第85話 海だ!!②
「レンくんお待たせー」
「あっ、予想以上に早いね」
あれから数分だろうか、レティナがミリカの手を引っ張り俺の元へと走ってきた。
目の前で立ち止まったレティナの後ろにささっと隠れるミリカ。
「あの、ミリカ?」
「……なに。ごしゅじん」
「んー」
顔だけ出してこちらの様子を伺うミリカの表情は、どこか不安気に感じた。
なんて言おうかと頭の中で考える。
(ミリカの水着が見たいな)
これじゃ少し気持ちが悪い。
(ミリカと話したいな)
これじゃ今の状態でも話せる。
んーと唸っている俺に対して、レティナは強引にミリカを前に出させた。
「わっ。レ、レティナねーねぇ」
「大丈夫だよ。ミリカちゃん。ほらっ、レンくんどう?」
目の前でもじもじとさせているミリカの水着は、とても可愛いらしい物であった。
マリーと同じ黒系の中に白の模様が施されており、フリル付きのスカートはミリカに似合っている。
これでミリカのことを恥ずかしい人と思う者がいるなら、多分そいつの目はイカれているだろう。
「すごく可愛いよ」
「ほ、ほんと?」
「もちろん。俺は嘘……じゃなくって、ほんとだよ」
危ない危ない。
俺は嘘をつかないからね。なんて言ったら、ミリカはきっと逃げ出してしまう。
それだけは避けないと。
「ごしゅじん」
「ん?」
「ミリカ。胸。大丈夫? ごしゅじん。好き?」
「えっと……」
その問いに口籠る俺は、レティナをチラッと見る。
レティナは苦笑を浮かべて、一度だけ首を縦に振った。
正直口にするのはとても恥ずかしいが、ここで俺が動揺してしまうとそれはミリカにも伝わってしまう。
俺はポーカーフェイスを装って、上目遣いに見上げているミリカの頭を撫でる。
「うん。好きだよ」
「把握した。ごしゅじん好きならミリカ。安心」
周りに人が居なくて良かった……
俺はほっと胸を撫で下ろすと、レティナとミリカの手を引っ張る。
「じゃあ、行くよ。早く海に入りたくてうずうずしてたんだ」
「ふふっ。私もー」
「ミリカも」
バシャバシャと水を蹴って、海に入水する。
海の水は地上の気温より冷たく、いつまでもこの中に居たいと思うほどの気持ちの良さだ。
レティナとミリカの手を離した俺は、そのまま海の中を潜る。
目を開ければ、澄み切った水底を見渡すことができ、魚たちが気持ちよく泳いでいた。
水面に上がった俺は髪をかきあげて、顔を拭った。
「やっぱり思ってた通り気持ちいいね」
「うん。ほんと来れて良かった」
「ごしゅじん。魚。いっぱいいる」
「そうだね。ミリカは捕まえれる?」
「捕まえれる」
「おっ、じゃあ、一回の潜りでどっちが多く捕まえれるか勝負しよう」
「把握した」
ミリカはコクリと頷くと、海の中へと消える。
俺もミリカに続くように海の中へと潜ると、悠々と泳いでいる魚目掛けて足をばたつかせた。
一瞬にして魚と距離を詰めた俺は、素早く三匹の魚を両手で掴む。
が、ヌメヌメとした体表によって、俺の手から抜け出す魚たち。
思いっきり握っても潰してしまうだけなので、何か策を考えなければならない。
う〜んと海の中で唸っていると、目の前にミリカの姿が現れる。
ミリカも俺と同じなのか魚を掴んでは逃げられ、掴んでは逃げられを繰り返しているようだった。
こうなれば仕方がない。
本当はもっといっぱい掴むつもりだったのだが、両手で魚を掴んですぐに水面に上がろう。
俺は二匹の魚を両手で掴み、すぐに水面に上がる。
「ぷはっ。レティナ。ほらっ、俺二匹ね」
「えっ? 二匹なの?」
「う、うん。わっ」
掴んでいた魚が俺の両手から逃げ出し、海の中へと姿を消す。
「私だったら何匹でも捕まえれるよ?」
「いや、魔法はルール違反だよ……」
「ぷわっ。ごしゅじん。ミリカ。これ」
「あーミリカは一匹か。じゃあ、俺の勝ちだね」
「? ごしゅじん。魚持ってない」
「逃がしてあげたんだ。可哀想だしね」
「じゃあ、ミリカも逃がす」
しょぼんとしたミリカはそのまま魚を海の中へと放ち、ゆっくりとこちらに泳いでくる。
「おーい、レオーン」
