第Ⅳ節『東部戦線の死神』

 ある男が、カウンター席で※ゼクトを片手に夕食を摂っていた。

※ゼクト…ドイツの発泡酒(スパークリングワイン)の一種

羽織ったオーバーコートから一瞬、トゥーフロックがチラリと見えた。即ち彼は空軍軍人である。

 男は今、ロシア國の首都カザンへ向かっている。

広い店内から一見、その道中で休息を取っている様に見えるが…。

 この広いダイナーは、ライヒ全土に展開された高速鉄道網、即ち"ブライトシュプールバーン広軌鉄道"の食堂車であり、彼は今まさに、移動の真っ最中であった。

Verzeihung失敬、隣宜しいですか?」

隣から、その様に話しかけられた。声の方を向けば、男と同じくトゥーフロックを身に纏った人物がこちらを見ていた。違う所と言えば、オーバーコートの男は、士官帽の針金が抜いてあるのに対し、眼前の人物は几帳面なのか、士官帽は整えられ、右胸には飾緒が付けられていた。

「勿論、構いませんよ。」

同じ空軍軍人、それも襟元を見れば同じ階級であるようで、彼は世間話でもしようと考えた。

「にしてもこの列車は―――」



「…は…?」

この時彼の膝下に、一つの手帳が突きつけられた。


…彼は驚愕した。何故なら膝下で開かれた手帳には…。


"親衛隊全國指導者個人幕僚部"

即ち、ヒムラーの使者と言う訳である。

「…君と話す事は無いよ。」

「そうですか…"水が欲しくは無いのですか?"」

"有益な情報を、他に流すぞ、君は要らないのかね?"と言う様な意味であった。



「…此処で話すつもりか?人目の無い所で話そう



 ―――…オストオレンブルク空軍基地。

1955年冬、とある人物を乗せた輸送機が、同基地の滑走路に着陸した。

「…あぁ…以外に雪は降ってるんですね。」

この日の気温はマイナス20度に近づく程であり、積雪もある。

…しかしこの男は、まるでそれこの雪が自分を祝っているかの様に感じていた。

 彼はエーミール=シュネー・フォン=ポール空軍大佐。

異名は、"デァ=トート・フォン=シ雪の死神ュネー"。

血の気の感じぬ、不気味な程に白い肌を持ち。胸元には数々の勲章が輝く。

彼は第二時世界大戦中、主に東部戦線で戦った、

ドイツ國防軍空軍のエースシュトゥーカパイロットであった。

「さて…皆様、日本は目と鼻の先です。気を引き締めなくては。」

「確かにそうですね。」

「えぇ。」

幕僚も賛同する。

シュネーの言う通り、この基地から東に800km行った先は、大日本帝國の勢力圏であった。

…800kmも離れてはいるが、日独双方、大規模な基地の多くを、国境より遥か後方に設置している。

 日本側の理由は分からないが、少なくともドイツ側は、核兵器を使用した戦術・戦略を念頭に置いているからであり、国境付近には、国境警備の為の軍以外は駐屯していない。

それに、空域侵入の一報を受けてから、スクランブル発進するまでには時間があり、国境付近に迎撃機用の航空基地を作った所で殆ど意味が無いからだ。


 だがこの、"800km"と言う数字は、流石に離れすぎである。


 ドイツ軍の大規模航空基地は、国境より100km付近に集中しており、日本も同じくであった。

勿論、敵航空機がドイツの防空網を掻い潜り、奥深くまで侵入してくる可能性もある。

その為、後方に空軍基地が存在する事自体は、別に何もおかしくは無いのだが…


"皆様、日本は目と鼻の先です。気を引き締めなくては。"


その側で、シュネーの言動を僅かに怪しんだ人物が居た。


「大佐殿。借り物の制服で申し訳ありません。

私はシャッパー局長の命で派遣されました、調査局のエルンスト・シュナイダーであります。

以後、お見知りおきを。」

「シャッパー閣下の部下…。」

調査局とは、ドイツ國防軍空軍の諜報機関であり、要注意人物や外国の関係者などを盗聴する機関である。しかし第二次世界大戦終結後、調査局は本来の目的と言う垣根を越え、空軍の独立した諜報機関と化していた。

「―――…そうですか。

私はポールですよ、知っていますよね。」

しかしシュネーは、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、足早に立ち去っていった。

「…?」



親衛隊エスエスの手先め…。」


先程、空軍の独立した諜報機関と言ったが、それは半分間違いである。

ゴットフリード・シャッパー※親衛隊少佐(隊員番号82491番)を始め、初代局長ハンス・フリードリヒ・ヴィルヘルム・シンプを除き、調査局の局歴代長は軒並み親衛隊員であったのだ。

※忠実では親衛隊大尉である。

 それだけでは無い。國家保安本部長官たるラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒは、数年の歳月をかけて諜報機関を"國家保安本部"として統一した。もし独立した諜報機関があるならば、果たしてハイドリヒがそれを放置するだろうか?

 答えは否。実際にも初代局長のシンプは、自身の不倫をネタにハイドリヒから脅迫を受けており、親衛隊は調査局を傀儡状態に置こうとしていた。

 更にシンプは、1935年に不審な死を遂げている。

死因ははっきりとせず、何なら正確な死亡日時すらはっきりとしていない。

4月10日、もしくは4月11日。交通事故で死亡したと言う報道と(ドイツ通信社DPAによる発表。ドイツ政府はこれを正式な発表とし、国内の報道機関にもその様に発表する様指示している。)、ゲシュタボにより暗殺されたと言う報道(外国の情報機関による報道。ドイツ政府は否定も肯定もしていない。)、チェコスロバキアの工作員による暗殺との報道(こちらも外国の情報機関による報道。)がある。


 つまり、彼がいる限り、この"調査"は親衛隊に筒抜けになる可能性があるのだ。

それを踏まえての、"親衛隊エスエスの手先め…。"と言う発言であった。


 「…大佐殿、早速ですが、報告があります。詳しくは執務室で。」

「今、概要だけでも話す事は出来ませんか?少し格納庫を見て回りたいのです。」

「…では、何時頃戻られますか。」

「――そうですねぇ…2時間後ぐらいに戻ります。」

シュネーは、この基地の格納庫に存在するであろう、とある機体が気になっていた。

 それは、アレキサンダー・リピッシュ博士の設計した、メッサーシュミットMe-680"フェツォイク"である。この機体は無尾翼型の全翼機で、動力は二発のラムジェットエンジンと一発のロケットエンジン。武装は2門のMG-151機関砲を搭載する迎撃機であった。

 これは、今まで使われていたメッサーシュミットMe-655"ドライエキガコメート"(忠実のリピッシュLi-13aに当たる機体。)の後継機である。

 シュネーはまだ見た事が無いフェツォイク、その多数が配備されている日独との国境地帯に来れた事に、少し嬉しさも感じている。

「では、私はこれで。」

そしてシュネーは、駆け足で格納庫の方へと向かっていった…。

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