第3話 かどわかし

 一時間が経過し、イオルは王城へと戻っていった。再び仕事に戻ったセルフィアは、いつものように忙しく立ち回る。

 そうして日々が過ぎ、儀式当日まで後数日というところまで来ていた。


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております!」


 その日最後の客を見送り、ほっと息をついた。店の奥では父のスクードが洗い物をし、事務方の母のアルナが売り上げの計算を始めている。閉店作業としてセルフィアに任せられているのは、店内の清掃だ。


「さて、今日もやりますか」


 掃除用具入れからほうきと塵取りを出してきて、店の端に置いておく。先にパンの籠などを並べていた机を布巾で拭き、床に落ちたパンくずを箒で集めるのだ。


「ふんふふーん」


 鼻歌を歌いながら掃除をしていたセルフィアは、店の外が騒がしくなったことに気付いて顔を上げた。住宅地から少し離れた場所にあるパン屋の周辺は、昼間以外は静かなことが多い。

 何か事件か事故か、そう考えたセルフィアは店の外に出た。ついでに立てかけていた看板も中に入れてしまおうと手にかけたが、その姿勢で止まってしまう。顔を上げた姿勢のまま、大きく目を見開く。


「……誰?」


 セルフィアの目の前には、貴族が使う馬車が一台止まっている。そこから現れたのは、華美なドレスに身を包んだ一人の令嬢。戸惑うセルフィアの疑問に答えることなく、令嬢は従者を相手にペラペラと言葉を並べ立てる。


「全く、こんな辺鄙へんぴなところにあるパン屋が王室御用達なの? わたくし、こんな時でなければ探したりなんてしませんわ」

「用がないのなら、お帰り頂けませんか? 迷惑です」

「……貴女のような色気もない娘を、あの方が?」

「は?」


 つっけんどんに追い返そうとしたセルフィアだが、まじまじと見つめられて言われた一言に目を丸くするしかない。首を傾げるが、相手は黙って蔑みの視線を向けて来るだけだ。

 一体この貴族の令嬢は何を言っているのか、何がしたいのか。セルフィアは真面に会話することを放棄し、さっさと店内に入ろうとした。

 しかし、後ろから「待ちなさい」と高い声で要求された。


「……何でしょうか?」

「貴女、セルフィア?」

「そうですが……。まず、貴女が名乗ることが礼儀ではありませんか?」

「庶民に名乗るななど持ち合わせていないわ」


 冷静に応対するセルフィアに対し、名乗らない令嬢はキッとセルフィアを睨み付けてくる。そしてそのまま、手にしていた豪奢な装飾の施された扇でセルフィアを指し示した。


「貴女に、私の代わりに贄姫となる栄誉を与えて差し上げますわ! 私に代わり、龍の贄となれば良いわ」

「……一体、何を言っているの?」


 話にならない。セルフィアが店の戸を閉めようとしたまさにその時、閉じかかった扉をこじ開けたのは令嬢に付き従っていた従者たちだ。令嬢一人を守るため、屈強で高身長の男が三人つけられていた。彼らがドアを無理矢理開け、中に入ろうとしていたセルフィアを引っ張り出す。


「きゃあっ」

「逃げるなんて、許さないわ。贄となり、私にイオル殿下を譲りなさい!」

「なっ……。貴女、イオルのこと……?」

「殿下を呼び捨てなんて、不敬甚だしいわ! お前たち、連れて行って!」

「あ、ちょっと!?」


 バタバタと両手両足を使って暴れたところで、屈強な男の脇に抱えられては身動きが取れない。それでも何とか抜け出そうと必死になっていたセルフィアだが、騒ぎを聞きつけて店の外に出てきた父と母と目が合った。


「お父さん、お母さん!」

「セルフィア!?」

「一体何が……貴女は一体誰ですか? 私たちの娘を何処に連れて行こうというの?」

「ああ、貴方方がこの店の……。申し訳ないけれど、娘を借りるわ。この子には、私の代わりに贄姫となってもらうから」

「何をふざけたことを……っ」


 娘を離せ。スクードはセルフィアを捕らえている男に向かって拳を振り上げるが、身軽に躱されてしまう。何度も振り上げ振り下ろすが、どれも届かない。

 自由に動けない中、セルフィアはふと数日前のイオルとの会話を断片的に思い出していた。あの時、彼は何と言ったか。


「実は、今年の贄姫を務めるはずの娘が突然辞退を申し出たんだよ」


 そう、贄姫を本来担うはずだった令嬢が役割を辞退すると言ってきたというのだ。その令嬢はこうも言ったという。『代わりを連れて来たら、辞退させて欲しい』という内容だったように記憶している。

 つまり、くだんの令嬢は今セルフィアの目の前にいて、セルフィアのことを贄姫にしようとしているということだ。

 そこまで考えが及んだ時、セルフィアの口元に何かが押し付けられた。それが薬品を含んだ布だと気付くには、意識を失うまでの時間が短過ぎた。


「イオ……ル……」


 意識を手放す前に見えたのは、セルフィアの脱力に嬉々とした顔で振り返る令嬢の姿だった。セルフィアは両親の自分を呼ぶ声を聞きながら、目を閉じることしか出来ない。


「――なんということだ」


 娘を連れ去られ、スクードは茫然自失とした。

 正体不明の貴族の娘が、従者らしき男たちを使って娘のセルフィアを奪っていったのだ。何が起こったのか正しく理解しているか自分でわからないが、どうにかしなければと気持ちが先走る。

 身一つで馬車を追いかけようとした夫の腕を掴んで止めたのは、彼の妻だった。


「待って下さい、スクード」

「アルナ、しかし……」

「相手は貴族。私たちのような庶民には、成す術がありませんよ……」

「だが、どうにかして彼女が誰なのかを調べなければいけない。貴族の誰かに娘がさらわれた、では信じてもらうことなど到底無理だ」

「はい。ああ、セルフィア……」


 崩れ落ちる妻を抱き締め、スクードは怒りと悲しみに支配されそうになる頭をフル回転させ、娘を奪った誰かを突き止める術を考えていた。

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