第225話 クロエを慰めてあげよう


 同日の夜八時。

 話し合いが終わった俺たちは家に帰宅し、茶番を繰り広げていた。


 「はい、できたよ!」

 「お、おお~、これはまさかクロエの好きなハンバーグ!?」

 「それも高級な砂黒豚サンドピッグのお肉を使ってるの!」

 「す、凄い! このソースもまさか最高級のデミグラス──「それは市販の物だよ」

 「す、すごい!」


 語彙力を無くし、大げさな演技をする俺はクロエをちらりと見る。


 「うぅ……」


 ふ、ふむ。

 この子はどうやら言葉というものを忘れてしまったようだ。


 あの話し合いでもこの家に帰宅しても、クロエは俺と視線を合わせようとしない。

 もはやずっとこの調子である。

 一度恥ずかしさを無くすために、覗き込んでは見たものの、逆にうぅうぅ症候群が悪化させてしまった。


 ま、まだ策はある。

 と言っても一つだが、これなら普段のクロエに戻ってくれるはず。

 強引に行くのは危険。自然に振舞わねば。


 美味しい夕食を堪能した後、クロエがお風呂場へと姿を消す。


 「レンくん」

 「うん、分かってる」


 俺はレティナと共にベッドが置いてある部屋へと足を運ぶ。

 そして、魔法鞄マジックポーチの中に入れてあったとある物を取り出した。


 「どう思う?」

 「うん、やっぱりレンくんセンスあるよ。すっごく可愛い。これならクロエちゃんも喜んでくれると思うな」


 レティナがそう言って、微笑んでくれる。

 俺が取り出した物とは、クロエが一番欲しがっていた敷布団だ。

 それも俺のセンスではあるが、ちゃんとお洒落な掛け布団も買ってあげた。

 当初はこれを買いに出かけたのだが……まぁ一旦それは置いておこう。

 これを買ったことはおそらくクロエに気づかれていない。

 何故ならレティナと事前に密談し、俺一人でこれを購入してきたからである。


 よし、レティナが可愛いって言ってくれるなら、より一層自信を持てる。

 後はサプライズとして、どう見てもらうかだが……うん、余計な事は考えずに自然に振舞おう。

 あぁ、なんだか少しドキドキしてきた。


 すぐに部屋を出て、クロエを待つ。

 すると、


 「あっ、もう上がったんだ?」


 クロエが浴室から姿を現した。


 「レンくん……あれから一時間経ってるよ。不自然すぎ」

 「ご、ごめん」


 レティナと他愛のない会話をしていたからだろうか。正直そんなに時間が経っているなんて思わなかった。


 切り替え、切り替え。


 出鼻は挫かれたが、きっとクロエは深読みなんてことはしないだろう。

 昨日と同じ椅子に腰かけ、レティナの風魔法を嫌そうな顔で待っている。


 「クロエちゃん、今日は大丈夫だよ」

 「う?」


 意味がよく分かってないのか、レティナの言葉に不思議そうな顔をするクロエ。


 「レンくん」

 「うん、クロエ。ちょっとこっちに来て」


 俺はソファから立ち上がり、部屋の前まで歩く。

 すると、クロエもとことこと後ろをついてきた。

 そんなクロエに見せるように俺は扉を開いた。


 「ほらっ、中に入って」

 「……!?」


 余程驚いたのか、クロエは目を大きく見開かせる。


 「欲しいって言ってただろ? これで髪を乾かさなくても大丈夫だよ」


 まるで子供にプレゼントを贈った気分だ。

 先程までの憂鬱そうな表情は吹き飛び、嬉しさと少しの恥ずかしさがクロエから読み取れる。


 「……ありがと」

 「う、うん」


 俺の服の袖を掴み、上目遣いでそう言ったクロエにドギマギしてしまう。


 と、とりあえず、うぅうぅ症候群が治ってくれて良かった。

 だが、この表情はあまりにも破壊力がありすぎる。

 別人なのではないかと疑ってしまう程だ。


 「レンくん、クロエちゃんはダメだよ」

 「え、えっと……何が?」

 「……なんにも」


 ふ、ふむ。

 ドキドキするなってことかな?

