5
校長の山本は、もともと胃癌を患っていて、それが最近は肝臓にまで転移していたそうだ。
(いつも、精一杯周りを気にかけるようにしてて、内臓に負担が来てたのかな)
青子は山本校長を不甲斐ないと心の中で呟いた自分を責めた。
実際、山本校長がいなくなってから、大草の周りへの絡みは以前よりしつこいものになった。
山本校長と言う、柔和剤がなくなっただけで、途端にぎすぎすしだした。
愛想笑いでやり過ごしていた古参の教員たちも、しかめ面を隠せなくなっている。
(このクソが)
青子は心の中で毒づいて、何もできない自分も結局クソだと落ち込んだ。
優しい人を軽視するから、こういうことになったんだと。
そんな時だ、青子のもとに、アニメ声優オーディションの一般公募一次審査合格の便りが来た。
「え? こんなの応募してないのに‥‥‥」
しかも、封筒に書いてある名前が『青子』でなく『毒子』になっていた。
「ひど、嫌がらせ? でも合格だし。二次審査行ってみるか」
審査会場は一つの大きな白い部屋で行われ、最初から審査員や関係者が出入りしていて、審査される側は、壁側のパイプ椅子に案内された。
横長の簡易テーブルに肘をついて話し込む審査員たちは、青子が会場に入った時から、どことなく視線が好意的な色合いになった。
青子は理由が分からずきょとんとした。
審査は、下の名前であいうえお順だったので、青子が一番最初に審査された。
「毒子さんって、本名?」
青子は気を使ってもらったことに気が付き微笑む。
「いえ、本名は青子です」
「ですよねえ。一次審査の録音にコンビニのアナウンスと授業中の声が入ってたから驚きましたよ」
「ええっ!?」
青子はその時、直観的に多分ヤムヤムがやったのだなと推理した。
授業中の青子の声が録音出来て、尚且つ青子の住所を知るのは多分ヤムヤムだけだ。
(あの子、なに考えてんの?)
「では、先生。このモンスターを、思い切り毒のある罵倒してください」
審査員は、椅子の横に置いた袋から、真っ黒で、太くてふどくふてぶてしい顔をしたモンスターのぬいぐるみを出した。多分子供向けアニメの怪人だろう。
「は?」
「どんな罵倒でも良いですよ? 躊躇なく毒を吐いて罵ってください」
青子は嬉々として、これまでに溜まった鬱憤の限りを真っ黒なモンスターにぶつけた。
そして、一週間後。美少女戦隊ものアニメの悪の女ボス役として青子は合格した。
「勢いって大事だな」
青子は合格通知を眺めながら、しみじみ思った。
シェアハウスのソファで寝そべりながら、喜びの余韻にふける。
胸に抱いた合格通知は本当に嬉しいものだ。だがしかし、この仕事をするなら、今の仕事は辞めないといけない。
(でも、良いのだろうか学校が大変な時に自分が抜けて)
「あ、青ちゃん? このシェアハウス一か月後に無くなるから、そのつもりで」
リビングでぼんやりしていた青子にオーナーの富岡さんが笑顔で言った。
「は?」
青子は素っとんきょな声をし、振り返ろうとして、勢いでソファから落ちてしまう。
「ど、どういうことですか?」
「実はね、私のもと夫が、癌で入院しちゃったの。胃癌が肝臓に転移したらしくて、やっぱり出来るだけ長くいたいのは、この人だって気が付いてね」
自分の頬に手をあて、実に湿っぽく話す富岡さんは、いつにも増して上品そのものだ。
「そ、そんなあ」
後ろから現われたリチャードがパジャマのまま部屋から出てきて嘆いた。
「リチャードも、その中途半端な日本語どうにかするか、国に帰るかハッキリしなさいね」
にっこり、はっきり富岡さんは伝えた。
青子は不動産屋に行ったが、中々良い物件は見つからなかった。
仕方なく、気晴らしに食べたことのないおやつでも買おうとコンビニに入った。
しかし、疲れすぎて、商品を眺めても全然気持ちが定まらない。
(このまま、私は自分のこと、なんにも決められないのか)
「どうしたもんか」
「あれ、坪倉さん?」
「本田さん!?」
青子に、声をかけてきたのはコンビニ会社の次男の本田さんだった。
スーツ姿で商品管理用のパッドを抱えている。
本田さんは青子の事情を聞くと、コンビニの上の部屋で良かったら貸すと言ってくれた。
「ええ! ありがとうございます!」
「それで家賃安くするから、うちで働いてくれる?」
こうして、青子は新しい仕事と、新しい自宅を手に入れた。
「なんかあったら隣の部屋だから頼ってね」
これからも、きっと大変だろうけど、きっとこれまで以上に楽しいだろうと青子には信じられた。
あおのこえがきこえた @hitujinonamida
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