第2話 悪役令嬢は転生する。
突然現れた魔方陣から発せられた光に己の身体が包まれ、反射的に瞳を閉じたが既に遅く、私は一瞬で意識を失った。
「……。」
そうして光に溶かされた意識が再び浮上した時。
何処か冷たい場所へ倒れこんだ私の視界へ最初に飛び込んできたのは、見た事も無い程黒く汚れた小さな器だった。
次に感じたのは鼻の奥にへばりつく様な腐敗臭。
「…グ、」
それから口の中に広がる形容しがたい様な感触と味。
それらを全て自覚した瞬間、喉の奥があり得ないほど痙攣して、理性の歯止めも聞かずにその場で口の中のものを全て吐き出した。
「お゛ぇえっ、エ」
口の中のものだけでは痙攣が収まらず胃の中に収まっていたものも全て吐き出して、空になって吐くものが無くなっても耐えがたい嘔吐感が襲う。
浅くなる呼吸を必死に落ち着かせながら霞む視界で辺りを見渡せば、自分は今迄自分がいた華やかな舞踏会場とはかけ離れた場所にいた。
カーテンを閉め切った薄暗く狭い室内に生ゴミが所狭しと散乱していて、壁には所々に謎の黒い液体が撒き散らされている。
独特の腐乱臭が漂っていて少し視線を移せば腐った鼠の死骸が生ゴミの下敷きになっていた。
ここは一体どこなの?
何故私はこんなところにいるの。
あと少しで長く抱き続けてきた野望を…《聖女をこの手で殺す》という野望を果たす筈だったのに。
あの時私は聖女を殺すことが出来たの?
「っ!?」
思考が纏まらずただ茫然としていると、突然激しい頭痛が私を襲う。
頭が割れる様な痛みでその場に蹲った途端、ザーザーと不快な音が耳に響いて脳の内側から《自分ではない誰かの》記憶が溢れ出してきた。
それはこの汚らしい部屋で生活していた記憶。
幼い頃から母親は私を虐げ、暴力を振るい、血を流している自分を煩わしそうに寒空の下に捨てた。
それでも他に誰も頼れない私は母の元へ何度も戻り、また同じ生活を繰り返した。
食べるものをろくに与えられず言いようのない飢餓感に毎日苦しめられた。
子供ばかりが集まる学び舎で周囲から心無い言葉と暴力を浴びせられた。
毎日絶望ばかりが自身を苦しめ、しかし自ら命を絶つ勇気もなく。
そしてある日、何日経っても帰らない母を腹を空かせて待ち続けてとうとう空腹が限界に達し、
数週間前に母が何処からか持ち帰り自分に食えと差し出してきた、可愛らしい包装がされている得体のしれない黒色の何かを口にして…。
そこで記憶はぷつりと途切れた。
「…何なのよ」
記憶が途切れた瞬間に先程までの頭痛がピタリと止む。
視界の端には先程の記憶の中で見た可愛らしい包装が無造作に破かれて捨てられていた。
両手を見ると手首には無数の切り傷があり、殆ど骨なのかと思う程に細い。
ここで私は自分の身に起こった最悪の事態を予測する。
「…影よ、姿見をここに寄こしなさい」
そう呟くと自分の影が床からズズ、と歪な形に変化しながら現れ、やがて大きな鏡へと姿を変えた。
そこに映った自身の姿を見て私の予測は確信へと変わる。
「ふざけるんじゃないわよ」
私は溢れる激情に歯を食いしばって鏡を睨む。
そこに映っていたのは《ユーディア・カルアデス》ではなく、
あの記憶の中で見たみすぼらしい少女の姿だった。
最凶悪役令嬢、現代へ転生する。 巡子 @ankoromotimotimotimotimotimoti
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