第2話「8月8日」
―― 8月8日、日曜日、快晴。
テレビのニュース番組では、各地で今年いちばんの暑さになると報じられ、熱中症への注意を呼び掛けていた。
愛娘の
「結婚記念日くらい夫婦で過ごしなさいよ。ただでさえ、あなたたち夫婦は2人っきりで過ごした時間が短いんだから。たまにはね、恋人同士みたいに"男"と"女"であるということをお互い意識しないと"女"として見てもらえなくなっちゃうのよ。
という、姉の気遣いから、毎年、結婚記念日は、夫とふたりで過ごすことになったのだ。
私たち夫婦は、婚活パーティーで出逢った。身長180cm。スラっとしたモデル体型で、しかもイケメンの彼は、会場に集まった50人の男性陣の中でも一際目立っていて、大多数の女たちの視線が彼に集中していた。そんな彼が、なぜ、私のような地味な女を選んだのかは未だに謎だ。1年の交際期間を経て、私たちは結婚した。彼が26歳、私が24歳の時だった。そして、その時、私のお腹の中には、新しい命が芽生えていたのだ。
***
「ねぇ、予約、何時だっけ?」
私は、お気に入りのパステルブルーのワンピースに着替えながら、彼にきいた。
「12時30分。銀座まで30分くらいかかるから、そろそろ出ないとな」
時計の針は、11時40分を少し過ぎたところを指し示していた。
と、その時、インターホンの音が鳴り響いた。
「誰だろう? 千春、悪い! 出れるか? 会社からメールが……」
「大丈夫よ」
インターホンのモニター越しに映っているご婦人には見覚えがあった。ドアを開けると、痩せ細ったご婦人は、
「あの……突然訪ねてきてしまって申し訳ありません。私、
「夏月のお母さん……」
夏月が他界してからしばらくの間、私は悲しみに打ちひしがれていた。しかし、時の経過に反比例するかのように、悲しみは日に日に小さくなり、私の中の夏月は消失したも同然だった。私は、夏月のお母さんを目の前にして、そんな薄情な自分を恥じた。
「ええ……生前は、娘が仲良くさせていただいて、ありがとうございました」
夏月のお母さんは、1年前の夏月の葬儀の時よりも、更にやつれて見えた。
「あの、外暑いですし、上がってください。冷たいお茶淹れますので……」
リビングから、雅也の声が聴こえてきた。
「千春ー? そろそろ出ないと間に合わないぞー」
雅也の声を聞いた夏月のお母さんは、申し訳なさそうに言った。
「あっ、ごめんなさい。お出掛けのところだったんですね。本当にお気遣いなさらないで。これを今日必ず渡すように、って、指示が書かれていたものですから……」
夏月のお母さんから手渡されたものは「手紙」だった。薄い水色の無地の封筒には "DEAR
「絶対に開けないで、来年の命日に必ず、千春さんに渡すように指示が書かれてあったものですから……お忙しいところ、ごめんなさいね。そろそろお暇させて頂きますね」
夏月のお母さんは、深々とお辞儀をすると、そそくさと歩を進めた。足が折れそうなほど細い。きっと、夏月がこの世から消えてしまった瞬間から、夏月のお母さんの時は止まったままなのだろう。
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