第215話 ローデッド男爵の屋敷②
目と目が合ってしまったような気がする。
その状況に冷や汗が止まらない。
レティナの
初めに二階の窓から潜入しても、おそらく同じような状況に陥っていただろう。
冷静になれ。
一旦退くのは正直ありだ。
俺の顔を見られたかもしれないが、レティナはまだ大丈夫。先にレティナをこの王国から出して、俺が身を隠しながらローデッドもシュバーデンも殺れば……
「レンくん」
頬を不意に優しく包まれ、強制的にレティナと目が合う。
「落ち着いて。何を見たの?」
その表情はとても真剣かつ優しさを感じ取れるものだった。
「……赤い目があった。顔を見られたかもしれない」
そんなレティナの顔を見て、冷静さを取り戻していく。
「そうなんだ……」
「一度家に帰ろう。もしかしたら、応援が来るかもしれない」
「……ううん、このまま実行した方がいいと思う」
「えっ?」
「今ならまだエルフを助けられるかもしれない。でも、このまま退いたら警備はもっと厳重になっちゃう。衛兵二人を気絶させたでしょ?」
「確かにそうか。でも……」
「レンくん、私に任せて?」
そう言ったレティナは頬を掴んでいた手を離し、集中するように目を瞑った。
「
その魔法は廊下に飛び出す。
もしかして、あの目に掛けるつもりなのだろうか。
確かに生きているように見えるが、魔法ならばきっと効かないはずだ。
それなのにレティナは何度も同じ魔法を行使する。
歯がゆい思いに耐えながら、ただ待っていると、レティナはゆっくりと瞼を開き口を開いた。
「見てみて」
レティナの言葉に従い、先程の赤い目を確認する。
「えっ、眠ってる……」
赤い目は萎れているように瞼を瞑っていた。
「他にもあったみたいだから眠らせておいたよ。多分扉の前に居た人もみんな」
て、天才かよ……
レティナのやった事に驚きを隠さない。
ここまで来るともう俺には分からない領域なのだが、きっとレティナは魔法が当たった感覚で全てを把握したのだろう。
これを天才と言わずになんと例えるのか。
ふっと意識を切り替える。
この状況ならどの部屋も楽に忍び込めるはずだ。だが、女王にこの屋敷に誰かが侵入したのだと確実に悟られてしまった。
どうせ事が終われば色々とばれてしまう。
顔を見られたなんていうのは今は後回しか。
「助かる、レティナ。行こう」
「うん!」
俺はレティナと共に駆け出す。
通り過ぎていく部屋からは人の気配が感じられた。
だが、その部屋が本命ではないなんて明白だ。
おそらくローデッドには護衛が付いているはず。
長い廊下の角を回り、目を凝らす。
すると、扉の前で力なく眠っている二人の護衛が視界に映った。
本命ならあそこか。
ここが別館でもしももう一つの屋敷にローデッドが居るのならば、また同じ方法を試そう。
女王の応援が駆けつけた際は、潔く退けばいい。
そう割り切って、レティナに声を掛ける。
「レティナ、鍵を」
「ん」
風魔法で部屋の鍵を開ける。
そして、ゆっくりと扉を開いた。
その部屋は先程の客室と同じくらいの広さがあった。異なる点は静寂ではなく男のいびきが聞こえてくることと……
「……殺すか」
今日出会ったエルフが鎖で繋がれていたこと。
エルフの身体には鞭で叩かれた跡が生々しく残っており、つま先立ちのまま苦痛な表情を浮かべて気を失っている。
その姿に黒い感情が溢れ出し、思わず剣を握った。
「レティナ、その子の鎖を切ってあげて」
「わ、分かった」
レティナの返事を受けて、俺は気持ちよさそうに眠る男に近づく。
おそらくこいつがローデッドだろう。
エルフが言っていた豚という言葉に差異はない。
肥えたその男の上に馬乗りになった俺は、口を押えながら腕に剣を突き立てた。
「んんんんっ!?」
「静かにしろ。従わないと殺す」
あぁ、そういえば
視点が合わないことで気づいた俺は、レティナに掛けてもらった
