第110話 ネネ


 王都マルンは海で囲われている。

 この王都から出るには中央から真っ直ぐ抜けた先の大橋を渡るしか方法がない。


 「スカーレッド様、私はもう大丈夫です。仮面を外して街に紛れ込んでください」

 「いや、そうはいかない。自分の目で確かめたいからね。正門の衛兵はもちろん……殺してないよね?」

 「はい。立ったまま門にもたれかかるように気絶させているので、通行人から見ても違和感は感じないと思います」

 「そっか。色々ありがと。ネネ。後……ごめんね。一人で怖かったよね」

 「……大丈夫です」


 走りながら頭を撫でてくれるスカーレッド様の優しさを感じながら、正門へと向かう。

 私の足では全力疾走でもスカーレッド様にとっては、遅いと感じることだろう。

 それでも、スカーレッド様は私に合わせて走ってくれる。


 街の街灯が照らされていない人混みの少ない場所を走り抜けて、正門へと着いた私たちは通行人など目も暮れず大橋を走り切った。


 「はぁはぁ……スカーレッド様……待ち合わせの場所まで……はぁはぁ……もう少しです」

 「……うん。分かった」


 大橋を渡り切ってから道のない森に入り、事前に待ち合わせを決めていた場所へと辿り着く。


 「お、お、お待ちしておりました」

 「き、傷一つ付けておりません」


 二人の白仮面が私たちを見て、首を垂れて這いつくばる。

 その後ろに居た十数人の白仮面たちも同じように膝を地面に付け、頭を下げた。


 「……顔を上げて、仮面を取れ」


 スカーレッド様の言葉により、皆が皆仮面を外す。

 最初にスカーレッド様に話しかけていた二人は女。後は、全員男である。


 「……はっきり言うね。君たちの仲間は全員死んだ。それにとっても使えなかったよ」


 落胆した声色で話すスカーレッド様に、ビクッと反応する白仮面たち。


 「ネネと一緒に行動した者は?」

 「……女二人です」

 「そっか……後は何してたの?」

 「城の正門を監視する者が三人。大橋の前で衛兵が気絶していることを確認する者が三人。後は、知りません。城に潜入しているのかと思いました」

 「へぇ。あとの半数は何してたの……?」


 スカーレッド様の質問に答える者はいない。


 「……まぁ、いっか。ネネどうしたい?」

 「皆殺し……と言いたいところですが、私一人でランド王国へ背負って行くのは厳しいかと……」

 「ま、ま、待ってくれ!! こいつが何もしてなかったのを知って…………へっ……?」


 膝立ちになった男の下半身はもうない。

 私の目でもギリギリ見えたくらいだ。

 地面で息絶える男は何が起きたか分からなかったに違いない。


 「話を続けて? ネネ」

 「はい。なので、女二人は残してください。本当は……もう一人の女も……連れて行きたかったのですが……」

 「そっ……か。要するに男は用済みって話ね」

 「はい」


 スカーレッド様が動き出したのを見て、私は瞳をゆっくりと閉じる。

 醜い男共の阿鼻叫喚が森の中に響き渡り、少し経つと静寂が訪れた。

 その静寂の中、頭を撫でられる感覚が伝わり瞳を開ける。


 「よしっ。じゃあ、ネネ。後は頼んだよ」

 「はい。お任せください」

 「うんうん。頼りにしてる。それと残った君たちはネネの言うことをちゃんと聞いてね? 聞かなかったら……分かるね?」

 「わ、わ、分かりました」

 「は、は……ぃ」


 血だらけのスカーレッド様の瞳がニコリとしたかと思うと、顔を上げて月を見上げる。


 「やっと……やっと……私がどれだけ待ち望んでいたか……一年も掛かったけど……もうすぐ……」


 見上げた月は欠けていた。

 それはまるで、スカーレッド様の心を映し出したように感じたのだった。














 私がスカーレッド様にお慕い行動しているのは、生き地獄から救ってくれたから。

 それと……もう帰る場所がないからだ。



 私のお父様は弱小貴族であった。

 お父様が管理している村は人口五十人にも満たず、そのほとんどは高齢な方ばかり。

 村で生まれた若者は夢を見て王都へ行き、帰ってくる者は一人もいなかった。

 それでもなんとか食べて行けたのは皆が皆、手と手を合わせて農作物やら家畜やらを育てていたからだ。


 そんな村で生まれた私には二人のお兄様がいた。

 二人ともとても優しく、私が甘えても文句一つ言わずに遊んでくれる。そんな理想的なお兄様たちであった。

 対してお母様は二人と違って厳しく、私が魔法の素質がないことを知り、 「利口な子に育ちなさい」 と数々の書物を強制的に読まされ、挙句の果てには 「自分を守れる強さを持ちなさい」 と剣の指導をお父様から毎日叩き込まれた。


 でも、今にして思えば、お母様は私の将来を心配して言ってくれたんだと身に染みて感じる。






 幸せな日々崩れ、あの地獄が訪れたのは一年前。

 いつも通り剣を振るい、書物を読み漁る。

 そんな日々に不満を持ち始めていた私は、お母様と喧嘩し不貞寝をしたのだ。


 そして、眠っている最中、勢いよく部屋の扉が壊されたかと思えば……



 数人の知らない男たちに襲われた。


 その日の記憶はほとんど覚えていない。

 唯一覚えてるのは、知らない男たちに部屋から連れ出され、見るも無残な状態で殺されているお兄様二人とお父様の姿だった。


 その日から地獄のような日々が始まり、もうあの頃には戻れないと悟った私の唯一の心の支えは、厳しかったお母様だった。


 「ネネ。耐えるの。いつか助けが必ず来るわ。その時まで私が守ってあげるから安心しなさい……ほら、こんな話があったでしょ? 王都の近くでかなりの数の山賊が徒党を組んだの。それを掃討した立役者が当時十六歳の男の子。だから、今回もその男の子が助けてくれるかもしれない……そう信じましょ? ネネ」


