第213話 探索③
「レティナは今日お留守番ね」
「え~、なんで~」
朝食を食べている手を止めて、レティナは不満そうな顔をする。
「だって、レティナといると観光がメインになるんだもん」
「そんなことないよ。昨日はギルドにも行ったし、ルガヴィフ家の地区を探索したでしょ?」
「いや、探索って……」
ものは言いようとはこの事を指すのだろう。
アイスクリーム屋さんに立ち寄った後、俺たちの行動は、色々な店を回る、美味しい料理を食べる、服屋で服の試着をするといったデートのようなものだった。
デートなんてランド王国に居てもできるし、エルフの件を終えてからでも遅くはない。
それに今日はシュバーデン家の地区に行きたいのだ。
昨夜に一人で見に行こうと思っていたのだが、ついつい睡魔に負けてしまった。
これに関しては俺に非があると認めざる負えない。
だが、それとレティナを連れて行くのはまた別の話である。
「とにかく今日はお留守番」
「むぅ~。まだ来て三日目なのに……」
「我慢して。暇だったらロロウさんのとこにも行ってきていいから」
宥めるようにレティナの頭を優しく撫でる。
すると、レティナは少し悔しそうな表情で頷いた。
ふむ。
ご機嫌取りに帰る前は甘いものを買っていってやろう。
そうして朝食を食べ終えた俺は、レティナを残して探索へと出かけた。
この線を越えたらシュバーデン家の地区か。
できるだけ人混みの少ない道を選び、到着したその場所には白線が引かれている。
その白線を超えて歩き出すと、周りから視線を感じた。
そりゃそうだよな。
誰に聞いてもこの地は危険と返ってくる所だ。
わざわざ足を踏み入れる者に、好奇な目を向けるのは自然なことだろう。
挙動不審にならないように、俺はただ真っ直ぐ見据える。
今のところはルガヴィフ家の地区とあまり変わらない風景である。
視界に映る者がみすぼらしかったり、痩せこけていたり、浮浪者のような人が沢山いると思っていたのだが、どうやらそういうわけではないようだ。
こういう場所の方が現実に直面できると期待していたのだが、全くそういう事もない。
なら、とりあえず大通りまで行ってみるか。
そう思いながら、歩みを進めていると、
「わっ!」
「きゃっ!」
突然横道から出てきた者とぶつかる。
その者は勢いよく尻もちをつき、俺を見上げた。
「エルフ……?」
見間違えるわけがない。
特徴のある耳に、薄緑色の綺麗な髪。
首や手足には奴隷の象徴の枷を付け、柄のない真っ白な服を着ている。
唐突過ぎる出会いに、俺は動揺しながらも手を差し伸べる。
「えっと、とりあえず立てる?」
「……っ」
そう言葉にしたが、エルフは俺の手を取ることなく立ち上がった。
そして、何も言わずに去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待って!!」
なんとなく事態の把握ができた俺は、逃げようとするエルフの手を取った。
きっと彼女は奴隷の身で逃げ出したのだろう。
それは非常にまずい。
奴隷というのは人権を剥奪された者である。
生殺与奪に関しては、一般的に主人が唯一持てない権利なのだが、この王国では違うらしい。
どの種族も命の扱いは軽く、路地裏で息絶えた奴隷を見たこともあるとロロウさんは言っていた。
もしも彼女が首枷をしていなかったのならば、こんな強引な対応を取ったりしない。
だが……
思考に耽っていると、突然掴んでいない彼女の左手が振り上げられる。
どこかで拾ってきたのだろうか。
その左手には掴んでいた手ごろな石が視界に映った。
俺は瞬時に反応して、振り下ろそうとするその手を掴む。
「危ないから止めてくれ」
「くっ」
エルフは抵抗するように手を振りほどこうとするが、そんな行動を許すはずがない。
「君、逃げてきたんでしょ?」
「離せっ、くっ、離せ!!」
ギリッと俺を睨みつけるエルフ。
本当は俺もこんな事をしたくないのだが、そうも言ってられない。
奴隷の枷はとても厄介な物だ。
どれだけ衝撃を与えても壊れず、卓越した斬撃も跳ね返すこの枷を壊す方法はない。
壊れないただの枷ならば良かったのだが、問題なのは首枷の仕組みである。
主人に歯向かえば自動的に首を締め上げ、抵抗できなくさせる効果がある物。
もちろん主人の意思で締め上げることも容易で、殺すことだってできる。
どれだけ離れてもそれには逃れられず、逃亡した奴隷の末路は……言うまでもないだろう。
だから、今彼女が助かる道は一つだけ。
主人の元へ戻ることのみ。
高値のエルフをすぐに殺すようなことはしないはずだ。現にどれだけの時間逃げているか分からないが、彼女は生きている。
「戻ろうか。分かってるだろ? このままじゃ君は死ぬよ」
「人間のくせに指図するな!」
「このまま引きずって連れてくこともできるけど?」
「っ……人間のくせに……人間のくせに……」
涙目になりながらもなお、睨みつけているその瞳には憎悪の感情が込められていた。