「んんんんんんっ!!!」
「おい、黙れ」
「んんんっ!!」
「はぁ……」
この状況化でも叫び出そうとする肥えた豚。
そんな豚を黙らせる為、突き立ててあった剣をねじる。
「んんんんっ!?」
「助けは来ないよ。お前の護衛は扉の前で眠ってる。他もだ。もしこれ以上叫び出そうするなら、この屋敷に居る者全員……」
殺気を当てながらそう言葉にすると、肥えた豚は首をぶんぶんと縦に振った。
その様子を見た俺は塞いでいた口を離してやる。
「はぁはぁ……き、貴様何者だ……」
「俺が何者かなんて今はどうでもいいでしょ。まずお前はローデッド男爵で合ってるよね?」
「……わ、わしは違うぞ。男爵はーーー「はい、嘘ついた」
「ぐぁぁぁぁああああ」
突き立ててあった剣を拭き、反対の腕に突き刺す。
醜い叫び声を上げているがしょうがない。許してやろう。
(殺せ。殺せ。殺せ。)
あぁ、最高だ。
やはりこういう顔はたまらない。
「ぐぅぅぅぅ」
「人を痛みつけるのはあまり好きじゃないんだ。だから、素直に俺の言葉に答えて? お前はシュバーデンと繋がりがあるだろ? 他国からエルフを攫ってくるのに協力はしてるわけ?」
「わ、わしは関係ない……あれは全てシュバーデン様の独断だ」
「へぇ~」
繋がりはあるとは思うが、エルフの件については無関係なのだろう。嘘を言っているようには見えない。
時間が惜しい今、こいつに聞く事はこれくらいでいいか。
そう思っていた俺に、肥えた豚は苦痛な顔をしながらも言葉を発する。
「き、貴様……わしにつく気はないか?」
「はぁ?」
「か、金も女も意のままだ。最高の暮らしを約束しよう……これも不問にしてやる」
ほう。
この状況で肝が据わってるな。流石はアーラ王国の貴族だ。
「じゃあ……あのエルフをくれ。そうすれば、味方についてあげるよ」
「ま、待て! あやつは白金貨十枚でーー「なら、お前を殺すしかないな」
突き刺した剣を抜き、肥えた豚の首元に向ける。
すると、豚は悩みぬいた末、手のひらに乗せたある物を俺に見せた。
「はぁはぁ……こ、これでいいだろう?」
「……あぁ」
思わず口角が上がってしまう。
奴隷の権利はその主人の意思で移行できる。
仮にその権利を移行することなく主人が死ねば、奴隷の権利は家族、その家族がいなければ奴隷商の手に移ってしまうのだ。
こいつが頑固な奴じゃなくて助かったな。
手にひらに乗せてある鍵を俺は受け取る。
この鍵が言わば奴隷の権利だ。
どういう理屈かさっぱりではあるが、自らの意思で出現できるらしい。
(殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。)
「レティナ、はいこれ」
俺は鎖を断ち切ったレティナにそれを放り投げる。
赤い目で見られた可能性がある以上、他の奴隷はもう諦めるしかない。
だから、もう……殺しちゃっていいよね??
「レンくん、私が殺るよ」
「いや、今回は俺が殺す。レティナは早くその子の枷を解いてあげて」
「なっ!? は、話が違うではないか!! 貴様はわしにーー「レンくん!!!」
情け無用に心臓を突き刺すと静寂が訪れた。
ベッドに染み渡る大量の血。
瞳孔が開き、情けない顔で絶命した肥えた豚。
その様子に俺は一人笑みを浮かべていた。
「……レティナ、ちゃんと枷を解いてあげてよ」
反応すらせずに茫然と見つめるレティナの側に近寄る。そして、レティナがぎゅっと握りしめていた鍵を取った俺は、気を失っているエルフの枷を解いてあげた。
「じゃあ、行くか。あんまり長居したくないし」
エルフに自分の外套を着させ背負った俺は走り出す。レティナもその後ろから付いてきてくれたが、家に帰るまでの間、俺たちは一言も会話を交わしなかった。
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