第131話 執事の真似事
時刻は午後三時過ぎ。
レティナから頼まれたケーキを買って、ダイニングでゆっくりとしていた時だった。
ふいに拠点のチャイムが鳴る。
「レティナお嬢様。お客様のようです」
「うん。ちょっと行ってきてもらえる?」
「かしこまりました。お嬢様はごゆっくりお過ごしください」
椅子から立ち上がった俺はそのまま玄関に向かう。
執事になりきるという罰ゲームは罰とも言えない程に楽しく新鮮だった。
レティナの髪をくしでとかしたり、階段でレティナが転ぶことがないように手を差し伸べてあげたり、普段とあまり変わらない日常ではあるが、少しだけ行動を変えただけでなんだか幼心が蘇ってくるようだった。
そんな思いを抱くのもレティナが相手だからだろう。
それにしても、せっかくレティナと至福な時間を堪能していたのにどこのどいつだ。
性懲りもなく貴族がやって来たなら、昔以上に強めに追い返してやろう。
玄関に辿り着いた俺はガチャリとドアノブを回す。
「ごきげんよう……って、どうして扉を閉めるんですの!?」
ふむ。ただの貴族じゃなく、大貴族の令嬢様だったか。
多分帰る家を間違えただけだろうし、俺が追い返さなくても勝手に居なくなるな。
「開けなさーい!」
まったく……迷子のお嬢様とは貴族も落ちたものだな……
「あーけーなーさーい」
……
「あーーーーけーーー「申し訳ございません。目立つので止めていただけませんか? 後、扉をそんなに強く叩かないで」
「貴方が失礼な事をするのが悪いですわ」
腕を組み、どんと構えるローゼリア。
今日はレティナと一日過ごすつもりでいたのだ。あわよくば帰ってくれればと思ったのだがそうはいかないらしい。
はぁとため息をつく俺にローゼリアは口を開く。
「あら? 貴方その格好はなんですの?」
「なんのことでしょうか? 私はいつも通りの格好をしていますよ?」
「……」
「……」
「……まぁ、いいですわ。そんなことよりレティナはいらして?」
「いらっしゃいますが、レティナお嬢様は今休まれております。また後日お越しください。では」
俺が扉を閉める前に、隙間に足を入れたローゼリアは意味深な笑みを浮かべる。
「紅茶のいい香りがしますわね」
「それはおそらく貴方の鼻が腐っているのでしょう」
「あ~わたくし喉が渇いてしまいましたわ」
「その辺の水たまりでもすすってーー「殺すわよ。早く案内しなさい」
もうこうなれば俺がどんなことを言っても、ローゼリアは退かない。
そう察した俺は追い返すのを諦め、扉を開く。
「一応言っておくけど、レティナの前で昨日の話はしないで。それがここに入るための条件」
「……分かりましたわ。まぁ、最初からレティナの様子を見る為に伺いに来たのですけどね」
「ふ〜ん。それならそうと最初から言ってくれれば良かったのに」
「レオン……また氷漬けになりたいようですわね?」
「では、ご案内します」
ローゼリアの言葉を無視し、ダイニングに案内する。
そのままガチャリと扉を開いた俺は、ケーキを頬張っているレティナに口を開く。
「レティナお嬢様。お客様を連れて参りました」
「ん?」
「やっぱり起きているじゃない。ごきげんようレティナ」
俺の後ろから顔を出すローゼリアを見て、モグモグと口の中のケーキを飲み込んだレティナは不思議そうに顔を傾ける。
「ローゼリアちゃん。どうしたの?」
「少しレティナの体調が気になりましてね。近くを寄ったついでに伺おうかと」
「そうなんだ。心配かけてごめんね」
「いえ、元気そうでホッとしましたわ。隣座ってもよろしくて?」
「もちろん。レンくんがケーキ買ってきたの。一緒に食べよ?」
俺の席をぽんぽんと叩くレティナ。
まぁ、勝手に他のメンバーの席に座らせるよりマシか、と納得する俺は、自分の食べていたケーキや紅茶を下げ、新しいカップに紅茶を注ぐ。
「あら、手際がいいわね」
「まぁね」
「レンくん? ローゼリアちゃんは私のお客様だよ?」
「か、かしこまりました」
「へ~、そういうこと……ね?」
くっ。こいつ絶対よくないこと考えてるな。
不敵な笑みを浮かべるローゼリアに対して、俺はポーカーフェイスを装う。
「どうなさいましたか? ローゼリア……様」
「ふふっ、気分がいいですわね。レティナほら、あ~ん」
「あ~ん」
「美味しい?」
「うん! ローゼリアちゃんもあ~ん」
「あ、あ~ん」
ふむ。悪くない光景だ。
俺の目の前で見せつけるようにレティナとイチャイチャとするローゼリア。
「羨ましいでしょ?」 と声に出さずとも表情で伝わる。
ただ、そんなことで俺は怒りもしないし、嫉妬もしない。これが男だったら話は別だけど……
何も反応しない俺を見て、ローゼリアは気に触れたのかレティナの太ももに手を当てる。
「ロ、ローゼリアちゃん?」
「どうしたの? レティナ」
「う、ううん。何でもない」
すりすりと太ももを撫でられているレティナは、気まずそうに俯く。
そういえばエクシエさんにも同じようなことしていたな。彼女は何も動じなかったがレティナは違うようだ。
女の子同士でも恥ずかしいものなのだろうか?
