第117話 酒場


 「あっ、レオン。もう用事は済んだの?」

 「……うん。まぁね」


 タッタッタと近づくシャルに対して、俺は無理矢理笑顔を装う。


 マスターに心配をかけた。

 それに、俺が隠している一面を見られてしまった。


 黒い感情に理性を奪われる場面は度々あったが、信頼を寄せてくれるマスターの目の前で、あのような表情をしたことは一度たりともなかった。


 (あのレオンが……まさかあんな顔をするとは……な……)


 最後に呟いていた言葉が俺の心にズシリと重く響き渡る。


 ……どうして……こんな感情が生まれるんだろうか。


 自分では制御できない感情に嫌気が差してしまう。


 「……レオン?」

 「あっ、ごめん。何?」

 「……」


 俺が表情を取り繕ったのが分かったのだろうか。

 俺の瞳をじっと見つめて何かを探ろうとするシャル。

 綺麗な山吹色の瞳が俺を写すが、俺が知らないことまで見通そうとするその瞳は、まるでレティナにジーっと見られてるように感じた。


 「……何かあった?」

 「別に何もないよ」


 心配されたくない。


 ただ、その一心で放った言葉は自分が思う以上に冷たい声色で、思わずシャルの瞳から視線を逸らす。


 「師匠どうしたんですか?」

 「レオンさん?」


 俺とシャルの話に聞き耳を立てていたのだろう。

 休憩スペースで休んでいたロイとセリアが、心配そうな表情で近寄ってくる。


 「えっと……」


 口を開いてみたものの、まともな誤魔化しが思いつかない俺はそのまま口籠ってしまう。

 そんな俺に対して、シャルは気持ちを切り替えたようにパンと手を打った。


 「よしっ、決めた。レオン、今から飲みに行きましょ?」

 「え……? ちょ、ちょっとシャル?」

 「ほらほらっ」


 呆気を取られる俺に対して、シャルは無邪気に俺の手を取り、<月の庭>の出口を目指す。


 「ほらっ、セリアちゃんとロイも付いてきて。今日は私の奢りだから」

 「う、うん」

 「お、おう」


 ふふふっふ〜ん。とご機嫌に鼻歌を歌うシャルに俺は何も言うことができず、流れに身を任せるように手を引かれるだけなのであった。










 「それじゃ、かんぱーい!」

 「か、かんぱーい」


 時刻は午後六時。

 手を繋いで訪れた店は、街の中央に構えている一軒の酒場であった。

 隣にシャル、対面にはロイとセリアが座り、テーブルの上には様々な料理が並んでいる。


 「レオンは何が食べたい? 取り分けてあげるわ」

 「え、えっと……白豚ホワイトピッグの燻製焼きと、塩きゅうりで」

 「えっ? それだけ?」

 「う、うん。とりあえずね」

 「分かったわ。遠慮しないでいいからね」


 注文した料理が来ると、一枚の皿に要望した食べ物を取り分けてくれるシャル。

 そんなシャルを見たロイとセリアは、俺に目線を移しニヤニヤとしている。


 ……ふむ。少し腹立つな。


 「ロイ……セリア。俺と飲むのは初めてだったよね?」

 「そうっすね〜。師匠、俺たちちょっと邪魔じゃないすか〜?」

 「馬鹿ロイ。今は居てあげましょ? そっちの方が楽しいじゃない」


 食べ物を口に運びながらニヤニヤとする二人は、どうやら俺を揶揄っているようだった。


 よしっ……潰すか。


 「二人とも……マリーって覚えてるよね?」

 「……? は、はひ」

 「もちろん覚えてますけど……?」

 「彼女ね……酒豪なんだ。どんな大男にも負けないくらいにさ。俺はお酒を飲むのは苦手だけど、マリーに散々付き合わされてね……」

 「……?」

 「そうなんですね……?」

 「まぁ、そんなに強くない人なら……"二人分"、相手にできるくらいは強くなったんだよ」

 「お、俺用事が……」

 「わ、私も……」


 俺の言いたいことが伝わったのか、席を立とうとするロイとセリア。


 「へぇ〜、マリーさん凄いのね。レオンでも勝てないの?」

 「そうだよ。でも、良かった。マリーはこの日の為に俺のことを鍛えてくれたんだな」

 「ん? どういうこと?」


 ぽかんとしているシャルを横目に、ロイとセリアの飲酒水エールを持ち、二人の目の前に突き出す。


 「二人とも……今日は逃げられないから」


 にこっと笑顔を取り繕った俺に対して、顔面蒼白になっている二人はもう逃げられないのを悟ったのか、絶望した表情でぽすっと席に腰を下ろしたのだった。







 「……うえっ。し、師匠。も、もう無理っす」

 「……わ、私……お手洗い行ってき……うっ」


 テーブルに突っ伏しているロイはもう限界なのか、半ば白目になりながら口を押さえている。

