第196話 純粋な想い
あの日から三日が経った。
マスターとの会話以降、俺は拠点に籠っているだけだった。
そりゃそうだろう。
ここに居ることは、お互いの為にはならない。
そう遠回しに言われたのだ。
平然とした顔でのこのこと<月の庭>に行くわけがない。
拠点のみんなはシャルたちが<魔の巣窟>へ向かったと耳にしたのか、夜は普段よりも長くダイニングに居座った。
きっと俺に気を使ってくれたのだろう。
余計な事を考えさせないように会話を回してくれたみんなには感謝している。
そのお陰で俺も最悪な想像をする頻度が減ったからだ。
時刻は午後六時過ぎ。
今日何度目か分からない武器の手入れをしていた時だった。
「っ!」
拠点のチャイムがふと鳴った。
俺は思わず腰を上げ、玄関へと向かう。
「あっ、レンくん」
「俺が出るよ!」
丁度ダイニングから顔を見せたレティナにそう言って、玄関へと辿り着いた俺は勢いよく扉を開けた。
「わっ! びっくりした!」
「シャ、シャル……」
驚いているシャルの顔を見て、表情を取り繕えない程に安心してしまう。
無事に帰ってきた。
あの危険な場所から……無事に……
思わず抱きしめたくなる衝動をなんとか抑える。
目で見える傷は何処もなく、とても元気そうだ。
「えっと……レオン、もしかして……心配してくれた?」
「あ……あぁ」
「そっか、ごめんね? 心配掛けちゃって。でも、嬉しい。そんな顔してくれるの」
素直に口に出してしまったことで、シャルは可愛く微笑む。
……っ。
「い、依頼は?」
「ちゃんと達成したわ。とても困難だったけど、無事にAランクに昇格しました」
「そっか……本当に頑張ったんだね」
「うん、レオンたちが指導をしてくれなかったら、ずっとBランクのままだったかも」
「そんなことないよ。この結果はシャルたちの努力で実ったものだ。それに俺たちが少し手を貸しただけ」
「ふふっ、ありがとう……ねぇ、レオン」
そう俺の名を呼んだシャルは、上目遣いに見上げながら言葉を繋げた。
「今から空いてる?」
「……空いてるよ」
「じゃあ、少し付き合ってくれない?」
「ん、いいよ」
俺はシャルの言葉に頷き、そのまま拠点を出る。
もうすぐ陽が落ちるが、今から何処に行くんだろうか、そんな疑問を持ちながら俺は彼女に付いていった。
色とりどりの樹木が生い茂る森の中を歩いていくと、どうやら目的地に着いたようだった。
「懐かしいな……」
「そうでしょ?」
そこはもう一年ほど前になる、あの
以前見た時は動物や魔物の骨が散乱していたが、今はその様子もなく綺麗な更地になっている。
あの件があったから、こういう関係になったんだよな。
シャルは俺との約束をずっと胸に秘めてて、俺はそれを覚えていなくて……マスターに最低な報告をしたんだっけ。
今にして思えば相当酷いな、俺。
それにしても……
「あの時のシャルって、ツンツンしてたよね」
「もう、そんな変な記憶忘れて」
「いや、だって、今のシャルとあまりにも違うからさ」
「あ、あの時は緊張してたの……だから、あれは私じゃないわ。違う人」
「まぁそういうことにしておくか……忘れないけどね」
「意地悪~! 悪魔~! 鬼~!」
ぽかぽかと殴るシャルは恨めしく俺を見る。
あの口調からこうなるまで、割と時間は掛からなかった。
ツンツンした口調から敬語になり、気楽に話せる間柄に……本当に懐かしい。
「……ここが目的地なんだよね?」
「ううん、違うの」
「あっ、そうなの?」
「えぇ、ちょっと付いてきて。悪魔さん」
「悪口なのか? それ」
「えっ? そうよ?」
「ふむ」
もっと酷い言葉なんていくらでもあるだろうに……
思わず、ふっと鼻で笑ってしまう。
そんな俺に歩いていたシャルは、むぅっとほっぺたを膨らませる。
「馬鹿にしてる~」
「してないよ。それより何処まで歩くの?」
「後数分くらいかしら。多分レオン、見たらびっくりするわよ?」
「へ~。それは楽しみだ」
この洞窟の奥って何かあったっけ?