すると、大きなカルロスの声が背後から聞こえて、俺は思わず後ろを振り返った。
平泳ぎとは思えないほどの速さで、俺の元へ泳いで来たかと思うと、カルロスは寸前のところで動きを止めた。
急に止まった拍子に、ざばーんと顔から水飛沫を浴びる俺とレティナ。
ぶるぶると水を振り払い、顔をひくつかせたレティナは、カルロスに向けて少し苛立ち気味に言葉を発した。
「カルロスさん……? 周りの人をちゃんと見ましょうね?」
「あ、あぁ。すまねぇ。水が俺についてこれねぇみたいだ」
「……」
「おいおい、そんな顔すんなって。今のは冗談だ。それより、レオン。あそこ見てみろ」
カルロスが指を指した場所には、浮き輪で浮いているルナとゼオの姿が見えた。
二人はこちらに手を振って、大声を出している。
「レオーーーーン。助けてーーー」
「レオンさーん。カルロスさんにやられました〜」
その言葉だけを取るなら、二人は窮地に陥っていると思うだろう。
ただ、表情は明るく不安そうな雰囲気さえ感じられない。
「カルロス……あれは?」
「あぁ、ルナとゼオのピンチだな」
「いや、すごい笑顔だけど?」
「勘違いするなレオン。あれは紛れもなくピンチの顔だ。だから、助けるしかねぇんだが……まず、浜辺で待機しているマリーと合流だ。そこで勝負の内容を教えてやる」
「……勝負って言ってるじゃん」
カルロスはそのまま浜辺で待機させてるというマリーの元へと向かう。
俺とレティナとミリカは渋々カルロスの後ろを追うのだが、急にカルロスが物凄い勢いで加速した。
加速したことで置いていかれる俺たち三人。
「ちょ、いきなりどうしたんだ?」
「知らないけど……ん? レンくんあれ見て?」
カルロスと引き離された俺は、レティナが指を指す方に視点を向ける。
浜辺で退屈そうに座っているマリーの周りに二人の男たち。
どちらも金髪でいかにも柄の悪そうな印象を受ける。
「俺たちも行くか!」
「うん」
「把握した」
海から出て、浜辺を駆け出す。
カルロスはもうマリーの元へと辿り着いたようだった。
「あん? なんだお前?」
「おい。この子は俺たちが先に声掛けたんだっつーの。それともお前この子の彼氏か何か?」
「ぷっ。彼氏って……ふふっ」
「あー。もうお前らだるいからさっさと消えろ。こいつはお前らが思ってるような女じゃねえよ」
カルロスが二人の男の肩を持ち、説得している。
そこに俺たちが駆けつけて、レティナとミリカがマリーの側に近寄った。
「マリーちゃん。大丈夫?」
「もちろんよ? あれ? もしかして心配かけた?」
「ミリカ。心配してない。マリー怖い。知ってる」
「……それはそれでちょっと引っかかるわね」
マリーは強いといっても女の子だ。
怖いという言葉が先に出るミリカには、後で教えてあげよう。
こういう時は、心配したって言った方がいいんだよって。
「うわっ。みんなすっげぇ可愛いね」
「なぁなぁ、こいつら放っておいて、俺たちと遊ばない?」
カルロスを目の前にしてこれほど言えるのは大したものだ。
俺の見た目はそんなに強そうな感じはしないと思うが、カルロスは俺とは違う。
その筋肉は岩のように硬そうで、身体には魔物と戦った古傷がある。
どこからどう見ても強者の身体付きだ。
そんなカルロスは、はぁとため息をつき凄みのある圧を二人にかける。
「おい。いい加減にしろよ? マリーは俺の大事な仲間だ。もしこれ以上口を開くなら……潰す」
「わ、わ、分かった分かった。もう何も言わねえよ。行くぞ」
「お、おう」
流石はカルロスだ。
闘気も放たず、圧だけで人を散らせることができるなんて、俺も見習いたいものだ。
俺がうんうんと一人で頷いていると、座っていたマリーが腰を上げ、お尻の土を払いながら口を開いた。
「ま、まぁ、あれくらい私一人でもなんとかできたけどね? ずっと無視してたら、どっか行ってくれないかなって思ってただけだから」
「おう。そうか。でも、まぁ……無事で良かったんじゃねぇか?」
「……そ、そうね」
カルロスの純粋な瞳から視線を逸らして、髪を弄るマリー。