 対するセリアはロイと同じように口を押さえながら、トイレへと駆け込んでいった。


 「レオン。ダメよ? 二人を虐めちゃ」

 「ごめんごめん。シャルは割と強いんだね」

 「えぇ。私こう見えてもお酒は結構好きなの」

 「へー、意外だな。今度マリーを誘って飲みに行けば? 多分喜んで付いてくると思うよ」

 「うん……できれば、誘いたいんだけど……まだちょっと怖いのよね……マリーさんって」


 少し不安げな表情をするシャルは、手に持っていた飲酒水エールをテーブルの上へと置く。


 確かにマリーは他の人の前では滅多に笑顔を見せない。

 だからだろうか、シャルのように 「怖い」 やら 「冷たい」 やらと、勘違いしてしまう人が多い。

 怖いなど俺から言わせてもらえば全て外見から判断しているだけであり、マリーの内面はとても優しい人なのだ。

 困っている人がいれば救いの手を差し出すことができ、仲間の為なら命さえも投げ出すことも厭わない。


 そんなマリーが怖がられてる事に少しだけ切なさを覚える。


 「マリーが……怖い……か」

 「あっ、ごめんなさい。別に関わりたくないと思ってるわけじゃないの」

 「分かってるよ。大丈夫だから」


 気まずそうに俯くシャルの頭を優しく撫でる。


 マリーが<魔の刻>以外の前で笑わないのは、きっと師匠の呪いが残っているせいだろう。


 飲みたくもない飲酒水エールをぐっぐっと喉に流し飲み切った俺は、空っぽになったジョッキを静かにテーブルに置き、昔マリーと一緒に会話したあの時を思い出した。














 あれはカルロスを仲間に加え、<魔の刻>を結成してから半年程経ったある日だった。


 「マリー、眠れないの?」

 「あっ……レオンちゃん」


 宿屋の屋根上で月を眺めていたマリーは、俺を見て綺麗に微笑み耳に髪をかける。


 当時はレティナとマリー、それとカルロスの四人で同じ宿屋に泊まっていた。

 個々の部屋は別々ではあったが、レティナがこっそりと俺のベッドへ夜中に侵入して来るあたり、今思えばほとんど拠点の生活と変わらない日常ではあった。


 まだ拠点を買うこともできなかった俺たちがよく集まっていた場所が、マリーが居た宿屋の屋根上だ。

 そこにいれば大概誰かがやって来る。

 レティナやマリー、カルロス。

 二人きりの時もあれば全員が揃うこともある。

 マリーと二人きりになったその日は、いつもより夜が更けた時間帯であった。


 「隣座ってもいい?」

 「もちろんよ」


 隣をぽんぽんと叩くマリーの隣に腰を掛ける。

 月明かりが俺たちを照らし、夜風によって身体が包まれる。

 何気ない日常のひと時でも、いつもとは違う雰囲気を感じた俺はマリーを見つめて口を開く。


 「……何かあった?」

 「どうして?」

 「いや、勘違いだったら気にしなくていいけど……マリー、少し元気がなさそうだからさ」

 「……っ」


 俺が思ったことはどうやら当たっていたらしい。

 驚いた表情をしたマリーは俺の顔を見つめた後、顔を膝にうずめてぽつりぽつりと話し始めた。


 「……師匠のことを思い出していたの」

 「師匠……?」

 「そう……私を育ててくれた人。レオンちゃんは前に言っていたわよね……私が誰も信用しない……そういう瞳をしているって」

 「あぁ、言ったね」

 「あれはね……師匠に教え込まれたからなの。人は裏切る生き物だから信用するなって。裏切られた時に絶望するのは自分自身だからって……そうやって毎日毎日呪いのように」

 「……」


 マリーの言葉に耳を傾ける俺は、少しだけ苛立ちを覚えていた。

 マリーが言っている師匠がどんな人生を歩んできたのかなんて知らないし、知りたいとも思わない。

 ただ一つ思ったことは、そんな価値観を自分で育てた子とはいえ、洗脳するように教え込むなんて性格が捻じ曲がっているということだった。


 もしも俺たちがマリーを見つけられなかったら……マリーはずっと一人ぼっちだったのかもしれない。


 きゅっと心臓が痛む俺に対して、マリーは言葉を続ける。


 「……レオンちゃんやレティナ……それにカルロス。みんなが居るから私は毎日幸せよ。一人だった時よりずっと楽しくて……一生この時間が続けばいいのにって。この人たちなら……私は裏切られても構わないって思うくらい」

 「裏切らないよ。誓って言える」


 力強く言った俺の言葉にマリーはピクリと反応して顔を上げ、切なそうに微笑む。


 「ふふっ。ありがと……でも、どうしてもね。まだ、師匠の言葉が頭から離れないの。レオンちゃんたちは違うけど、他の人は師匠が言う通りの人たちなんじゃないかって……そんなはずないのに……ね」