スカーレッドの捜索時、俺は南側を調査したが、それはこの森を抜けた先の森だ。
ただ俺も昔から冒険者をしているだけあって、王都周辺に関してはそこそこ詳しい。
このまま進んでいっても、同じように森が続いてるだけで、特別驚くようなものは無かった気がするが……
もう陽は完全に落ち、星々が樹木の間から顔を覗かせている。
そんな中歩いていくと、小さな光がふと俺の横を通り過ぎた。
「えっ……なにあれ?」
「ふふっ。レオン、こっちよ」
満足げな表情を見せたシャルは俺の手を引き駆け出す。
そんな俺は先程の光の正体が何なのか分からず、ただただシャルに手を引っ張られる。
そして……
「……すごっ。何これ……」
目の前の光景に驚きを隠せず、思わず声が漏れた。
視界一杯に無数の光が飛び交い、それに呼応するように綺麗な樹木が輝きを放っている。
放心したようにそれを見つめる俺に、シャルは嬉しそうな顔で口を開いた。
「ここに連れてきたかったの」
「……」
「レ、レオン?」
「あっ、ごめん。普通に見惚れちゃってた」
「ふふっ。この光、魔素の光源現象って言うんだって。光っている理由はまだ解明されてないけど、おそらく魔素の大きさに大小があって、大きいものが太陽の光を吸収して、人間に知覚できるほどの輝きを放っているとか」
「へ~、初めて聞いたよ」
「王都周辺ではここでしか見られないの。それに毎日こうなるんじゃなくって、時々こうして綺麗に光るのよ」
「時々なんだ……あれ? でも、シャルってなんか確証があったように見えたけど?」
「うん、帰りにね。確認しに来たの。お昼でも目を凝らせば分かるから」
「そうなんだ、わざわざありがとう。本当に綺麗だ……」
「ふふっ、そんな感動してくれるなんて、嬉しいな。私もレオンと一緒に見れて、本当に良かった」
この浮遊している光に見惚れてしまった。それは紛れもない事実だ。
だが、こうして微笑んでいるシャルの横顔は、もっと見惚れてしまうものだった。
話を聞く限り<魔の巣窟>から帰ってきたばかりだろう。
疲れているはずだし、早く眠りたいはずだ。
それでも俺にこの景色を見せたいだなんて、健気にも程があると思う。
少しの間、俺たちは無言でその光景を眺めていた。
宝石のように輝く光がそんな俺たちを包み込む。
まるでそれは誰かが何かを祝福しているように思えた。
「レオン……」
「ん?」
「好き」
静寂を破ったシャルは俺を見つめ、緊張した様子でそう口にした。
「貴方の笑った顔が好き。貴方の優しいところが好き。めんどくさいって思った表情も、子供っぽい寝顔も……全部好き」
声が震えている。
それでもシャルは俺から視線を外すことはない。
「貴方の側に居るととても安心するの。怖いって逃げたいって、そう思った時にも貴方の顔を思い出すだけで心がぽかぽか温かくなった。それは初めて会った時からずっと変わらなくて……」
潤んでいる瞳が俺を映す。
そうしてシャルは拳を握りながら、愛おしそうに言葉にした。
「好きです、レオン。ずっと……ずっと貴方の側に居させてもらえませんか?」
どれだけ勇気を出して言葉にしたのだろう。
それを考えるだけで胸が張り裂けそうになる。
返事を出したくない、でも、出さなくてはずっとシャルは束縛されたままだ。
「……ごめん」
「……っ」
揺れ動いたシャルの切ない瞳を見て、思わず俺は顔を背ける。
「気持ちは嬉しいけど……俺はその想いに応えられない」
これでもかという程に胸が締め付けられる痛みを何とか堪える。
口に出して初めて分かってしまった。
俺はどうしようもなくシャルが好きだったということに。
「それは……レティナさんが居るから……?」
「……そうだよ」
「私、レオンの一番じゃなくても平気。レティナさんが側に居ても、文句は言わないから……だからっ……」
「……それでも応えられない」
「……っ」
絞り出した俺の返事に、シャルの瞳から込み上げた涙がこぼれ落ちる。
俺の決意は決まっていた。
シャルもそれを感じたのだろう。
唇を噛み、悲しそうな顔で俯いたシャルは、
「……そっか」
静かにそう呟いた。
「じゃあ、俺こっちだから……」
王都に帰ってきた俺はそう言葉にする。
「うん……っ」
顔を合わせてくれないのは、きっと泣き顔を俺に見せたくないからなのだろう。
おそらくこれが最後の会話だ。
今まで通りの関係で居たい、友達のままで、なんて俺からすれば図々しいにも程がある。
本当に相手のことを想うのならば、もう関わらないのが一番だ。
「Aランクの依頼は大変だけど、シャルたちならきっと乗り越えていけるよ」
「……うんっ」
「応援してる……じゃあ、ばいばい」
「……っ」
まるで地面に根付いたかのような足を何とか動かし、背を向ける。
これで良かったんだ。
これが正しい選択なんだ。
そう自分に言い聞かし、歩みを進めた。
「さよなら、レオン」
悲痛なその涙声が俺の耳に届き、思わず振り返りそうになった。
(私はね、レオン。優しさというのは時に刃になると思っている。相手によっては心が保てない程の)
振り向いてはいけない。
そんな優しさ必要ない。
もう俺はシャルの涙を拭ってやれないのだから。
結局俺は返事をすることも振り返ることもなく、拠点に帰宅した。
帰りの景色は何処か色あせて見えた。
街行く人々も、帰ってきた際ダイニングから飛び出してきたみんなの顔も。全てが。
自室のベッドに飛び込んで、瞼を瞑る。
そうして蘇るあの輝く光たち。
それを嬉しそうに見ていたシャルの綺麗な横顔や緊張した様子で伝えてくれた純粋な想い。
眠れるわけがなかった。
ずっと続いている耐え難い胸の痛みを感じていたからだ。
途中でレティナやルナが入ってきたが、俺は気づかぬ振りをした。
少しでもこの胸の痛みが和らいでくれれば……そんな事ではない。
ただ声が出せなかったのだ。
(さよなら、レオン)
何処かで聞いたようなその酷似する言葉に、なぜか、
ザザッ
っと、ノイズが走るも俺はそれさえ素知らぬふりをして、ただ瞼を瞑り続けるのであった。
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