第9話 二人の王子
王城の倉庫にあった最も長い綱を持って来たが、それが谷底まで降りる際にどれほど役に立つかは未知数だった。何せ、谷の深さを知る者はいなかったのだ。
綱が途中でなくなってしまうことがないようにと祈りつつ、イオルは一人綱を伝い降りて行く。部下たちには周辺の警護と捜索、そして再び地上に戻る際に綱を引っ張り上げることを命じておいた。
当然のように一人で行くことを止められたが、イオルは一切首を縦には振らなかった。イオルにとって、セルフィアは大切な幼馴染だ。その死を前にした時、誰かの目を感じながら泣くことは出来ないと考えていた。
「――っと、着いたか」
幸い、綱は崖下の地面近くまで垂れ下がっていた。イオルは階段三段分ほどの差を跳ぶだけで、着地に成功した。
暗さに目が慣れず、しばらくその場に立ち尽くす。そして少し慣れて来た時、近くに何かの気配を感じて腰の剣に手をかける。
「誰か、いるのか?」
「……」
「答えろ。俺は、イオル・シャルガータ。シャルガータ王国第二王子だ」
「……王国の第二王子、とは。二度と王国と縁が出来ることもないだろうと考えていたが、そうでもなかったようだな」
ず、ず……。何か大きなものが這う音が近付いて来て、圧力を感じる。イオルが暗闇に目を凝らすと、突然鋭い青の眼光が見えた。
「り、龍!? ……やはり、神話は本物だったのか」
「お前が察している通り、私の名はテンペスト。……いや、第二王子だというきみに、その自己紹介は失礼にあたるね」
「どういう、ことだ?」
突然口調の変わったテンペストに、イオルは戸惑う。テンペストという名は、王城の図書館で借りた本で見たことがある。しかし、名乗ることが失礼にあたるとはどういうことか。
イオルがテンペストの言葉を待っていると、テンペストはじっとイオルの顔を見つめた。そして思いがけない言葉を口にした。
「私の本当の名は、タルタリア・シャルガータ。五百年前廃嫡された、元シャルガータ王国の第一王子だ」
「タルタリア……? 家系図は一通り目を通したけれど、そんな名前は……いや、廃嫡されたのならば名前が残らないのは当然か」
「理解が早くて助かるよ。その通り、私は廃嫡されて元々いなかったものとして忘れ去られた。実際は、この姿になって長い時を生きて来たんだけれど」
この姿とは、龍の姿のこと。タルタリアの告白に、イオルは適当な言葉が見付からない。辛うじて、ふと湧いた疑問を口にした。
「どうして、龍の姿に?」
「大まかには、君たちがよく知っている伝説の通りだ。魔女が私を龍に変えた。……勿論、脚色は大いにあるけれど」
「……その話は、おそらく王国の王子として聞かなければならないでしょう。しかし、今のわた……俺には、それよりも大事なことがある」
もう一つ尋ねたい。イオルが意を決して前置きすると、タルタリアは大きく頷いて見せた。
「何でも。私の知っていることならば」
「……ここに、俺と同年代の少女が落ちてきませんでしたか? 彼女は、俺の幼馴染で、大事な友人なのです」
「大事な友人、ね」
含みを持たせた言葉を呟くと、タルタリアは目を細めた。
「その少女の名は?」
「……セルフィア」
「その子ならば、数時間前にここを発った」
「――は?」
ぽかん、と口を開けたイオルが眉間にしわを寄せる。タルタリアの言葉を考え、理解しようと懸命になっているのだ。
タルタリアはそんなイオルを眺め、淡く笑った。
「そんなに泣きそうな顔をせずとも、セルフィアは生きているよ」
「あいつが……生きて……?」
すとん。イオルの腰が砕け、へたり込む。大丈夫かとタルタリアが近付きその顔を覗き込むと、イオルは龍の鼻先を掴んで押し戻した。
「今、近付かないで下さい。……見せられない顔をしている自覚があります」
「泣くのは、彼女の無事を自分の目で確かめてからでも遅くはない。それに、私はきみに謝らなければならないだろうからね」
何を……。そういえば、セルフィアは『ここを発った』とおっしゃいましたね。つまり彼女は、ここにはいないということですか?」
顔を上げたイオルの目は、真っ赤に充血している。濃い紫色の瞳が潤み、必死に泣くまいとしているのが一目瞭然だ。
タルタリアはイオルの見せたくなかったというものには目を瞑り、彼の問に答えるために口を開いた。
「その通り。彼女は今、私の呪いを解くために旅をしている。……その様子だと、きみも後を追おうということだね」
「当然です。俺は、ここにあいつの亡骸を探すために来ました。けれど、あいつが生きているのなら会いたい。捜し出して、生きていることを確かめたい」
「ならば、少しだけ私の昔話に付き合ってくれるかい?」
タルタリアはイオルを転がっていた岩を椅子代わりにして座るよう促してから、彼にセルフィアにしたのと同じ話を語って聞かせた。自分が龍になった経緯、そしてシャルガータ王国の冬が永遠に続く理由も。
「……貴方が自我を失った時、最悪の場合王国が滅びるということですか?」
「そう。そしておそらく、隣国にも被害は広がる。私には翼があるから、空から何処にでも出かけて行けるんだ。つまり、この世界自体を消す可能性があるということ」
「……人間である俺たちシャルガータ王国の王族には、魔力を持つ者はいません。それでもタルタリア様が魔法を使えるのは、龍になったから」
「そう考えるのが自然だと思う。龍という体を得て、雨を降らせることも海の水を好きに動かすことも可能だ。例えば昔、俺は龍の姿で王国含む一帯に雨を降らせたことがある」
龍の力を使い、干ばつになりかけた王国を救った。
「さあ、私のことはそんなところだ。……是非、セルフィアのことを支えてやって欲しい」
「わかりました。……俺も、あいつを追います」
イオルは頷き、タルタリアに地上まで送ってもらうとすぐにさまセルフィアの後を追った。
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