第8話 身勝手な婚約者

「どういうことだ」 

 先ぶれが来たかと思うと、間を置かずロジェがアンジェリーヌを訪ねてやってきた。

「こちらのセリフです。どういったご用件でしょうか?」

 アンジェリーヌのつんけんした態度にさらにロジェの機嫌が悪くなるが、アンジェリーヌの父である侯爵も同席しているため何とか怒鳴るのを我慢しているようだ。

「ロジェ殿、婚約の解消を娘から聞き、私も承知いたしております。しかし一向に手続きが行われていないようですが……それにそのような状況でパーティのエスコートとは一体?」

 ペルシエ侯爵がもっともな質問をすると、ロジェはバツが悪そうに

「ま、まだ正式に解消していないのだから婚約者としての務めだっ」

 そう言った。


「私はどうももの知らずで恥ずかしのですが……」

 アンジェリーヌが、おずおずと言った様子で、ロジェに話しかけた。

「ふん、そうであろうがなんだ?」

 ロジェはその言葉に気を良くしたのか、ふんぞり返って聞く。

「パーティ会場に無言で連れていき、あとは一人で放置するというのが婚約者の務めでしたのね。私全く知りませんでしたわ、お恥ずかしい。他の方々はパーティ中もご一緒されておりますが、あれは婚約者の務めを逸脱されておりましたのねぇ。本当に勉強不足で申し訳ありません」

「……。無知を装って嫌味をいうとはなんて女だ!」

 アンジェリーヌの挑発にまんまと乗せられ、さらにロジェは怒りを露わにする。

「それに非公式であってもお互いに婚約解消を了承しているのですからもうエスコートの必要はありません」

「私にも立場というものがあるからな。婚約者がいる身で、独りで参加などできぬ!」

「では早く手続してくださいませ」

「……。お前は! 本当にいいのか? 私と婚約解消などすればもうよい縁談など望めないのだぞ」

 ロジェは自分から婚約解消を言い出したくせに、アンジェリーヌに詰め寄る。

「先日も申しましたが、悲しくて悲しくて……涙が出そうです。ですが神が与えたもうた試練と思い耐えますわ」

 涙をふくふりをして、アンジェリーヌは満面の笑顔だ。

「お前という奴は! 最近のアンジェリーヌはどうしたんだ! まるで人が変わってしまったようではないか」

 ロジェが侯爵を見ると、侯爵も深くうなづいている。


「侯爵もそう思われておりましたか?」

「ええ。ですがアンジェリーヌがどういう娘であれ、暴言を浴び、大切にされていない相手との婚約を私も望みません。早く手続きをしていただけませんか」

 アンジェリーヌの事を慮るような侯爵の言葉に、アンジェリーヌは少し驚いて父の顔を見る。

「なっ! 侯爵まで! 前侯爵夫人の思いを無視するおつもりですか?」

「それはロジェ殿でしょう。娘が幸せになるための縁談で、幸せになれないのなら妻が喜ぶはずがございません。そもそも婚約解消はロジェ殿が望まれたこと」

「それはっ! とにかく! 今度のパーティは参加だ」

「怪我をしているとお手紙差し上げましたわ。ほらこの通り」

 アンジェリーヌはドレスのすそを上げた。

「なにをする! そのようなことを令嬢がするな! あ?」

 アンジェリーヌの足首には包帯が巻かれ、靴も履けないでいた。


「この通り歩けませんのでご遠慮いたします。それでもあなたは無理強いをするようなお方なのですか? ああ、でもこれまでのことを思うに、そういう方ですわね」

「……」

 また怒りだすと思われたが、ロジェは少し顔を歪めるだけで

「……今日は失礼する。今度のパーティの欠席は承知した、大事にしてくれ。侯爵、改めて話に伺います」

 そう言い残し、帰っていった。


 アンジェリーヌはロジェが帰ると、さっと足から包帯をとると靴を履き立ち上がった。

「アンジェリーヌ、あの様子ではロジェ殿は本気で婚約を解消するつもりがないようだ」

「そのようですね。あのように人を傷つけて平気な方とはこの先付き合いをしたくありませんが、公爵家から言われるとお父様も抗えないでしょう。ですから放っておいてもらって結構です」

「しかし……」

「自分でなんとか致します。これまでもそうでしたから。では失礼いたします」

 侯爵はアンジェリーヌを見送るしかなかった。


 

 ある日、いつものようにアベルがアンジェリーヌの部屋に食事を運んできた。

「ありがとう、アベル。あなたはよくやってくれたわ。今日にて子分から解放してあげる。破門じゃないのよ。優秀だから独立ってこと」

「僕、ずっと子分でいい」

 アベルは少しすねたように言う。

「そんなわけにはいかないわ。あなたは次期侯爵なのだから。これからは食事も自分で用意するし、あなたをくだらない用事で振り回すことはないから安心して」

「……子分から解放しても僕の事弟だと思ってくれる? 家族だと思ってくれる?」

「もちろんよ。あなたのおかげで楽しい時間を過ごせたわ。私のたった一人の家族。今まで本当にありがとう」

 アベルはなぜか不安になり、涙がでた。

「あらあら、どうしたの? 泣いたりして」

「だって……姉上が最後の挨拶みたいなこというんだもん。どこも行かないよね? 死んだりしないよね?」

「当たり前でしょう。死ぬわけないじゃない。あなたにお礼を言いたかっただけよ。はい、これまでのお礼」

 アンジェリーヌはいつか弟にあげるつもりで、カフスボタンを用意していた。

「いつの間に……」

「ふふふ。つけてくれると嬉しいわ」

「ありがとうございます!」

 喜ぶアベルを残し、翌日アンジェリーヌの姿は屋敷から消えた。

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