第4話 身代わり
連れ去られたセルフィアは、暗く狭い部屋に転がされた。かがされた薬は眠り薬の一種であり、深い眠りに誘われるもの。冷たい床に寝かされたにもかかわらず、セルフィアは丸一日眠り続けた。
「……んん。ここは、何処?」
ぼんやりと目を覚ますと、背中が痛む。冷たい床に横たわっていたのだと気付くまで、意識が覚醒するまでには少し時間がかかった。
セルフィアは指で床の感触を確かめ、感じるにおいが家のものではないことを悟ると、パチパチと目を瞬かせてから起き上がる。彼女がいるのは、床も壁も石で作られた小さな部屋だった。小さな豆電球程の大きさの照明が天井から下がっている。
(まるで、人を閉じ込めるために造られた部屋みたい。窓はあの、上の方に一つ開いているだけだし)
幸い、手足を縛られてはない。そろそろと立ち上がり、外の光が入って来る窓に手を伸ばす。しかし身長の倍近くある窓の高さまでは手が届かず、セルフィアは茫然としてその場にへたり込んだ。
少なくとも、ここから逃げなくてはならない。セルフィアはどうにかして外に出ようと頭も手も使ったが、良い手立ては思いつかなかった。
「どうしたら……」
茫然自失として、セルフィアは壁に背中を預けた。すると壁が揺れ、向こう側から人の声が聞こえて来る。
「おい、目覚めたらしいぞ」
「お嬢様に報告だ」
セルフィアは振り返って壁に手をついてみる。よく見れば継ぎ目があり、それは外界と部屋を繋ぐドアだとわかった。
何度か叩き、揺すってみる。取っ手も何もないため、ドアを動かすことは出来ない。しかし外側から「うるせぇっ」というダミ声が聞こえて来て、セルフィアは思わずビクリと肩を震わせた。
(これ以上は、不利かな)
そっとドアから離れ、向かい側の壁に背中を付ける。黙って耳を澄ませていると、遠くから複数の足音が近付いて来た。その一つは先程このドアの前から去った者で、もう一つはヒールの甲高い音と共にやって来る。
何やらぼそぼそと会話が行われた後、ガチャリと鍵が開けられた。眩しい程明るい廊下の光に目を細めたセルフィアは、ハンカチで口元を覆った娘の姿を見て声を上げる。
「貴女は、あの時の!」
「嫌ね、相変わらず。ここは空気が悪いわ。……まあ、こんな目的位でしか使わないのだから、構わないかしらね」
「……」
「まあ、感じの悪い。私を睨み付けるだなんて、自分の立場をなにもわかっていないようね」
大袈裟に肩を竦めてみせた令嬢ファーナは、控えていた牢番の男たちに顎をしゃくってみせた。
「彼女を自由にさせてはいけないわ。勝手に脱獄されても困るし」
「はっ」
「はっ」
ファーナの指示を受け、牢番たちはセルフィアの手首を掴むと床に押し付けた。痛みで悲鳴を上げるセルフィアの声を無視し、手首にぐるぐると太い紐を巻く。そうしてセルフィアの退路を断ち、絶望させようという魂胆か。
セルフィアはにじむ涙を堪え、声が震えないよう注意しながら目の前の同年代の娘に尋ねた。
「……一体、わたしをどうするつもり?」
「口の利き方がなっていないわ。でも、仕方がない。それにこれから貴女には、拒否権などないのだから。ここに来る前に、私は言ったでしょ。『貴女に、私の代わりに贄姫となる栄誉を与えて差し上げますわ!』とね」
「何を言っているの?」
「あと一晩、眠っていると良いわ。――私は、龍に嫁ぐなど絶対に嫌。イオル様の妃となるのはこの私よ」
王室御用達だから、といい気にならないことね。そう捨て台詞を吐いて、ファーナは牢番たちに命じて再度ドアの鍵をかけさせる。
両腕の自由を失ったセルフィアは、きゅっと唇を引き結んでドアを見つめていた。
それから日が落ち、再び昇って龍の儀当日となる。
昨晩遅くに出されたスープに盛られた薬のせいで眠らされていたセルフィアは、目覚めた時既に室内にはいなかった。狭い場所に押し込められ、一定のリズムで振動が体に伝わって来る。カラカラと車輪の回る音が聞こえ続けていることから、何処かに移動しているのだと察することは出来た。
「――っ」
助けを求めるために声を出したかったが、口に
やがて止まると、誰かがセルフィアの入れられていた箱を開ける。逆光になって相手の表情は見えなかったが、少なくとも友好的な雰囲気はない。引きずり出されたセルフィアは、無表情の女たちによって着替えさせられる。
(これ……前に見たことがある。贄姫の衣装だ)
以前、龍の儀が行われる際に同時開催される祭りのパレードで、贄姫の仮装をした女性を見たことがあった。真っ白なワンピースに、同じく白い布を腰に巻いて引きずる。その姿は美しく繊細に見えたが、今のセルフィアにとっては恐怖の対象でしかない。
ここまでお膳立てされると、自分に何が求められているのかがわかる。自分をさらったあの令嬢が本来贄姫を担う女性で、彼女が身代わりにしたてたのがセルフィアなのだ。
(この儀式さえ乗り切れば、きっと家に帰れる。お父さんやお母さん、イオルに会えるよね)
予備知識はほとんどない。しかしセルフィアは、イオルから龍の儀の中身について彼の知っていることは教えられていた。この儀式を壊すか、正しく行うか。セルフィアは流れに身を任せることにした。
そして、厳かな空気と音楽と共に龍の儀が始まる。セルフィアはその緊張感に気圧され、どうしたら良いかわからなくなった。
「――これより、龍神へ姫君を捧げる」
朗々とした男の声に導かれ、贄姫の格好をしたセルフィアは前に押し出される。その時セルフィアは、初めて龍の儀が執り行われる場所を知った。
それは、崖の上だ。谷底は深過ぎて真っ暗で見えず、何かが潜んでいるのではないかと思わせる。思わず足がすくみそうになりながら、セルフィアは神官らしき男の横に立った。
その時だ。
――ドンッ
「えっ」
何者かが、セルフィアを背後から思い切り押した。思いがけない出来事に対応できなかったセルフィアは、そのまま谷底へと真っ逆さまに落ちていく。
(ああ、死ぬんだ)
ぼんやりとそんなことを思いながら、セルフィアの意識は途切れた。
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