冬の世界でさえずる小鳥は春を告げたい。

長月そら葉

第1章 パン屋の娘と第二王子

龍の儀

第1話 雪原の小鳥

 過去の出来事により、永遠の冬が約束された地、シャルガータ王国。五百年の冬は人々にそれを当たり前と思わせるには十分長く、他の季節を思い出す者などほとんどいない。


「いらっしゃいませ!」


 寒々しい白い景色が広がる王都に、明るい声が響く。王家御用達というのぼりが風にたなびくその店は、王国で指折りの腕を持つ職人が営むパン屋・雪原の小鳥。今日も朝からひっきりなしに来客があり、店主はそのたくましい腕で繊細でふっくらとしたパンを焼き上げていく。

 寒空の下、温かな湯気に彩られた店内で、銀の髪をポニーテールにまとめた少女が接客に精を出していた。


「嬢ちゃん、こっちのパンは売り切れか?」

「待ってて下さいね。お父さんがすぐに持って行きますから」


 常連の男性に笑みを見せ、看板娘のセルフィアは工房に目を向けた。店の奥にはパンを焼くための工房があり、彼女の父であるスクードが生地をこねたりオーブンを気にしたりして忙しく動き回っている。


「お父さん、あんぱんはー?」

「あと五分! セルフィア、こっちの餅パンを持って行ってくれ」

「はーい」


 父の指示を受け、セルフィアはたくさんのパンを籠に入れて店内へと持って行く。「お待たせ」と差し出せば、子どもも大人も笑顔を返してくれる。セルフィアの一日は、いつもそうして過ぎていく。

 忙しい一つの波が落ち着いた頃、雪原の小鳥の電話がけたたましく鳴り響いた。シンクでトレイを洗っていたセルフィアは、タオルで手の水気を拭き取って受話器を取る。


「お待たせ致しました。雪原の小鳥でございます」

「セルフィ、一時間後に行くから。いつもの頼む」


 セルフィアを「セルフィ」と呼ぶのは、この王国で一人しかいない。セルフィアはくすっと笑い、落ちて来ていた髪を耳にかけた。


「仰せのままに。イオル殿下」

「……殿下はやめろ。イオルでいい」

「わかってるよ、イオル」


 電話の向こう側で、イオルが軽く笑った気配がした。

いつものやり取りを終え、セルフィアは受話器を置く。そして丁度顔を出したスクードに、第二王子の注文を伝える。それを聞いたスクードは、嬉しそうに微笑んだ。


「お、坊ちゃんが来るのか。じゃ、いつもの用意しとかないとな」

「お父さん、イオルにまた怒られるよ? 坊ちゃんって呼ぶなっていつも言われてるでしょう」

「そうは言っても、俺にとっちゃあいつはずっと坊ちゃんだからなぁ」


 腰に手を当て呆れて見せる娘に、スクードは悪びれない。はっはと軽快に笑い、工房へと戻って行った。

 セルフィアたちが暮らすシャルガータ王国には、二人の王子と二人の姫君がいる。第一皇子は次期国王として国王の代理も務めているが、第二王子はまだ責任が重くないために気軽に動ける立場にある。本人はそれも王族としての務めだと言っていたが、果たしてどこまでがそうなのか。

 そして、午後の繁忙期へ向けて店内を片付けていたセルフィアの耳に、馬車の近付いて来る音が聞えた。この国の馬は寒さに強く、体が大きく足が短い。ドスドスという雪を踏み締める音が、店の傍で止まった。その後、すぐに扉が開く。


「こんにちは、セルフィ」


 店に入って来たのは、黒髪の少年だ。着ているものはシンプルながらも上等な生地で出来ており、彼の育ちの良さも窺わせる。比較的表情の変化の薄いイオルだが、店に入ってきた途端に嬉しそうに顔を緩ませた。

 そんなイオルに、セルフィアも笑みを向ける。二人は身分を超えた幼馴染で、昔から仲が良い。


「こんにちは、イオル。用意出来てるよ、フルーツサンド」

「おう。おじさん、ありがとう」

「おお、来たか。坊ちゃん」


 スクードが軽快な調子で幼い頃の呼び方で呼ぶと、イオルはたちまち不機嫌な顔で「だからっ」と詰め寄った。その剣幕に、大男であるスクードも気圧される。


「おおぅ」

「俺はイオルだって、何回言ったら良いんだよ! いい加減に坊ちゃんって呼ばないでくれ」

「はっはっは。悪いなぁ、イオル。小さい頃から知ってるから、どうしても子ども扱いしてしまうんだ。オレの愛情だと思って受け流してくれ」

「お父さん……」


 スクードに反省の色はない。呆れたセルフィアは、父からフルーツサンドの入った紙袋を受け取ると彼の背中を押した。ぐいぐいと工房へと追いやる。


「お父さん、パン作りの途中でしょう? 後はわたしがやるから、奥に戻って」

「はいはい。じゃあイオル、セルフィアを宜しく頼む」

「わかった」


 イオルの首肯を満足げに見て、スクードは店の奥に引っ込んでしまう。それを確かめてから、セルフィアはイオルを手招いた。


「イオル、今日は時間あるの?」

「ん? ああ、やるべきことは片付けて来た。一時間位なら大丈夫だ」

「だったら、こっちでフルーツサンド食べなよ。今の時間なら、お客さんも少ないし」


 セルフィアが誘ったのは、店の端に設けられた食事スペースだ。席数は十と少ないが、常連客の中にはここで昼食やおやつの時間を過ごす者もいる。昼前のこの時間は、客足の落ち着く店の休憩時間となっていた。

イオルは素直にセルフィアに従い、窓辺の席で袋からフルーツサンドを取り出す。フルーツサンドは、真っ白なパンに真っ白で甘みの抑えられたクリームと色とりどりの果物が挟まっている。それほど甘いものが得意ではないイオルだが、このサンドイッチは好物だ。


「城にいると、温かいパンも冷たいものも食べられないからな。……この店にだけは、父上も母上も行くことをお許しになる。今日もうまいぞ、セルフィ」

「お父さんも、イオルがそう言っていたって聞いたら喜ぶ。ありがとう、イオル」

「ああ」


 少しはにかみながら、イオルはフルーツサンドにかじりつく。果物本来の甘みと酸味に生クリームの控えめな甘さが加わり、気持ちが和らぐ。

 イオルの表情を横で眺めていたセルフィアは、自分の前に焼き立てのメロンパンが置かれて振り返る。するとそこにはパンを作っていたはずの父の姿があった。驚く娘に、スクードはニヤリと笑ってみせた。


「焼き立てだ。うまいから、イオルと二人で食ってみろ」

「……ありがとう」


 セルフィアが礼を言うと、スクードは娘の頭を軽く撫でて行ってしまった。

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