 「……」


 マリーは俺から視線を逸らし、白く輝いている月を見上げる。


 人を信じたいけど、信じられない。

 だから、俺たち以外の前ではマリーは笑わない。


 幼少期から教え込まれたその呪いはマリーの頭に深く根付いており、俺がどんな言葉を見繕っても今その呪いを消せることはできやしないだろう。


 なら……


 俺はゆっくりと立ち上がり口を開く。


 「……じゃあさ、マリー。俺たちを見ててよ」

 「えっ?」

 「俺、あの時言ったろ? 世界には信用できる人がいるんだぞって。俺たちだけじゃなくて、そういう人は大勢いるんだ……だからさ? ゆっくりでいいよ」

 「……」

 「俺たちと一緒に冒険して、ゆっくり人と関わりながらその呪いを消していけばいい。何年でも何十年掛かっても……俺たちはマリーから離れないからさ」


 マリーの呪いはいつかきっと解ける。

 だって、俺たちが証明して見せたから。


 俺の言葉に少しだけ瞳を滲ませたマリーは、顔をふるふると振った後、パッと満面の笑みを見せた。


 「そうね。じゃあ、レオンちゃんと二人で暮らしながら、消していこうかしら」

 「えっ!?」

 「ふふっ。冗談よ。レオンちゃん、ありがとう」











 あの日からもう五年くらいは経っただろうか。

 マリーが俺たちと一緒に過ごして、心を許した相手は多くない。

 俺が知っている限り、マスターとアリサさんくらいだ。


 あっ……<海男>の前でも笑ってたっけ。

 まぁ、あれはただ馬鹿にしてただけだけど。


 「……レオン?」

 「えっと……ロイとセリアはもう限界そうだし、もうそろそろ出ようか」

 「えぇ。そうね。じゃあ、私代金支払ってくるわね」

 「あぁ。ありがと」


 シャルが支払いを済ませた後、ぐでんぐでんになっているロイと、気持ち悪そうに口を押さえているセリアをシャルと二人で支えながら店を出る。

 時刻はもう午後十時を過ぎたあたりで、大通りを行き交う人々も少なかった。


 「師匠〜俺、反対なんでお疲れしゃまでした〜」

 「あれ? シャルとセリアは同じ宿屋だよね? ロイは違うの?」

 「違いますよぉ」

 「じゃあ、送るよ。今のロイ……やばそうだし」

 「いや、大丈夫っすよぉ。俺ここからすぐなんでぇ〜師匠は二人を送って上げてください〜。じゃあ、お疲れしゃまで〜す」


 へらっと笑顔を見せたロイは、おぼつかない足取りで歩き出す。


 ふむ。

 多少心配ではあるが、ロイが大丈夫と言うなら俺は二人を送ろう。


 ロイの背中を見送った俺は後ろを振り返り、シャルとセリアに声を掛ける。


 「じゃあ、帰ろうか」

 「うっ。は、はい……」

 「セリアちゃん大丈夫?」

 「う、うん。心配しないで……大丈夫……っ」


 ゆっくりと歩くセリアの足並みに揃えて歩く俺とシャル。


 「シャルたちは明日も依頼をこなすんだよね?」

 「えぇ。そのつもりだったんだけど、セリアちゃんとロイの体調次第かしら」

 「シャル、私は大丈夫……だから」

 「無理しちゃダメだよセリアちゃん。冒険は万全な体調で挑まないと、何かあった時に大変な目に遭うんだから」

 「……うん」


 顔色が優れないセリアは申し訳なさそうな表情をして、シャルの肩で身体を支えながら一歩一歩踏み締めるように歩いている。


 あまり飲ませたつもりはないんだが、これは……もしかしてやり過ぎた?


 マリーやカルロスを見てきた俺からすると、セリアとロイは酔うのにあまりにも早過ぎた。

 演技をしていると思った俺は、ついつい飲酒水エールを追加で注文し一緒に飲んでいたのだが……


 少しだけ罪悪感に苛まれている俺に対して、シャルはいつの間にか俺を見つめていたようで、ほっと安心した表情をして、口を開く。


 「……うん。よかったよかった」

 「え? 何が?」

 「こっちの話よ。気にしないで?」

 「う、うん」

 「レオンさん……少し様子がおかしかったから……シャルが気を利かせてくれたんですよ……うっ」

 「セ、セリアちゃん。ちょっと静かにしてて」


 顔をほんのり赤くするシャルは、人差し指を口元に当ててセリアに黙るよう言い聞かせている。


 あぁ、そういうことだったのか。

 どうしていきなり酒場へと連れてこられたのか分からなかったが、セリアの言葉でやっと腑に落ちた。

 セリアの言うように、きっとシャルは様子がおかしかった俺を元気にしようとしてくれたのだろう。

 そのおかげで飲んでいる時はマスターのことを忘れられた。

 あのまま拠点に帰ったとしても、ぐるぐると頭の中で色々と考えていたのかもしれない。


 シャルはやっぱり優しいな。


 「ありがと。シャル」

 「う、ううん。私がレオンと飲みたかっただけだから」

 「私一人で先に帰りましょうか?」

 「……セリアちゃん」

 「……シャル。冗談だからその顔やめて……」


 シャルの優しさを再認識した俺は、その後二人を宿屋に送り、踵を返して拠点へと帰路するのであった。

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