 まぁ、大丈夫だレティナ。

 今のはただ隙を突かれただけでこれ以上動揺するはずがない。


 「レオン、今日は一緒に寝たい……」

 「へっ?」

 「今日だけ……」


 い、いやいや、申し訳ないがその頼みは素直に受け入れることはできない。

 そうだよね? レティナ。


 「今日だけならいいよ」

 「えっ……」


 もう俺にはレティナの考えてることが分からないよ……


 「でも、クロエちゃん。髪乾かさないといけないよ?」

 「我慢する」


 そうして、俺の了承もなしに俺たち三人は同じベッドで寝ることとなった。








 この世界には人食い蝶キラーバタフライという魔物が存在する。

 鮮やかな羽を優雅に羽ばたかせ、その美しさで人を魅了する。

 そうして、虜になった者を夢見心地の気分のままに捕食してしまうという。


 「これが噂に聞く人食い蝶キラーバタフライか……」

 「レンくん何言ってるの?」


 捕食者の一人が耳元で囁いてくる。

 ゾクゾクしてくるが俺の理性は鋼だ。

 こんなことで屈するはずがない。


 「なぁ、レオン。面白い話しろよ」


 これまたもう一人の捕食者が無理難題を強要してくる。

 さっきまでうぅうぅしか言えなかったのに、なんて奴だ。

 こんな無茶ぶりは鬼畜としか言いようがないが、鋼の精神を持つ俺は当然、


 「いや、無理でしょ」


 と真顔で断ることができるのだ。


 「ちぇっ、つまんない奴だな」

 「ふっ」


 俺はつい鼻で笑ってしまった。

 捕食者の言葉にではない。

 自分の置かれている状況にだ。


 先程からずっとむにむにとした柔らかい物が両腕に当たっている。

 それもクラクラしてくる甘い香りと共にだ。

 いくら狭いベッドとはいっても、どうして俺の顔を見るように横になっているのか。

 答えは簡単だ。

 こいつらは人食い蝶キラーバタフライ

 俺の情欲を誘い、捕食しようという魂胆が垣間見える。

 そんな見え透いた罠に乗っかるほど俺は馬鹿ではないぞ!!


 「なぁなぁ、レオン。腕押し付けるなよ」

 「……」

 「ただでさえ狭いんだからさぁ」


 ふっ、本当に面白い魔物だ。

 俺が腕を押し付けてるなんて、ありえるわけないだろ。


 「レンくんはむっつりだもんね」

 「はっ!? べ、別にそんなことないよ!」

 「あぁ、そういうことか。じゃあ、これはどうだ?」

 「……」

 「顔背けるなよぉ~」

 「少し顔が赤くなってるよ」

 「おお、思ったより初心なんだな、お前」


 く、くそっ。ふざけるな!

 なんだこの天国でもあり地獄でもある状況は。


 白状しよう。

 俺の精神が鋼というのは嘘である。

 ここまで我慢できていることから考えるに、石ころくらいの堅さはあるだろう。

 だが、所詮は石ころ。耐えられる限度はとうに超えており、罅が入ってきている。


 「も、もう寝よう。二人とも」

 「えぇ~。今日限定なんだぞ? もう少し喋りたい」

 「だめだ。本当にダメ」

 「なんでだよ」

 「人喰い蝶キラーバタフライだからだよ」

 「意味分かんないぞ」


 レティナはくすくすと笑っている。

 そんな余裕はない俺はぎゅっと瞼を瞑った。


 こ、このまま寝てしまえば辛いこの現状から解放される。

 正直リヤに頼み事をしようと思っていたが、こうなれば仕方がない。

 もう全部無視して、意識を閉じよう。


 「レオン……?」

 「……」

 「なぁ、レオンってば」

 「……」

 「……」


 静寂が訪れる。

 それは数分間だったか、一分にも満たなかったか。

 クロエが寂しそうな声色でその静寂を破った。


 「気づいたんだ。こうして楽しい日々が当たり前じゃないって……いつか終わりが来るのは分かってる……だから、レオン……」


 はぁ……ずる過ぎるだろ。

 その泣き寝入りは。


 「……何話す?」

 「っ!! お前たちが住んでるランド王国の話とか聞きたいぞ。あっ、後冒険譚も」

 「しょうがないな」


 俺はクロエが満足して寝るまでずっと話し続けた。

 レティナもそんな俺の話に、補足を付けるように相槌を打った。

 なんだかんだはあったが、こうして三人一緒に寝れて良かったと思う。

 俺も暴走することはなかったし。

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