第Ⅱ節『モスコーヴィエン』

   1954年、冬。―――モスコーヴィエン國家弁務官区の首都モスコー。

ソヴィエト社会主義共和國連邦の首都モスクワであったこの地では、かつてのソヴィエト式建築は全て破壊され、俗に"ナチス式建築"と呼称される、"効率的"で"アーリア的な"コンクリート製ビル群が軒を連ねていた。

 この"帝國式都市化"は、終戦直後に開始され、ライヒ中に広まったが、労働力として駆り出されたのは、殆どが強制収容所のロシア人やウクライナ人などのウンターメッシュと呼称される奴隷人種階級の者達であった。


 モスコーのとある工事現場での出来事である。

"帝國式集合住居"を建築中の現場に、親衛隊のペナントをはためかせた黒塗りのベンツが現れた。

ベンツから降車した人物は、近くに居た監督者らしき人物に話しかける。

「失礼、此処の現場監督者は何処かね?」

「私ですが?」

その人物は、更に監督者に質問をした。

「此処に居る者は全員、モスコーダス・カーエル第二収容所・モスコー=ツヴァイの囚人労働者で間違いないかね?」

「間違いありません。」

「そうか、此処にドミニク・ギンツブルクと言う者が居る筈だ。

囚人番号は……43285番だ。呼んできてくれないか。」

「囚人番号43285、ドミニク・ギンツブルク…承りました、直ぐに呼んでまいります。」





 暗い室内の中、カセットテープは録音を始めた。

「名前は。」

「囚人番号43285番、ドミニク・ギンツブルクです。」

此処は、モスコー中心部に存在する、國家保安本部第Ⅲ局、"國内保安局"の事務所であった。

「ロシア人名は?」

「…ディミトリ・ギンツブルクです。」

 敗戦後のロシアで、大きく揉めた事があった。

それは…スラブ人を、同化すべきか区別すべきか、である。

ロシア人名のままで、ウンターメッシュか否かを判断すべきとする論と、ドイツ人名にして、同化させるべきとの論があった。

結果として、ユダヤ等の血や、先天性の障害を持つなど、絶滅対象の者はロシア人名。それ以外は同化政策としてドイツ人名に改名された。

彼、ドミニク・ギンツブルク…もといディミトリ・ギンツブルクも、同化政策の対象であった。

「ギンツブルク…。

私はライナルト・ヴァルターSS大佐だ。今日は君に…少し質問があってな…。」

…ヴァルターはそこで一拍置き、暫くして、ゆっくりと口を開いた。

「1946年、第二次モスコー攻防戦の時だ。

君は機関士で、あの時モスコーに居たね?」

「…その話ですか…知らないと何度も―――」

「ああ、分っている、分っているとも。

これはカセットに正式な記録を録音しているだけだ。

最初から、全て話してくれ。」

ギンツブルクの脳裏には、まだロシアの地がサユース・サヴィエトスキーと呼ばれていた頃を思い出した…。

「…私は運輸通信省で機関士として働いていました。

あの、第二次モスクワ攻防戦の時―――。」



 「スヴェルドロフスクでは無いんですか?」

「いや、君の車両はチカロフへ向かう。」

あの時、何故か私の車両だけは、

臨時首都スヴェルドロフスクエカテリンブルクでは無く、ずっと南のチカロフオレンブルクへ行くよう指令されました。

「君の車両には、運輸省や軍の高官の方々も乗車する、失礼の無い様にしてくれ。

特に急停止は厳禁だ。」

私の車両には、兵器などではなく、政府高官が乗車していました。

護衛の兵士らも、通常なら小隊長や中隊長を務める様な上級中尉が多くを占めていました。



「あの車両には、確かに何か重要な物を積んでいたと思いますが…私は知りませんでした。

私がチカロフオレンブルク駅で交代した後、列車はもっと南に進んでいきました。

私はそこで下車したので、私は、あの列車が何処に行ったか知りません。」

「積荷の重さは?君が機関士なら、知っている筈だろう。」

ギンツブルクは、そこで口を閉ざした。

「積荷の、重さは?」

…しかし彼は喋らない。

取調室を暫時、静寂が包んだ。

ヴァルターが若干の苛つきを感じて、自身の爪で机を突っつく音を除けば。

「…思い出せません。」

やっとギンツブルクは口を開いた。

「思い出せない、だと?」

ヴァルターは、ハーフミラーの方を向き、

次にギンツブルクの方を向いた。すると、

「…そうかね。」

と言って立ち上がり、ヴァルターはカセットテープを手に退室した。


「やはり、記録が削除されていましたか。」

「國防軍の奴らめ…。

彼を此処に勾留しろ。※D局には私が話を付けておく。

これでは証人がゲーリングに殺される。」


※D局…親衛隊の中央組織たる経済管理本部の部署で、主に収容所の運営を行っていた部署。

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