第3話「最悪の記念日」

 夏月のお母さんが帰った後、私は、バッグの奥底に手紙をしまい込んだ。下手に家の中に隠すよりも安全だと思ったからだ。その後、私たちは銀座の高級イタリアンのお店でランチをし、東京国際フォーラムへクラシックコンサートを聴きに行った。私は、終始、バッグの奥底に忍ばせた“夏月の手紙”が気になって、上の空になっていた。そんな私の様子を見かねて、とうとう、雅也がキレた。


「千春! 具合でも悪いのか?」

「えっ? そんなことないけど……」

「オマエ、今、俺の話聞いてたか?」


 クラシック音楽が好きな雅也は、期待の若手ピアニストがソリストを務めたラフマニノフ の『ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18』の演奏についての感想を述べていたらしいが、彼の話は、私の耳の左から右へと突き抜け、私の頭の中には何一つ残っていなかった。


「今日のオマエ、変だよ! もう帰ろう!」

「でも、この後、ディナーの予約入れてあるんでしょ?」

「そんなもん、キャンセルすればいい!」


 雅也は、普段、滅多に怒ることはない。だからこそ、一度怒らせると面倒なことになるのだ。お互い、一言も口をきかずに家に帰ると、雅也は、「ちょっと出掛けてくる」と行って出掛けてしまった。私は行き先を訊かなかった。どうせ訊いても答えないだろうし、何よりも、私は“夏月の手紙”を読みたくてうずうずしていたからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る