時間がないが、このままでは本当に引きずって連れて行くことになってしまう。
「……何があったの?」
俺が無理やりエルフを主人に引き渡せば、彼女は何かしらの罰を受けるかもしれない、
そう考えた俺は手短に事情を聞くため、真剣に彼女を見つめた。
「……離せっ」
「俺は君の味方になりたい。だから、何があってこんな行動に出たのか知りたいんだ」
「はっ、味方? なら、私を助けろよ! できないくせに適当な事言ってーー「いいよ」
「……えっ?」
俺の返事が予想外過ぎたのか、ポカンと口を開けるエルフ。
「今すぐってわけにはいかないけど、必ず俺が助けるから」
「ほ、ほら! 口ではなんとでも言えるんだ! 助けるって言うのなら、今すぐ助けろよ!」
「じゃあ、君の主人の名前は?」
「ローデッド。ローデッド男爵だ」
「シュバーデンとの繋がりはある貴族?」
「そこまで知らない」
男爵ね……公爵よりはだいぶ楽そうだな。
「じゃあ、今日の夜。その貴族から君を救ってあげる」
「……信じれない」
「それでも信じてほしい。絶対に裏切らないから……だから、お願い。今だけは俺の言うことを聞いて」
瞳を見据えて優しく言葉に出す。
これでまだ受け入れられないなら、強硬的な手段を取るしかない。
「……もうあそこには戻りたくない。戻るんだったら死んだ方がマシだ」
憂いを帯びた顔をするエルフは、少しだけ声が震えていた。
言葉などただの気休めにしかならない。
だが、少しでも希望を抱けるのならば……
「実は俺、エルフを救うためにこの王国に来たんだ」
「えっ?」
「だからさ、戻りたくないかもしれないけど、今だけは耐えてほしい。死ななくて良かったって絶対思わせるから」
エルフは俺の瞳を真っ直ぐに見つめる。
そんな俺も嘘ではないという意思を伝える為にただただ見つめ返した。
「……信じていいのか?」
「うん、約束する」
「……分かった」
あぁ、良かった。
彼女が受け入れてくれたことにホッとする。
ただ正直な話、今日の夜という期間を設けたのは少し安易だった。
警備がどのくらい居るのかも定かではないし、慎重に調査をしてから実行に移す方が成功できる可能性が上がるだろう。
でも、仕方ないよな。
このままなら確実にこの子は死ぬ運命だったんだから。
「ちなみに言いたくないなら言わなくていい。どうして今日になって逃げ出したのか教えてもらうことはできる? 最近奴隷になったとかそういう話?」
「違う。私はもう数百年前からこの王国の奴隷だ……逃げ出したのは……あの豚が今までの貴族の中で一番最悪だったから」
他国から攫われて無理やり奴隷になったわけではないのか。
数百年間なんて俺からすると途方もない年月だ。
その間ずっと耐えてこれた彼女が、後先考えずに逃亡した。
どんな仕打ちを受けてそう行動したか想像もできないが、きっと耐え難い苦しみを受けてきたのだろう。
「それほど酷い貴族なのか……」
「酷いってもんじゃない! 私は……私は……アイリスの代わりになったんだ」
「アイリス?」
「同じエルフの奴隷だよ。最近死んだんだ……ローデッドの手によって。それで新たな奴隷になったのが私だ……」
沸々と黒い感情が湧き上がってくる。
エルフの表情から察するに、アイリスという者が亡くなったことに嘆いているという感じはしない。
自分がそのアイリスの代わりとして選ばれたことが、何よりも辛いとった感情が受け取れる。
同じ種族でも仲が悪かったのかもしれない。
ただ、もはや他人の死に嘆くことができないほど、追い詰められた状態にあるように見えた。
「……人間を憎んでる?」
無意識に口をついて出てしまった事に後悔してしまう。
エルフを助けると言った当の俺が人間なのだから、口が裂けても憎んでるなんて言えないだろう。
「憎んでないって言ったら嘘になる」
「……そうだよね」
「でも、やさしい人間は沢山いた。そんな奴らまで憎んでるわけじゃないぞ」
瞳を見つめ返して言ったくれたその言葉には、嘘なんて何一つ感じられなかった。
「……戻るよ、私」
「あ、あぁ」
「……もしもお前が助けに来なくても、気にしないから安心してくれ。あの言葉だけでも心が救われたからさ」
「俺は嘘なんてつかないよ」
「……ん、待ってる」
今日あったばかりの男の言葉が信じられなかったのだろうか。彼女は寂しく笑って、背を向けた。
ローデッド男爵……か。
シュバーデンの地区を探索しようと思ったが、予定を変更だ。今日一日でローデッドの調査をして、夜実行に移すことにしよう。
彼女の姿が見えなくなったので、俺は再び歩き出す。
でも、危なかったな。
あの赤い目が遠くにあったからこそ、色々と事情が聞けた。
もっと至近距離にあれば、冷たい対応を取らざる負えなかった。
夜もあの目が動いていることを想定して……エルフを助けたとしても避難できる場所を確保して……
考えることは山積みだ。
それでも行動しなければならない。
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