゃうのは日常茶飯事。だから気にしなくて良いわ」
「……良い人過ぎる」
茫然と女性を眺めていたセルフィアだが、出されたものを食べないのは逆に失礼だと言われてしまいそれもそうだと納得した。おずおずと塩むすびとスープを口に運び、空腹を実感する。
「……とてもおいしかったです。ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした。この部屋で休んでいくと良いわ。明日の朝までなら、誰も泊まりに来ないから」
じゃあね。そう言って食器の片づけと共に去ろうとする女性を、今度はセルフィアが勢いよく引き留めた。
「待って下さい! 何か、何かお礼させてください!」
「おいしそうに私の作ったものを食べてくれた、それだけで十分よ?」
「いや、無償過ぎて申し訳ないです。……あ、そうだ」
セルフィアは、女性に台所と材料を使わせてもらえないかと頼む。すると彼女は快諾してくれ、セルフィアはほっと胸を撫で下ろした。
「――よし」
無償で風呂と食事を用意してくれた宿屋の女性は、女将のハナダといった。若い頃に旅行先で泊まった宿の雰囲気が忘れられず、今の宿屋を作ったらしい。
セルフィアは一人、小麦粉や卵、バターを使ってあるものを作ることにした。途中、何も出来ない時間は宿屋の雑用を手伝い、再び作業に戻る。
日が暮れかけた頃、セルフィアは仕事がひと段落したハナダを調理場に誘った。
「これは……!」
「お礼に、ちぎりパンを作ってみました。ジャムとかバターとかつけて、たくさんあるのでよかったら皆さんで」
ハナダの前に用意されていたのは、ウサギのちぎりパンだ。手のひらサイズのパンが六個ずつ縦横に並び、こちらを見上げている。
ウサギの可愛さに目を輝かせながら、ハナダはセルフィアの勧めに従ってパンにジャムをつけて食べてみた。すると柔らかで少し甘めのパン生地とジャムの甘酸っぱさがいい塩梅を生み出し、思わず笑顔がこぼれた。
「おいしいわ、セルフィアさん。焼きたてのパンってこんなにおいしいのね」
「喜んでもらえて、嬉しいです。これでもパン屋の娘なので、パン作りは得意なんです!」
「こんなお礼を貰えるなんて思わなかったわ。本当にありがとう」
「わたしこそ。……素性も知れないわたしにご飯もお風呂もふるまってくださって、本当にありがとうございます」
もう行きますね。そう言って立ち去りかけたセルフィアの背に、何かが押し付けられる。振り返れば、小さなリュックサックだった。
「それ、娘のお古なの。十年前に嫁いで出て行ったから、使って? その中に貴女の着ていた服も綺麗に洗って入っているから」
「……何から何まで、本当にありがとうございます。このご恩は、忘れません」
「気を付けて。貴女が何処を目指しているのは聞かないけれど、目的が達成されることを祈っているわ」
「はい。……それでは」
もう夜も遅い。泊って行けと言えばよかったかとハナダが気付いた時には、既にセルフィアの姿は夜の町に紛れて見えなくなっていた。
「……まあ、一晩は泊まらなくてよかったかもしれないわね」
「女将、お客様です」
従業員がそっと耳打ちしたのに頷き、ハナダは表情を改めて宿の一室に入った。彼女を待っていたのはおよそ宿屋の客とは思えない軍服を着た精悍な顔つきの男だった。
「お嬢様より、こちらに、依然申し上げた銀髪の少女が来ていないかというお尋ねです」
「……いいえ、見ておりませんわ」
「そう、ですか。もしも『そうではないか』という人物がおりましたら、お知らせ下さい。フィーナお嬢様のご命令です」
「承知致しました」
では、と男が去って行く。ハナダはほっと息をつき、窓の外に見える月を眺めた。あの娘を宿に入れたことが知られるのは、きっとすぐだろう。そうなれば、彼女は逃げ切れるだろうか。
(本当は、一晩泊めてそのまま引き渡すつもりだったのだけれど)
自分も甘くなったものだ、とハナダは自嘲する。昔は主の家のためならば、何でも犠牲に出来たのに、と。
「あのパン、本当においしかったわ。だから、かしらね」
おそらく、今頃他の従業員たちも舌鼓を打っている頃だろう。ハナダはその光景を想像してクスッと笑い、仕事に戻るために立ち上がった。
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