一人でもなんとかできたことは本当だろう。
マリーがそこら辺の男に怯えるはずがないし、魔物相手でもすまし顔を崩したところを見たことがない。
ただ、目に映るマリーは普段の彼女とは違って、まるで何処にでもいる一人の女性のように感じた。
……な、なんだこの甘酸っぱい空気は。
俺はこの空気に水を刺すことができなくて、ミリカとレティナに視線を移す。
二人も同じなのか、少しだけ首を横に振っていた。
その空気を破ったのはやはりというべきか、カルロスであった。
「うしっ。じゃあ、勝負すっぞ。内容は至ってシンプル。この砂浜から走って一番最初にルナとゼオに触れた者が勝者だ」
「……ん? ということは、二人勝てるってことだよね?」
「まぁ、そういうことだ。あっ、後、さっきで学んだんだが、勢い余ってルナとゼオに嫌な思いをさせた奴は反則負けだ」
「な、なるほどね」
「じゃあ、やるぞ」
カルロスはニカッと気持ちよく笑って、走り出す準備をする。
その様子にワクワクしていたのは、ミリカだけであった。
マリーとレティナは明らかに嫌そうな顔を浮かべている。
その表情になっても仕方がないことだ。
何故なら、カルロスの勝負には必ず……
「んで……今回の罰ゲームは?」
「? 罰ゲーム? 何それ。ごしゅじん」
そう。
カルロスの勝負には必ず罰ゲームが存在する。
二年前に加入したミリカはそれを知らなかったのか、首を傾げて俺を見つめていた。
「そうだな……今回の罰ゲームは、敗者は勝者の言うことを一日聞く……なんてどうだ?」
「ちょっと待ちなさい。カルロス。あんた……いやらしいこと考えてないでしょうね?」
「あ? マリー。そんなもの勝者の奴が決めれるだろ。それともなんだ? お前は自分が負けると思って、怖気づいてるのか?」
「っ! い、いいわよ。やってやろうじゃない。でも、最初はうつ伏せスタートよ。それなら公平だから」
「ふっ。分かったっての。じゃあ、それでやろうぜ」
なんてちょろい女の子なんだろう。
マリーはカルロスの煽りに耐えきれないのか、すぐにうつ伏せになった。
カルロスもマリーの横でうつ伏せになり、いつでもスタートできるように位置についている。
「おい。お前ら早くしろ。ルナとゼオが待ってるんだからな。ちなみにレティナ……魔法は禁止だからな?」
「……え。ま、魔法も自分の力の一つだよ?」
「はぁ……レティナよぉ。そんなので勝って嬉しいか?」
「う、嬉しいよ!」
「……レオン。レティナに言ってやれ」
えっ……なんで俺に振るの。
レティナは瞳をうるうるとさせながら俺に近づく。
上目遣いに見上げているその表情は、男なら誰でも守りたくなるほどの庇護欲を感じさせた。
だが……
「レティナ……勝負の世界は甘くないんだ」
「……」
一日勝者の言うことを聞かなければならないという罰ゲーム。
そんなの俺が敗者になってみろ。
どんな怖いことを命令されるか想像もつかない。
俺は裏切られたという表情をするレティナから視線を逸らして、うつ伏せになろうとカルロスに近づく。
「ごしゅじん。少し待って」
「ん?」
「ミリカ。不利。泳いだことない」
俺の前で両手を広げ、勝負を遅延しようとしているミリカは少しだけ肩を震わしていた。
「ミリカ……俺もないんだ」
「う、嘘。さっき泳いでた。ミリカ見た」
「ミリカも泳いでたよ?」
「!? ごしゅ……じん……」
「……ミリカ諦めるんだ。勝負に勝てばいいだけの話だろ?」
「ミリカ。勝てる気……しない」
「そっか……これが<魔の刻>なんだ……お互い正々堂々戦おう」
くっ。ミリカとレティナの視線が痛い。
勝負はもう始まってるというのか……
俺は二人の視線を遮り、うつ伏せになる。
レティナとミリカも決心がついたのか、俺の隣でうつ伏せになり全員が同じ体制を取った。
そして、
「じゃあ、始め」
いつもの俺の言葉によって、生死を分けた戦いの幕が切って落とされたのだった。
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