 そんな言葉を私に掛け、励ましてくれたお母様の笑顔を今でも覚えている。


 部屋で監禁された私とお母様は、助けが来るのを必死で待った。

 震えている私の背中をさすりながら、気を強く持っていたお母様は毎日私の代わりに地獄へと連れ出されて行った。

 それをただただ見送ることしかできなかった私は、部屋で神様に祈る。


 どうか……どうか……この地獄を終わらせてください……と。


 そんな願いをし続けた私と違って、毎日男に連れ出されるお母様は段々と弱っていき……




 この村を占拠していた男共に殺された。




 私の願いも私の希望も私の愛する家族も……何もかも失った。

 もうこの世界で生きる理由なんてないのに……



 それなのに……


 (ネネ。耐えるの。いつか助けが必ず来るわ。その時まで私が守ってあげるから)


 お母様の言葉が頭の中に響く。


 「……おか……あっ……さまっ……おかあ……っさま……」


 自分の命さえ絶つことができず、目を瞑って耳を塞ぎ、


 来ないで。来ないで。来ないで。


 と、部屋の隅で震えながらひたすら願った。



 一つ目に思ったのは……遅いだった。

 いつもならもう来てもおかしくないのに、あの男たちは現れない。


 二つ目に思ったのは……焦げるような何かが焼けている匂い。


 真っ暗な部屋の中、瞳を開いた私は恐る恐る扉に近づきドアノブを回す。

 キィーっと開いた扉からゆっくりと顔を出すと、いつも見張っていた男たちは居なかった。


 ……今しかない。


 おぼつかない足取りで玄関へと目指した私は、一人のお方に出会った。


 そのお方こそが……今も隣にいるスカーレッド様。


 その時の光景は鮮烈で、スカーレッド様の周りには数十人の男たちが血だらけで倒れており、パチパチと火の粉が上がる中、血飛沫で身体を赤く染めているそのお方に私は思わず魅入られた。


 この世の地獄から救い出してくれたスカーレッド様は、助けに来ることが遅かったと悔やみながら私を抱きしめてくれた。

 当の私はその言葉に涙を流し、誰もいない街の中、スカーレッド様と二人で燃えゆく家を見届けたのだった。












 「……ネネ。大丈夫?」

 「は、はい。問題ありません……少し昔のことを思い出してました」

 「そっ……か……ごめんね」


 申し訳なさそうな声色で謝るスカーレッド様。

 一年前から変わらぬ、優しいお方。

 だけど、一年前とは確実に違う点があった。


 それは出会った当初とは違い、赤い仮面を付けているところだ。








 「もしも私の身に何かあった時に……ネネ。これを大事に持っておきなさい。これを使って中にある物を売れば、一生生活に困らないはずよ。お父様のご先祖様が洞窟で見つけたのをずっと大切にしまっていた物だから……私は見たことがないけれど、非常に価値のある物だとお父様が……っお父様が話していたわ」



 お母様の言葉を思い出した私は燃え尽きた家にある地下室で、その鍵を使いスカーレッド様が付けている赤い仮面と……



 一つの魔法書を見つけた。



 仮面の性能を体感して物凄く貴重な物だと理解したが、もう一つの魔法書を読んだ後、その魔法書の方が貴重で歴史的価値のある物だとすぐに察した。


 これを行使できる人がいるのなら……もしかして……


 そんな淡い希望を抱いたが、その魔法を扱える人はきっといないだろう。


 だから、私はこの二つを対価にして、スカーレッド様の隣にいることを選んだ。


 お金なんていらない。

 一人というのが、どんな想像よりも辛かったから。






 「……ネネ」


 私の身体をあの時と同じように包み込んでくれるスカーレッド様は優しく囁く。


 「後悔……してない?」

 「はい。私は決めたので…………私の希望よりもスカーレッド様の希望を叶えてあげたいと。それに、スカーレッド様が助け出してくれなかったら……今頃私は雲の上です」

 「……僕が君のことを見捨てるかもしれない。それでも……?」

 「承知の上です。私が不必要とお考えになった場合はいつでも切り捨ててください」


 本当はそんなの嫌。

 その事を想像したくもないほどに。


 でも、一度は消えかけた命。

 もしもそのような事態になった時は……覚悟ができている。


 「スカーレッド様。計画は最終段階です。もう少しで貴方様の夢は叶います。ですが……大丈夫ですか?」

 「何が……?」

 「罪悪感で胸が押し潰されてはいませんか? 貴方様はお優しいのでその……心配です」

 「そんなの……分かりきってたことだよ。なんの心配もいらない」

 「……その言葉遣い……少し寂しいです」

 「……」


 本当の自分を偽り、邪の道を歩き続けているスカーレッド様。

 同じ邪の道を歩み、私の家族を殺した男たちとは天と地……いや、もはやそういう次元の話ではないほどに心温まる存在である。


 私の身体を離し、ふぅと一息ついたスカーレッド様は、


 「じゃあ、よろしく頼むよ。ネネ」


 と言い、闇に紛れ姿を消した。


 「必ず貴方様が……真の意味で笑えるように……」


 ブルブルと震えている女山賊たちにも聞こえないほどの小声で呟いた私は、目的の為、スカーレッド様が消えた逆の方向に歩みを進めるのであった。

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