第195話 優しさは時に刃となる
コンコンッ。
「ん? 誰だ?」
「レオン・レインクローズです」
「……入れ」
マスターの了承を受け、俺は扉を開く。
「ふむ、昨日に続き今日も来るとは……それに雨の中を」
「まぁ、暇だったんで」
俺は外套を脱ぎ、ソファに腰を掛ける。
シャルたちが<魔の巣窟>に向かってから、もう一週間以上が経過した。
あの場所は馬車で行けば、三、四日は掛かるので迅速に依頼をこなせば、もうそろそろ帰ってくる頃だ。
「暇だったねぇ」
「何ですか、その含みのある言い方」
「いや、別に何もないさ」
「……」
シャルたちが心配で居ても立ってもいられない。
その事はきっとマスターには見透かされている。
「雨は別に嫌いではないですよ」
「嘘を吐け」
「カルロスなんて雷が大好きですし、前なんて子供みたいにはしゃいで、外まで見に行ったんですから」
「はぁ、いらん情報だ」
「いや、ちょっとかわいかったですよ」
「……」
マスターがじとーっとした視線を向けてくる。
一週間に二度程ギルドマスター室には来るが、二日連続来たことはこれが初めてだ。
それに普段はマスターが仕事をしているので、俺の方から喋りかけることはあまりない。
「そんなに不安か?」
「……なんの事かさっぱりですね」
「このまま帰って来なかったら……私は恨まれるだろうな」
「……一生恨みますし、憎みます」
雨が強くなってきたのか、ここに居ても雨音が聞こえてくるようになった。
雷雲ではないのだろうか。
カルロスはただの雨じゃ喜ばないし、どうせなら鳴ってほしいが。
そんなくだらない事を考えても、俺はずっとそわそわしていた。
「レオン、例え話をしようか」
「例え話?」
「あぁ、そうだ」
マスターは頬杖をつき語り出す。
「あるところに一人の男が居た。そいつは誰にでも優しく、周りからちやほやされているそんな男だった」
「ほう、羨ましい」
「その男には大切な女が居た。他人が見ても羨ましいと思えるほど理想な関係の」
「……ふむ」
「絶対にこの手は離さないと男は誓ったが、一人だけ別に気になる女が現れる。いや、ここでは好きになってしまった女ということにしておこう」
「……」
淡々と話すマスターの例え話というやつが、誰のことを指しているのか流石に察してしまう。
「その女も男に惚れていた。最初はただただ尊敬の気持ちでしかなかったが、その男に優しくされているうちに、抑えきれない思いを抱くようになったのだ」
「へ~」
「さて、ここで問題だ。二人に好意を受けつつ、その二人とも好きになったその男はどういう選択をする?」
はぁ……この質問を本気で答える意味はないな。
そう思った俺は、ポーカーフェイスを装いながら口にした。
「分かりませんね。そんな体験したことがないので」
「ただの世間話だ。体験したしてないに関わらず、君の意見が聞きたい」
「……」
「そう深読みするな。私は別にレオンが何を言おうと否定はせんよ」
世間話とか、深読みをするなとか……そんな真剣な表情で言われても困りますよ。
まるで自分が咎められているような錯覚に陥りながらも、俺はマスターから視線を外して適当な感じで返事をした。
「大切な人だけ選びますかね」
「……なるほどな」
妙にしんみりした空気が漂う。
どうその空気を変えていいか分からなかった俺に対して、マスターは再度口を開いた。
「では、そういう選択を男が取ることにしよう。その男は選ばれなかった女と距離を置くようにした」
「……」
「だが、何もかも中途半端過ぎたのだ。本当の意味で切り捨てられずに、命を失うかもしれない仕事を受けたその女を心配して、毎日毎日気が気じゃない生活を送った」
「それもう例え話じゃありませんよね?」
「女の気持ちになってみようじゃないか。突然距離を空けたかと思えば、そういう態度を取っていると知る。少しは自分にも……と勘違いすることは容易に想像できるだろう」
「……っ」
俺の言葉を無視して、マスターは話し続ける。
「私はね、レオン。優しさというのは時に刃になると思っている。相手によっては心が保てない程の」
「そんな事言われても俺は……」
「あくまで例え話だよ。その男がどれだけ苦悩し、その選択を選んだか、私なんかには到底想像も出来ん。ただ唯一言えることは……」
マスターがふぅと息を吐き、まるで自分のことのように辛く悲しい顔をして言葉を繋いだ。
「受け入れられない選択を選ぶのなら、もう優しさを振りまくのは止めよう。彼女にとっても……その男にとっても」
土砂降りの雨が窓を打ち付けている。
それは耳を塞ぎたくなるほどだった。
優しさを振りまいているつもりはない。
思わせぶりな態度もしているつもりはない。
ただ俺は逃げているだけだった。
想いを告げてこないのならば、シャルを拒む理由にはならないと。
関係を深めれば深める程、お互い傷が深くなっていくのに。
シャルの気持ちに気づいたあの日……俺の方から想いを吐き出させればよかったのか?
そうすれば、俺とシャルは……
「……今日はやっぱり帰ります」
「……そうか」
端的な返事をしたマスターに会釈をして立ち上がる。
拠点に居ても、結局のところ何も変わらないだろう。
シャルの帰りを待ちわびている気持ちを誤魔化す
心の芯にくるようなマスターの言葉を思い出しながら、俺はただ強く打ち付けている雨の中、一人でとぼとぼと歩いていった。
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