第2話 噂の令嬢

 セルフィアとイオルは、並んで出来立てのパンを食べながらお喋りをする。店の外は毎日雪景色で代わり映えしないが、二人で過ごす時間は今や貴重であるために一秒たりとも無駄には出来なかった。

 サクサクのメロンパンを半分ほど食べたところで、セルフィアはカレンダーが目に入った。初春という名ばかりの月の名は、大昔から変わっていない。


「そういえば、もうすぐ儀式の季節だよね」

「ん? ああ、そうだな。龍の儀は一週間後だ」


 龍の儀とは、シャルガータ王国で五百年前から続いている年中行事の一つだ。この国の守り神である龍に贄を捧げることで平穏を保つのである。

 とはいえ、贄は殺されるわけではない。毎年貴族の未婚の女性が選ばれ、龍に捧げる舞を舞うのである。一か月前には贄姫が選ばれ、舞の練習をするという。

 一庶民であるセルフィアにとっては、町がにぎわう祭りの日という印象が強い。その日は屋台が出たり、大道芸人が道端で芸を披露したりする。そのため遠方や他の国からも観光客が多くやって来るのだ。

 去年の龍の儀の日を思い出し、セルフィアは声を弾ませる。しかしイオルは軽く眉間にしわを寄せたため、セルフィアは首を傾げた。


「何かあったの?」

「……実は、今年の龍の儀がきちんと行われるかどうかわからないんだ」

「どういう意味?」


 何かまずいことが起こったのか。セルフィアが声を潜めると、それにつられたイオルも声量を落とした。


「実は、今年の贄姫を務めるはずの娘が突然辞退を申し出たんだよ」

「辞退って……あと一週間しかないのに?」

「ああ。彼女の父親は王城で働いているから、父上に……国王に今朝申し出てきたんだよ。勿論、こんな時期に辞退なんてとんでもないと突っぱねたんだけど」


 国王に断られた男は、その時は引き下がった。しかしイオルが城を出る直前に、再び今度は贄姫である娘を伴って現れたのだ。

 娘自らが国王に「代わりの者を連れて来たら、贄姫を辞められるか」と尋ねたという。前代未聞の珍事に、国王を始めとしたその場にいた全員が凍り付いた。


「その後は、どうなったのか知らない。俺はアーロンとジオリア兄上がその場から逃がしてくれたから、ここにいられるんだけど」

「ジオリア殿下は次期国王だからその場にいなきゃいけなかっただろうけど、イオルはよかったの?」

「兄上が『お前がここにいると、ややこしさが増す』って言って、むしろ外に出されたんだ。何でか聞く時間まではなかったな」

「そう、なんだ?」


 不思議なこともあるものだ。とはいえ、ジオリアがイオルを王城の外に出してくれたからこそ、セルフィアはイオルと一緒にパンを食べることが出来ている。そのことに感謝しつつ、気がかりな様子のイオルが笑顔になれるように話題を変えた。




 一方その頃、王城の一室でジオリアが頭を抱えていた。

 ジオリア・シャルガータはイオルの兄であり、シャルガータ王国の王太子だ。


「全く、こんな時期に面倒事を持ち出してこないで欲しいな。めんどくさい……」

「その気持ちはわかりますが……。殿下、もう少ししゃっきりした方が良いですよ。一応、次期国王なんですから」

「わかってはいるさ。アーロン、あの娘の言ったことをどう思う?」


 王城の中でも王太子の執務室は、国王のそれにほど近い一角に据えられている。手前に客人と話す際に使うテーブルとソファーがあり、その奥にジオリアの机が窓を背に置かれていた。

 アーロンはジオリアの横に立ち、年上の友人の困り切った顔に笑いそうになっていた。他の者なら不敬だとして罰せられそうだが、アーロンはそういう奴だという認識を持つ者が多いため、お咎めは受けない。

 ジオリアに尋ねられ、アーロンは「そうですね」と腕を組んだ。


「単純に考えれば、贄姫の役割が面倒くさくなって辞めたくなったというところですかね」

「それはお前ではなくてか?」

「ジオリア様でもそうでしょう? というか、面倒くさがりなのは貴方の方です。オレには神に捧げる舞を舞うなんて、荷が重いですよ。……それか、一時とはいえ龍の嫁になるということが嫌だとか?」

「以前は、贄姫に選ばれたことのある者は名誉だからと引く手数多だったらしいけどな。最早、そういう時代ではないだろう。それに、今回の贄姫はファーナ・シャルガーダ嬢だし」

「ああ、噂の」


 アーロンは納得し、何回も頷いた。

 ファーナ・シャルガーダは、王家からの分家筋にあたる名家のお嬢様だ。父親が大臣ということもあり、幼い頃から王城に出入りして、その可愛らしい外見から人々に可愛がられてきた。

 勿論可愛がられることは悪いことではないのだが、ファーナの場合は悪い方に作用した。己の容姿が人目を引くと理解してから、積極的に可愛さを全面に出してすり寄るようになったのだ。

 世渡り上手だと言えば聞こえは良いが、ジオリアとアーロンはあまりお近付きになりたくない。そして、ファーナを遠ざけるのはイオルも同じだった。


「しかも、ファーナ嬢はイオルに気がある。あの場からあいつを遠ざけたのは正解だったと思ってるよ」

「間違いありませんね。陛下に訴えながら、ちらちらとイオル殿下の姿を探していましたから」

「兄である私にも媚を売ってくる始末だからな。……まあ、あいつがファーナ嬢になびくことはないだろ。昔から、あいつは一途だ」

「ふふ、そうですね」


 嘆息し、ジオリアは机の上の報告書を手に取った。それは儀式やそれに伴う祭りの詳細が記載されたもので、一週間後にはそれにのっとった日程が実行される。午後までに目を通し、国王に返却しなければならない。

 ジオリアの目は早速文字を追っているが、意識は傍で別の仕事を始めたアーロンへと向けられる。


「あいつは、今日彼女のところか?」

「はい。『うまいパンを買ってくる』とおっしゃって」

「……ふっ。パンだけが楽しみではないだろ、あいつの場合は」

「そうですね、殿下」


 弟の思考も動向も、兄にとってはわかりやすいものだ。ジオリアはイオルをもう少しだけ自由にしてやることにして、再び仕事へ戻ることにした。

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