見てる分には良いもののレティナがあまりいい気持ちになってないようなので、俺はローゼリアの手を掴む。
「申し訳ございません。ローゼリア様。レティナお嬢様が嫌がっておりますので」
「あら、執事の分際でわたくしに指図するつもりかしら?」
「ええ。私の主はレティナお嬢様なので」
「へぇ。でも、残念。レティナは嫌がってなんていわせんわ。ちゃんと気持ちを伝えていますので」
「ちょ、ちょっとローゼリアちゃん」
「気持ち?」
あたふたとするレティナはローゼリアの口を塞ごうと手を伸ばしている。
気持ちって……何のことだろう?
そう疑問に思う俺に、ローゼリアはレティナの手を抑えて自慢げに口を開いた。
「レティナを好きという気持ちですわ」
「へ?」
その言葉に思わず素っ頓狂な声が出る。
す、好き……?
それはもしかして恋の方の……?
……いやいや、待て待て。
俺は何を勘違いしようとしているんだ。
ローゼリアは俺をただ焦らせたくて、からかっているだけ。
どうせその好きって気持ちも友情の方だろう。
「もちろんその気持ちはレティナにも受け入れてもらっていますわ」
「ち、違うよ? レンくん。私はーー「レティナ、そんなに照れなくてもいいですの。わたくしたちの愛をレオンに見せてあげましょう」
「ロ、ローゼリアちゃん……」
「……」
こ、これは勘違いじゃないかもしれない。
レティナを見つめるローゼリアの瞳には、友達としての感情ではなく別の感情が宿っている。
そして、そんなローゼリアから頬を赤らめて顔を逸らすレティナ。
俺が拠点に籠っている間に何があったというのか。
いや、今はそんなことどうでもいい。今やるべきことは、この発情している女をレティナから離すことが第一だ。
顔を逸らしているレティナの唇を奪おうとするローゼリアを、俺は肩を掴んで食い止める。
「ちょ、ちょっと待て!」
「もうなんですの? 今いい感じなのですから邪魔しないでくださいまし」
「い、いいから一旦離れて!」
無理やり引き剥がした俺はレティナをまじまじと見つめる。
「レ、レティナ。さっきのは嘘だよね?」
「さっきのって……」
「ほ、ほら? ローゼリアを受け入れたっていう」
「……っ」
おいおい嘘だろ?
俺が何もしないせいで、レティナは女の子を好きになったのか?
頬を赤らめるレティナに、思わず足元がふらつきそうになる。
お、落ち着け。レオン・レインクローズ。
ま、まだ修正が効くはずだ。レティナが俺のことを好きなのは分かっている。
ローゼリアと両想いなのは癪ではあるが、曖昧な関係を築いていた俺にも落ち度がある。
ふぅと一旦気持ちを落ち着かせた俺は、正面からレティナを見据えた。
「レティナ。俺、レティナがローゼリアのことを好きでも気にしないから」
「えっ?」
「男なら正直立ち直れなかっただろうけど、女の人が相手なら俺も……」
「レ、レンくん? 何か勘違いしてない?」
「ん?」
「えっと、私はローゼリアちゃんにその……恋愛感情はないよ?」
「うっ」
レティナの言葉でローゼリアが大げさに膝をガクンと落とす。
その様子を見たレティナは苦笑しながら話を続ける。
「ローゼリアちゃんは友達として好きだけど、異性?としては見れないって言ったの」
「で、でも、レティナは受け入れたって」
「だって、好きっていう気持ちをすぐに消すことなんてできないでしょ? だから、友達としてこれからもよろしくって」
「な、なるほど」
俺はできるだけ平静を装いながら頷く。
よ、良かったぁぁあ。レティナが取られてなくて……
ローゼリアには申し訳ないが、心の底からホッとしてしまう。
そんな俺に、レティナが上目遣いに見上げる。
「レンくん、すっごく焦ってたね」
「別にそんなことないよ」
「ふ~ん。じゃあ、私レンくん以外にも好きな人作っちゃうね」
「それは……嫌だな」
「ふふっ」
「レティナ、わたくしなんてどうでしょう!? 地位も名誉も十分かと!!」
「ごめんね?」
「うっ」
この調子ならローゼリアがどんなに頑張ってもレティナが落ちることはないだろう。
そう感じた俺は、いつの間にか忘れていた執事口調に戻し、二人と他愛のない会話をした。
時間にして小一時間程経つと、ローゼリアが用事があると言うので、玄関へと付き添う。
「では、お気を付けてお帰りください」
「もうその言葉遣いはいいわ」
「あっ、そう?」
「ええ。少し気持ち悪くなってきたもの」
「そっか。ごめんね?」
「うっ。何ですのその反応は。一周回って怖いですわ」
「そりゃローゼリアに嫌われている理由が分かったからね」
「……それ以上言ったら氷漬けにしますわ。あぁ、何でこんな男をレティナは……」
頭を抱えて嘆いているローゼリア。
同情なんて一切してないが、つい優しく接してあげたくなる。
何故ならここまで気落ちしているのだ。
レティナへの気持ちは本物なのだろう。
数秒待ってあげると気を取り直したのか、ローゼリアの表情は真剣な顔つきになっていた。
「まぁ、そんなことよりレオン。明日の午後一時、<月の庭>に来なさい。もちろんレティナには秘密で」
「……内容は?」
「来れば分かりますわ。では、ごきげんよう。割と楽しめましたわ」
優雅なお辞儀を見せ、振り返ることなく扉が閉まる。
何度も思うことだが、誰が見てもローゼリアが冒険者とは思わないだろう。
それほどまでにローゼリアの所作や格好は貴族そのものであった。
俺は踵を返し、レティナのいるダイニングへと向かう。
明日はまた面倒事の予感がするが仕方がない。今日だけは何も考えずに過ごそう。
そう考えた俺は再び執事の気持ちに切り替え、ダイニングのドアノブを回すのであった。
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